イストリア(後編)

 大声を張り上げたカウティベリオ君が、背中を預けていた壁から身をのりだしてくる。その剣幕に、マオが身をちぢこまらせた。

「落ち着いてください、カウティベリオさん」

 イストリア様はいたって冷静だ。

「やはりアナタは同盟のかたなのですね。確かノマッド・グリモリオを管理していたのは―――」

「私はラオブの者です! 父が! 父があずかったんです! その……頼まれて」

 慌てた様子で言葉を被せた。そう言えば、彼女のお父さんにノマッド・グリモリオをあずけた人のことは聞いていなかったな。言いづらそうだったから、問い詰めたりはしなかった。ボクらにとって知らなければならないことではないし、マオを困らせたくもなかったからね。

 イストリア様も、マオが意図的に言葉をさえぎったことを問題視する様子は見られなかった。ただしカウティベリオ君は、若干、不服そうに見える。目の前で隠しごとをされたように感じているのかもしれない。

 だがイストリア様が何も言わない以上、彼にはどうしようもないのだろう。唇を尖らせたまま、再び壁に背をあずけた。

「マオさん。こちらから質問させていただいてもよろしいですか? もちろん答えられないことは、答えなくて結構です」

 イストリア様の言葉にマオは暫し逡巡したが、やがてしっかりと頷く。

「わかりました。答えられることなら」

「ありがとう。それで、その女性……娘はノマッド・グリモリオを手に入れたのでしょうか?」

「いいえ。たぶんまだ手にいれていないと思います。あの場では母がノマッド・グリモリオを持って逃げました。あの人達はエルペッナ様を殺す気でしたが、エルペッナ様はまだ生きています」

 机の上で、じっとマオの話に耳をかたむけているクロを見つめながら、マオは力をこめて言う。まるで自分自身に言い聞かせようとしているみたいだ。

「どうしてわかる?」

 カウティベリオ君が、また彼女の言葉に食いつく。彼は、今回のイストリア様の護衛の隊長的な立場になっているようだから、イストリア様もカウティベリオ君を部屋に招きいれたのだろうけど、もう少しクロを見習って大人しくしていてほしい。ほら、マオが萎縮しちゃってる。

 彼女がノマッド・グリモリオの守護霊獣エルペッナ様からもらった羽は、おいそれと見せるべき物ではない。ノマッド・グリモリオが、いま現在、魔導王国内にあるかもしれないなんて話がおおやけになったら、多くの人が困ることになる。しかも、かなり高位の身分の人達がだ。

 魔導王国も諸国同盟も、たぶん騒がないだけで、秘密裏に王国内で捜索はしているはずだ。両国ともに、理想は話題にのぼる前に、諸国同盟の元の保管場所にノマッド・グリモリオを戻すか、信頼のおける相手にあずけることだろう。

 公になれば、両国はしたくもない国際問題に歩みを進めざるをえなくなる。マオは幼くとも、それを理解しているようだ。だから話すのを悩んでいたのだろう。

 イストリア様がエルペッナ様と同じ守護霊獣である、クロの友人だからこそ、ここまで話をしたんだ。ボクらにだって、クロがいなければ、恩義を感じているとはいえ、あの羽を見せることはなかったはず。

 それだけ、あの羽はまずい。あの羽がエルペッナ様の、ノマッド・グリモリオの場所を指し示しているのを知られるのはよくない。まちがいなくマオの命が狙われる。

「おい、どうしてだと聞いているだろう!」

 マオは唇をギュッとひきしめたまま、カウティベリオ君を無視する。彼が痺れを切らし、彼女に歩みよろうとする。さすがに黙っているわけにはいかない。

 でもイストリア様が、カウティベリオ君を制止する方が早かった。

「カウティベリオさん。私はマオさんに約束しました。答えられないことは、答えなくてよいと。答えたくないではなく、答えられないです。言葉の意味を考えなさい」

 これまでにない強い口調だった。

 だが、これまでイストリア様に注意される度に大人しくなった彼だったが、ここにきてかたくなだった。姿勢をただし、声をはりあげる。

「たとえイストリア様のお言葉といえど、これは黙っているわけにはまいりません! これはリュエル魔導王国貴族としての責務なのですから」

 カウティベリオ君の表情は、いつも以上に真剣だった。

 彼はベッドに座るイストリア様を見下ろしながら、言葉を続ける。

「これは国家としての問題になりかねない案件。 この者は母親を追って、この街までやって来たにちがいありません。そして先程の発言。この者は守護霊獣の場所、つまりはノマッド・グリモリオの場所を知る術を有している」

 本当に頭の回転は早いんだよね。でも思いこむと一途というか、視野がせまくなる。

「イディオ・グリモリオが我が国から消失してしまったいま、ノマッド・グリモリオをその替わりに置くのが、最大の国益です。そして、その確保のために尽力し、陛下に『ノマッド・グリモリオ』を進呈することが、貴族たる私の勤めです!」

 あー、駄目だ。普段は割と柔軟な考えかたができる人なのに、思い込むととたんに頭が固くなる。せっかくイストリア様が引き際を用意してくれたのに……。イストリア様が眉間を押さえられた。マオも口をポカンと開けている。

 それはそうだろう。カウティベリオ君は単なるギルド員だ。おそらく一時的に権限を与えられてはいるのだろうけど、それはあくまでも国賓であるイストリア様に、不自由なく過ごしてもらう為のモノにちがいない。

 それが見事に、イストリア様をないがしろにする意見を主張してみせた。いまの彼は、国に直接仕えている身でもなければ、権力を持つ立場にいるわけでもない。そんな彼が、国賓よりも国益を優先することで、陛下の信任を得るのだと、国賓に向かって堂々と言ってのけるのだから、めまいぐらいはするだろう。

 ……仕方ない。カウティベリオ君には、また恨まれることになりそうだけれど、もっと視野をひろげてもらうには、夢から覚めてもらうしかない。

 夢は見るものではなく、目指すものだから。

「カウティベリオ君。マオに関することはすべてレゾ館長に報告ずみです」

 ボクが言葉を発すると、誇らしげにしていたカウティベリオ君の表情が一瞬でくもる。

「だからどうした。平民に報告してあるからなんだ。私は貴族だ。カウティベリオ・リーベルタースだ。国を支える使命を持つ貴族。陛下に報告する義務が私にはあるのだ」

 ボクはわざとため息をついてみせる。

「……君は年に何回、陛下とお会いする?」

「なにを言っている?」

 意味がわからないと首をかしげる。

「無いのでしょう? 直接お会いしたことなど、一度も」

 カウティベリオ君の顔色が変わる。

 ボクはゆっくりと彼にむかって歩く。

「レゾ館長は年四回、定期報告のため、陛下に謁見する機会があります。それ以外でも、陛下とはともにお食事をされることもしばしばあるそうです。君よりはるかに陛下に近いかただ。ノマッド・グリモリオの件など、すでに陛下の耳に届いているのです」

 予測だけどね。

「バカな! だとしたら何故陛下はノマッド・グリモリオの確保に動かない!」

「世界まで視野をひろげた場合、そのほうが国益になるからです」

 密かに入手し交渉のカードにしたいと、考えている組織はあるみたいだけどね。魔法師団とか冒険者ギルドとか。

「嘘だ!」

 彼の叫びにはかまわず、一歩一歩カウティベリオ君に近づく。彼の顔がひきつったる。

「来るな!」

「いい加減に目を覚ませ。カウティベリオ・リーベルタース。君はただの魔法魔術ギルドのいち構成員でしかない」

 いまはね。ボクは知っている。君がいかに勤勉な努力家であるかを。

 部屋の外には魔法士団もいる。聞き耳を立てていることも予測できる。

 だからこそ、これ以上、君の立場を悪くするわけにはいかない。たとえいま以上に、君に恨まれることになったとしてもだ。

 自分の夢のことしか考えていないボクなんかより、はるかに国全体のことを考えている君を、いまの立場どまりにさせるわけにはいかない。大恩ある陛下のためにも。

「オレは全権委任状を持っているんだ」

「ギルド長のモノだろう? 陛下の権限を越えるものではない」

 遂に彼の前に立つ。

「君は国賓たるイストリア様の意にそむいた。しかもリーベルタースの名をもってだ。これはリーベルタース家の、国家への反逆を意味する。その覚悟があった上での発言であろうな?」

 ボクは部屋の外には聞こえないように、極力声を抑え、カウティベリオ君の耳元で通告する。そして彼の顔の前に手をかざす。カウティベリオ君の顔が恐怖に染まった。

 きっと彼の中では、魔法武闘会のことが思いだされているだろう。くりだした魔法すべてが宙で消え、ボクが彼に近づき手をかざした瞬間、魔力枯渇を起こし気を失ったあの日のことを。

「ヒィィィィィ!!」

 カウティベリオ君が悲鳴をあげその場にしゃがみこみ、部屋の外に待機していた魔法師団員が中に飛びこんでくる。

「長旅で疲れているようです。カウティベリオさんを別室で休ませてあげてください」

 イストリア様が澄まし顔でそう指示された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る