闇の精霊(前編)
ギャルドさんからのお食事のお誘いをお断りしたボクは、クロの宿になっている魔力盤を胸ポケットにいれ、アミナさんと共にボクの下宿先のある、街の南東部まで歩いてきていた。
クロの件とマオの件の詳しい内容を、話せない理由を説明するためだ。ギャルドさんに叩きのめされてボロボロのアスターさんは、ミゴンさんに背負われて、まっすぐ日の出亭へともどる。あちらには魔法師団のかたがたがいる。いろいろ聞かれるかもしれないが、それほど追及はしてこないだろう。
リーダー格のヴァロータさんとは、イストリア様の部屋に彼が突入してきた際に少し会話をかわしたが、分別をわきまえた人に感じられた。表向きの最重要任務であるイストリア様の護衛がまっとうできるなら、他のことにはある程度目をつむってくれるだろう。カウティベリオ君は……今日のうちは元気にならないことを祈ろう。
「良かったの、クロ? ボクの方について来て?」
シャンティー先輩に、ギャルドさんの家でのお食事会に、同行を求められたクロだったが、「また今度な」と断った。
今はうつむきながらトボトボと歩いているアミナさんを、じっと観察している。
「おうよ。このネエちゃんに事情を説明すんなら、トリスの証言を裏付けるヤツが必要だろ? イディオ・グリモリオに関しては、オレが証人になるぜ。なにせ
張りきって言ってくれるが、ボクとクロの間柄を考えれば、口裏をあわせていると判断されるような気もする。
「ああ、うん。もうなんでもいいよ。アタシが支部長に説明しやすい言葉を考えてくれれば、嘘でも本当でも」
力なく返してくる。すごい意気消沈ぶりだった。
それもしかたないか。自身は簡単に捕縛され、仲間はなす
「そんなことを言わずに話を聞いてください。事情を知っていてくださるかたが、各方面の組織にいてくださるのは、クロだけではなく、サイファー・ウォールメンが残した四冊の魔導書にとって、とても有意義なことだと思いますので」
「話がいち冒険者の了見をこえて―――誰だ!」
呆れかけていた彼女が、急に語気を強めて剣をぬく。
「いきなり剣をぬくとは。やはり人間は野蛮な生き物だな」
すでに太陽と入れ替わり、月光が照らす小道に姿を見せたのは、エルフだった。背には大きめの弓を担いでいる。
アミナさんが鼻を鳴らした。
「そういうのは、こちらに殺気を向けずに言ってもらいたいね」
油断なく剣をかまえ、ボクに身を寄せて小声で話しかけてくる。
「トリス。他にも3人隠れてる。いつでも動けるようにかまえときな」
息をひそめてるということか。正直、まったく気づいていなかった。セニエさん、よくこんな人を簡単に捕まえたな。
「我々の要求は一つだ。その守護霊獣をこちらに返してもらおうか」
今度はクロが鼻を鳴らす。
「なにが返せだよ。オレは誰のもんでもないぞ!」
「お前はわかっていないのだ守護霊獣。サイファーなる人間がお前を生み出す際に用いたのは我らエルフの秘術中の秘術。サイファーは我らから技術を盗み、お前を創った。魔導書がなくなってもお前が存在していることは、人間には不相応な利益を生み出している。お前は我らがエルフの里にて保管されるのが正しき―――」
「違う!」
クロの毛が全て逆立つ。これはかなり怒っている。
「じっちゃんはな! すんごく長い時をかけて、頑張って頑張って、考えて考えて、ようやく魔法生物に意志を持たせる方法にたどり着いて、オレ達を生み出してくれたんだ! お前らなんか関係ない!」
「黙れ。長くても100年程しか生きられぬ人間が、辿りつけるような境地ではないわ」
「お前こそ黙れ!」
クロが吠えるのと同時に、アミナさんが剣を振るった。ボクの目の前の地面に、弓矢が三本落ちる。
「抵抗するか。いいだろう。我らエルフの力を貴様ら猿型の魔獣に教えてやる」
大気がぞわりと動くのをボクは感じた。
「闇の聖霊よ。我に力を。汝の胸の内を許可なく蠢く虫けらを、その腕にて捕えたまえ」
これは精霊魔法の詠唱!
ヒト族は精霊魔法の使い手自体がほぼいないから、詠唱を聞けたのは初めてだ!
なんて、感動している場合じゃなかった!
陰のような黒いものが、ボクらの足元からせせりあがって足をとらえようとしてくる。
あわてて足元から魔糸をだして魔力を散らす。影は消えこそしなかったが、かなり怯んだように見える。良かった。魔糸が通じる。精霊に魔糸による魔力拡散が通用するのかわからなかったけれど、おそらく意志を持って行動するには魔力が必要なのだろう。
「うわ、なんだこれ! 足になんかからまって!」
いけない、いまはひとりじゃなかった。
アミナさんの足にまとわりついている闇を魔糸で払い、彼女の手をひいて、クモの巣のように張り巡らされている路地を細かく曲がりながら逃げる。ただ逃げても無駄なんだ。相手は闇精霊を味方につけている。夜の
どこか対応しやすい場所に誘導しなきゃ。弓を考えれば遮蔽物があるところ、闇精霊を考えれば灯りがしっかりととどく、ひらけた場所。大図書館内で照明をつけるという案も浮かんだけれど距離がありすぎるし、館長よりセニエさんのお叱りを受けそうだ。
「トリス、止まれ!」
アミナさんが、急に声をはりあげる。
「どうしたんですか?」
「いいから止まれ!」
無駄にしている時間はないが、真剣な口振りに足をとめる。彼女がボクの腰に腕をまわす。
「しっかり手を掴んでろよ、跳ぶぞ! 風よ。我が足の力となりて、我に遥かなる道のりを駆けらせ、いかなる壁をも跳び越えさせよ。エアトラベル!」
アミナさんが詠唱が終わると同時に大地を蹴った。
「うわっ!」
「うほっ!」
ボクとクロが同時に声をあげる。ボクらの体は路地を囲んでいたアパート群を軽く飛びこえ、たいらな屋根のひとつになんなく着地した。
「うひゃー。気持ちいいなぁー、いまの」
クロがはしゃいだ声をあげる。
「すごいですね。風魔法の応用だ。足と地面の隙間に突風を生みだして、宙に浮くと同時に強烈な上昇気流を発生させ、その風にのる。魔法に精通しているだけではできない、発想力が必要な魔法ですよ」
「解説どーも。大抵のヤツは飛翔魔法と勘違いするんだけどな」
なぜか呆れ顔でそう言う。
「あれは結構魔力喰っちまうからな」
「そういうこと。節約できるとこは節約しないとね」
クロの言葉にアミナさんが肩を竦めて答える。
「そうですね。でも、やっぱり逃げきれませんか」
「ああ、そうだね。だがエルフたちは下にいるようだよ。弓が飛んでこないだけマシさ。あれ? 風の精霊の力借りれば、私と同じことできるのか?」
「心配ないと思います。おそらくですけど、この町はそれほど強い風が吹く土地ではないですから、人型の体をここまで持ちあげるだけの力は借りられないと思います」
「じゃあ当面は、こいつらの相手だけでいいわけだ」
彼女がボクらを囲むように、屋上にゆらりと立ちあがった4体の影を見やる。
「おう。さっきみてぇなのはしてこねぇんだな」
「あのねっとりとしたやつだね。トリス、なんでだ?」
「エルフの方々から見えていないからでしょう。僕たちを捕まえるか傷つけるか。そう言った簡単な指示しか出せなかったのだと思います。精霊魔法は、本人のイメージによって、使いかたを多彩にできる通常の魔法とはちがって、魔力のこめられた言葉で精霊に指示をだしてあげる必要があるそうです」
アミナさんがなるほどとうなずく。
「まあ、こいつらだけでも充分に厄介そうではあるけどな。風魔法効くかなあ」
「闇精霊ですから、どちらかというと闇を照らす光魔法か火魔法の方が効果的だとは思いますが……アミナさん、できれば回避に専念していただけますか? 少し考えがあるのです」
「あー、トリス。お前、相手に近付けば魔力自体をなんとかできちまうみたいだが、それも計算に入れてみたんだけどな。……お前を主体にすると、あんまりいい結果にはならない」
ボクは目を丸くする。そうか、魔眼写か。アミナさんにはこれがあった!
「アミナさん、なんでセニエさんに簡単に捕まっちゃったんですか?」
「アタシが聞きてえよ」
がっくりと肩を落とす彼女にボクは笑って答える。
「すいません。試してみたいのは魔力の拡散ではないんです。魔力を拡散したとしても消滅させるようなことはないでしょうが、ボクは、彼らもエルフのかたがたも傷つけたくはない」
アミナさんが盛大にため息をつく。
「相手は殺しにきているよ」
「無駄だぞ、アミナ。トリスはこういうヤツだからな」
クロの言葉に、今度は肩を落とす。
「わかってるよ。そういう奴なんだろうなってことは。これまでの言動でさ。だからアタシもあんなイメージ見ちまったんだろうから……」
アミナさんは最終的にうつむいた。どうやら、ボクがボクのまま闘えば、あまりいい結果にはならないらしい。
「トリス。アンタがやろうとしていることは、アタシにはこれまで見せてもいないし、会話にもあげていない。そうだね?」
「はい」
ボクの目をしっかりと見てアミナさんが言葉を紡ぐ。
「……五分。五分たってアタシのイメージ通り事が進んでいたら、アンタが影を引きつけている間に、アタシは下にいるエルフどもを殺す。いいね?」
魔法は魔術と違い、そのほとんどは術者が死ねば解除される。それは精霊魔法も変わらない。アミナさんは強制的にそれをすると言っているんだ。
5分か。時間的には充分。精霊は個にして全。全にして個。一体さえ説得できれば……。
「大丈夫だ! 俺たちなら絶対なんとかできるさ! な、トリス!」
クロの言葉にしっかりとうなずき、ゆっくりと距離をつめてきていた闇の精霊のうち、正面にいる一体にむかって走る。背後で風が動く気配がする。
アミナさんだ。正面以外の精霊、つまり三方向同時に牽制の為の風魔法を無詠唱で行使してくれているのか。
無詠唱は決して簡単な技術じゃないんだけど、それを広範囲で使用する。
S級以上の冒険者は、国の依頼も受けることがあると聞いたことがあるけど、本当にすごい。でもセニエさんに簡単に捕えられて、ギャルドさんにボコボコにされてるんだよね。
いまはどうでもいいか。
とにかく、これで正面の相手に集中できる。建物の影ができる路地に比べれば、闇精霊も活発ではないし、エルフたちがボクたちを視認できていないから、細かい意志を伝えられない。
予想通り、精霊の動きは緩慢。闇の精霊がボクをつかまえようと伸ばす手に、ぼくも合わせて手を伸ばし、魔糸で繋げる。
魔力性質解析……予測通り。視認できるような形を作っている時の精霊は、クロと性質がほぼ変わらない。
構成術式解析……魔力の中にクロと同様に意志を司っている箇所がある。そこに魔糸を通せば、精霊の感情を読み取ることができそうだ。
解決方法思案……ボクの意志を魔力に乗せれば、精霊魔術を使えないボクでも対話可能。
いける。
糸紡ぎの魔技!
闇の精霊よ。どうかボクの話を聞いてください。
彼らエルフはここにいる守護霊獣の意志を無視し、無理矢理に自由を奪おうとしています。この守護霊獣と彼らはなんの関わりもない。彼らの行動はとても理不尽なものです。
どうか、どうか彼らに力をお貸しするのをおやめください。
(……ダマレヒトノコ)
え?
(ワレラノスミカヲ、ジブンタチノリユウダケデ、スキカッテニカエル、キサマラノコトバナド、キクニアタイシナイ)
「トリス! 危ねぇ!」
クロの声が耳をつんざくと同時に、強い衝撃がボクを襲った。
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