闇の精霊(後編)

 足が屋上からはなれた。

 すぐに空気を突き破って、地面へと突きすすむ感覚につつまれる。

「予想より早くやられんな、バカ! 荒ぶる風よ、愚かなる賢者に喰らいつけ! エアプレデイション!」

 まくしたてるような罵声と同時に、横殴りの風が、地面に叩きつけられる寸前のボクから重力を奪い取る。

「うぐっ」

 したたかに石壁に背中を打ちつけた。そのまま壁に支えられるようにして地面にずり落ちる。

 背中を強く打った苦しさに、地面から起き上がれない。それでも落下した勢いのまま地面に叩きつけられるよりは、はるかにマシだろう。アミナさんがいてくれて本当に助かった。

「人間ごときが余計な手間をかけさせおって」

「しかし、なんだったのだ、先程のは?」

「うむ。精霊が我らの手からはなれたかと思えば、突然力を増した」

「なんでもよかろう。すでに精霊は我らのもとにもどり、守護霊獣はすぐそこにある」

 四人のエルフが互いにうなずきあう。あとはクロを回収して終わり。顔がそう言っている。

 呼吸を整えるのに精一杯で逃げることさえできない。それでもこの人たちはこの人たとの正義でうごいている。それを思うとにらむこともできない。

「てぇぇぇりゃぁぁぁ!」

 掛け声とともに舞いおりたアミナさんが、空から剣を振りおろす。四人のエルフは咄嗟に散開し剣をさける。

「チッ。まだこやつがいたか!」

「手練れの魔法剣士だ。距離を詰められるな」

 最初にボクたちの前に姿を見せたエルフが指示をだすと、全員が着地した彼女から距離をとろうとする。

 アミナさんはそうはさせじと、指示をだしたエルフめがけてすぐさま突進する。

 しかし、ひとりに向かうということは、残りの三人に余裕がうまれるということだ。彼らの口が闇の精霊を使役する呪文を紡ぐ。彼女とリーダー格のエルフとの間に、黒い巨大なヘビが現れ、アミナさんを呑みこもうと大口をあけた。

「クソが!」

 彼女は飛びのき、風の刃を闇のヘビにたたきこむ。

 ヘビはほんの少し揺らめいただけで、まったく意に介した様子はなかった。明らかに屋上に顕現けんげんさせれ闇の精霊とは違う。しっかりと意思の注がれた精霊魔法。残りの一人も詠唱を開始し、闇の蛇はまたひと回り大きくなる。

 アミナさんはそれ以上の接近を諦め、ボクをかばうように前に立つ。巨大な闇の蛇に向かって剣をかまえ、大きく息を吐きだす。

「わりぃなトリス。エルフの精霊魔法が、闇の精霊ってのがこんなに厄介だとは、アタシの想像を超えていたよ」

 彼女に謝らなければならない理由はない。巻き込んでしまったのは僕たちだし、アミナさんだけなら逃げようと思えば、逃げられていた。それをわざわざ戻ってかばってくれている。感謝こそすれ、文句などあるはずもない。

 ……ボクがなんとかしないと。

 身体の節々が痛むが、壁を支えにしてなんとか起きあがる。

「おい、トリス!」

 クロの不機嫌そうな声が聞こえ、僕は痛みに顔をゆがめつつ下を向く。そのボクの顎をクロの小さな拳がとらえる。

「イタッ! ちょ、クロ、痛いよなにするの、こんな時に!」

 いくら小さくなっているとはいえ、そこは守護霊獣。充分に痛い。

「こんな時だからだ、バカトリス!」

 あらためてクロを見ると、明らかに怒っていた。しかも本気で。

 毛を逆立てたクロは、なおも言葉を重ねる。

「『オレ達なら絶対できる』って言ったのに、なんで一人でやろうとするんだ! トリスの悪いところだな。器用になんでも一人でできちまうから、たいへんなことでも一人で背負おうとしちまう。お前はもっとまわりを頼らなくちゃだめだ!」

「いいぞ。もっと言ってやれ」

 アミナさんが風の刃で闇のヘビを牽制しながら、クロに賛同の意を表明する。

「アタシの予測でも、集団戦闘になると足を引っぱるのがお前なんだよ。戦闘で一番危険なところに自ら飛び込む。自分もギリギリなのに他の奴を気にする。むやみに相手をかばう。全員で命をはりゃあなんとかなるのを、自分の命だけを危険にさらそうとするから無理がでる。結局全員の命を危険にさらしてんだよ。お前の行動は!」

「トリス! 懸命に生きてんのはお前だけじゃないぜ。オレもシィーもマオもアミナも、みんな命懸けで生きてんだ。もっと信じろ、みんなを。みんながお前を信じているように」

 少しばかり混乱しかけた。

 自分では、人を頼っているつもりだったから。ボクはできないことがはっきりとしている。それは人に任せざるをえないこと。自分にできないことに関しては諦めがついていると言っていい。

 だからその分、自分でできることは自分でやらねばならないと思っている。自分でできることを必死で探して、がむしゃらにやってきて、ようやく今のボクがいる。

 でも考えてみれば、自分にできること全てをやろうとすることは、他の人にできることを奪うという結果にもつながっていたのかもしれない。

 昔のボクと、いまのボクとでは決定的に違うことがある。

 いまのボクには、仲間が……友がいる。

 アミナさんをよく見れば、身体が小刻みに震えていた。先程から魔法を連発している。基礎魔法だけでなく、魔力の消費が大きいと思われる魔法も間に挟みながら。おまけに魔眼写も繰り返していたようだ。魔力枯渇の一歩手前くらいになっていたとしても不思議じゃない。

 彼女を追いこんでしまったのは、エルフでも闇の精霊でもない。このボクだ。

「アミナさん。魔法を止めてください」

「あ?」

 アミナさんが首だけを動かしてボクを見た。

 ボクは胸ポケットからクロの宿る魔法板を取り出し、装備している手甲の甲の部分にある窪みにはめ込み、クロごとアミナさんに向かって突き出す。

「いまさらで申し訳ありません。ボクに……いえ、ボクたちに命をあずけてくれませんか?」

 彼女は一瞬、目を大きく見ひらいたが、すぐにニッと笑い、尻餅をつくようにしてその場に座りこんだ。

「ふぃ~。こっちはもう限界。あとは任せたよ、トリス、クロ」

「はい!」

「おう!」

 ボクたちがアミナさんに返事をするのとほぼ同時に、チャンスと見たエルフたちが、闇の精霊に更なる魔力を注ぎ込む。

「闇の聖霊よ。大いなる闇よ。いまこそ全てをのみこみ、ひとしく眠りの世界へといざないたまえ!」

 闇のヘビが大きく姿をかえ、巨大な闇の津波となってボクら三人をのみこんだ。

「アミナさん。ボクのズボンの裾をしっかりと握っていてください。合図をするまで、その手を決してはなさないで」

「わ、わかった」

 周囲が闇で塗りつぶされていくなか、座りこんだアミナさんの隣に並ぶ。ズボンの裾が握られた感触を感じると、魔糸を指先ではなくクロを宿らせた右手の甲からだす。クロの身体を巡らせたうえで闇へと伸ばした。さらに念の為に、魔力の循環路を、ボクのズボンの裾をつかんでいるアミナさんの手にも経由させるのを忘れない。

 魔糸をとおしてクロの気持ちが伝わってくる。先ほどまでボクは、この気持ちをふみにじろうとしていたのか。

 反省は後にしよう。いまはクロの想いを、闇の精霊に届けることに集中!

「クロ、お願い」

「イヒ♪ オレの魂の叫びってやつを聞かせてやるぜ!」

 クロの声に、クロの想いに迷いはない。

 クロはボクの側にいる。ボクがいつか書き上げる魔導書にクロは住む。ボクの想いを未来に紡ぐために。

 それが、クロを生み出したおじいちゃんの意志を継ぐことにもなるのだから……。 

 え? なんで? 

 クロから流れこんできる感情のひとつに戸惑う。そう言えば、ボクはクロからサイファー・ウォールメンの話をまだ聞いたことがない。

 駄目だ、気にするな。いまはあとまわし。

 ボクはふってわいた疑問を振り払うように首を横に振る。

 集中!

 クロの想いを乗せた魔糸を、ボクらを完全に呑み込み、世界を黒く塗りつぶした闇の精霊にいきわたらせる。

 魔力性質解析……不要!

 構成術式解析……不要!

 解決方法思案……クロの想いを届けるのみ!

 いまは全てをクロに、クロの想いにゆだねる。

 届け! 心結しんゆいの魔技!

「聞こえてんだろ? 闇の精霊さんよ。オレはクロガラ。守護霊獣だ」

 クロの声が闇を照らす光のように、明るく響く。本来であればこの闇は、ボクらから全ての感覚を奪い、正気を奪い、深き闇の眠りへといざなうものだろう。もしもボクひとりであったならば、すでに心が闇に飲み込まれていたに違いない。

 でもクロの声が、クロの心が、ボクに正気を保たせてくれている。

「ナンジ、ワレラノケンゾクカ? イヤ、オトシゴカ」

 ボクが言葉をむけたときには敵意しか見せなかった闇の精霊が、戸惑いの感情を魔糸に乗せてくる。第一声から、内容を詳しく聞きたい単語がでてきているけど、ここは我慢。

「なんかよくわかんねぇけど、オレが聞きたいのは、ええと、アレだ! なんでオレが嫌がっているのに無理矢理連れて行こうとする連中に、お前らは力を貸すのかってことだ!」

「カレラハ、ワレラノリンジン。リンジンノネガイヲ、マリョクヲタイカニコタエルノハ、タイコカラツヅク、ワレラガオウト、セカイトノメイヤク。ワケモナクタガエルコトナド、ユルサレヌ」

「なんだそりゃ? そいつらが好きだから力貸してるとかじゃねぇのか。お前ら意志持ってるんだから、ちゃんと考えろよ」

「オトシゴヨ。ナラバナンジハ、ミズカラカンガエ、ミズカラノイシデ、ワレラノスミカヲヌリカエル、オロカナルヒトニ、チカラヲカシテイルトイウノカ? ナンジモマタ、ナンラカノヤクニ、シバラレテイルノデハナイノカ?」

「やく? まぁ、約束ならしてんな。オレの家をトリスが造ってくれんの楽しみに待ってんだオレは。でもな。それがなくたってオレはトリスといるぞ。だってオレはトリスのこと大好きだからな。イヒ♪」

 真っ直ぐな好意が魔力をとおして心に届いて来る。かなりこそばゆい。でもそんな真っ直ぐな感情をぶつけてくれるクロだからこそ、ボクは救われた。もう一度夢を追いかけたいと思えた。

 クロが行きたいというなら送り出す覚悟もあるけれど、クロがボクと居たいと願ってくれるなら、全力でクロの想いに応えたい!

 クロの想いを運ぶ魔糸に、自然に力が……想いがはいる。

「それを無理矢理連れて行こうとするそいつらは嫌いだ。当人たちの気持ちも組みいれない昔からの決まりごとなんて、オレが片っ端からひきさいてやる!」

 クロの爪が気持ちに応えるように伸びる。でもいまのクロの力では、闇の精霊そのものといっていいこの闇のとばりをひきさくことはできないだろう。きっとそれは、クロも闇の精霊もわかってる。

「ツメヲオサメヨ。ワレラガオトシゴ。フルキメイヤクニハ、コウモアル。ワレラセイレイニ、ガイヲオヨボサヌカギリト。ナンジノオモイト、ソコナヒトノコノオモイハウケトッタ。リンジンガ、ナンジノオモイニガイヲナストイウナラバ、ワレラニチカラヲカスリユウハナイ。ヒトノコヨ。ワレラガオトシゴトノメイヤク、タガエルコトナカレ」

 魔糸から闇の精霊の感触が突然消えた。

 辺りの景色が、世界に戻ってくる。

 ボクたちの正面には、驚愕に目を見開く四人のエルフがいた。

「バカな。なぜ魔法を解除してもいないのに、闇の檻が消える! 闇の精霊よ、いま一度我らの声に応え、世界を乱すやからに、深き眠りを与えたまえ!」

 リーダ格のエルフが声高らかに精霊に呼びかけるが、なにも起こらない。闇の精霊は沈黙をまもってくれている。

「他の精霊もダメだ! おかしい! 精霊力は確かに感じるのに!」

 他のエルフも狼狽している。

 良かった! ここだけの話、他の精霊も順に説得しなけらばならなかったら、どうしようかと思っていたよ。

 精霊魔法を使えなくなってしまったエルフたちは、それならばと揃って弓を構える。

「アミナさん!」

「おう!」

 魔糸をとおしてあったことで、意思の疎通と若干ながらも魔力の回復をさせることのできた彼女が、エルフたちとの距離をつめ、剣と風魔法で瞬く間に4つの弓の弦を切り捨てる。

「おのれ! 精霊よ、いま一度―――」

「おやめなさい。あなた方の行動が、精霊より見放されたこと、まだわからないのですか」

「くっ、イストリア」

 声の飛んできたほうへ目を向けると、厳しい視線をエルフたちに送りながら歩み寄って来るイストリア様の姿があった。後ろにはカウティベリオ君と魔法師団のみなさんの姿も見える。

 ……カウティベリオ君、いつまでもへたり込んでいるような人ではないとわかってはいたけれど、もう回復したのか。

 顔が引きつりかけたボクへ、イストリア様が目礼し、聞きなれない言葉を口ずさむ。しばらく耳をかたむけるようにされていたが、やがてしきりに頷きはじめる。

 襲撃してきたエルフたちが、ばつが悪そうにうつむいた。

「私がエルフの里とも交流をたってから、五百年近くはたっておりましたが、精霊の声に満足に耳をかたむけない者がこんなにも増えたとは。嘆かわしいかぎりです。この街に住む全ての精霊は、守護霊獣クロガラの意志を尊重するとのことですよ」

 イストリア様がまた聞きなれない言葉を口にすると、地面の一部から土がはがれ、宙に浮いたかと思うと、手錠のように四人のエルフの両手首を拘束した。

「あっ」

 四人が慌てて手を振るが、土は彼らの手首から離れない。それどころか、振れば振るほど地面から土がはがれ、彼らの身体に付着していく。

「おやめなさい。抗えば抗うほど土の精霊が拘束を強めます。土の精霊には、貴方がたがエルフの里へと戻り、自分たちの罪を報告したところで、拘束をとくようにお願いしました。里の決定を無視したアナタがたへの処罰は、里長がお決めになるでしょう」

 リーダー格のエルフはただ悔しそうに地面をにらみつけ、他の三人は力なく地面に膝をつく。

 ……終わった。そう思うのと同時に節々の痛みが帰ってくる。衝撃を軽減してもらえたとはいえ、一度精霊に力任せに殴られているうえに屋上から落ちている。損傷は大きい。

 アミナさんがそんな僕に近寄り、あたたかい視線を……いや、かなりなまぬるい視線を向けられてる⁉

「あたしはさ、あの魔力をかき消した技を応用して、闇の精霊の動きを封じるかなんかすんだと思ったんだよ。まさか対話ができるかもわかんない相手を説得すんのに、命を懸けさせられていたとはね。……この街で、ある意味あんたが一番たち悪いよ」

「え⁉」

「本人無自覚なのがスゲェだろ!」

 なぜか自慢げなクロの言葉に、彼女はとても嫌そうにうなずいた。

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