シャンティー・ビウス(後編)

 広場の噴水前、露店商が荷物を置いている一角を借り、気を失った子供を寝かせていた。

 先輩は、子供の頭を自身の膝の上に乗せ、心配そうに顔をのぞきこんでいる。今でこそ落ち着きを取り戻してくれているが、はじめはかなりとり乱していて、なだめるのがたいへんだったよ。

 小さな子供を殺しかけた。

 しかも本人的にはでようとしただけなのだから、とり乱すのも無理はない。

 先輩の身体能力は尋常じゃないからね。戦闘の資質も、自然に魔技まで取得してしまうほどずば抜けている。だが意識的にその力を振るうのは、敵意を持つ相手や賊にかぎられ、その性格はいたって温厚。鍛錬中に知り合った人たちと簡単に仲良くなれる、明るく人懐っこい、かわいいモノ好きの女性だ。

 ただ前述した身体能力が高すぎる。本人もときにコントロールしきれないほどに。しかも最近はクロを相手に、力いっぱい抱きしめるのに慣れてしまっていた。クロは魔力生命体だから魔闘衣を纏わない限りは、ダメージを負うことはないんだよ。同じ感覚で生身の人を、それも子供を抱きしめてしまったら、本当に殺しかねない。

「ね、ねぇトリス君。この子本当に、神父様に見せにいかなくて大丈夫かな? 全然、目を覚まさないんだけど……」

「大丈夫ですよ。呼吸は安定しています。脈も正常。魔力の流れも問題ありません。回復魔法は意味をなさないでしょう。その子が目を覚まさないと言いますか、まぶたをあげないのは、心理的恐怖によるものだと思います」

「そ、そうなの?」

「安心しろって、シィー。調査と判断はトリスの得意技だからな。トリスが大丈夫っ言うなら大丈夫だ」

 クロが先輩の胸ポケットから、ボクの言葉を後押ししてくれる。ただふたりともボクが瞼を上げないと言ったときに、子供がわずかに動いたことには気づかなかったようだ。

「どけてくれ。通してくれ。警備隊だ。この先に用がある」

 低めだが、よくとおる声が人混みのむこうから聞こえてくる。

 やがて人混みをかきわけて、軽鎧に身をつつんだ男たちが五人、こちらにやってきた。

「青い獣人にしめ殺されて、財布を強奪された若い大女の死体があると聞いてきたが……全員生きているようだな」

 誰が通報したかは知らないが、かなり情報が混ざっている。

「お前、確かこの間からレゾさんの所で働き始めたヤツだな」

 ボクと目があった見覚えのある隊長風の男性が話しかけてくる。

 ボクが大図書館に来たときに、騒ぎを起こした賊をひきとりにきてくれた人だ。

 縮れた黒髪に白い肌、鳶色の瞳。

 魔導王国七大都市、南の貿易都市ゾラで良く見かけられる容姿の精悍そうな人だ。

 警備隊員というより戦士と言った方がしっくりくる力強い雰囲気を持っている。

「はい。トリストファーと申します」

「ガーバート警備隊副隊長ギャルド・コッパーだ」

 ギャルドと名乗った男性は、次に先輩を見て盛大なため息をつく。

「シャンティー。また、お前か」

「はう。ごめんなさい」

 ギャルドさんは、やれやれと首を振る。

「それでなにがあった? 死人……ではないようだが?」

 ギロリと横になっている子供に目をやる。

「は、はい。えと、あのですね、これは―――」

「ああ、シャンティー、お前はいい。えーと、トリストファーだったか?」

「はい。トリスでけっこうです」

「わかった、トリス。お前に何があったかの説明を頼みたい」

「わかりました。それでは……」

 実害はなかった。むしろ子供を気絶させたうえ、警備隊に突き出して罪に問うなんてことになったら、さすがに先輩が立ちなおれなさそうだ。とはいえ、派手な捕り物劇になってしまったので、目撃者もたくさんいる。子供をかばうために嘘をついてもすぐにばれるだろう。

 ボクは嘘にならない程度に、罪に問うような騒ぎではなかったことを強調する。だが、その成果はかんばしいものではなかった。

「ふむ。だいたいの状況とお前の意思はわかった。だがなトリス。その子供は、お前とであう前に、すでに罪をおかしている可能性がある。さらになんの罰も与えんでは、今後同じ事を繰り返す危険もついてまわる」

 彼の言っていることはわかるが……。ボクの目には、ガックリとうなだれる先輩の姿が映っている。なんとか食い下がろうとしたボクを、ギャルドさんが手で制した。

「まぁ、待て。実はなトリス。お前の隣にいるシャンティーもにたような立場でな。しかもそいつの場合は、実際に他者に怪我をさせている。本人に悪気はなかったし、事故と言えなくもなかったが、街に置いとくには危険な人物だと判断され、街から追いだされるはずだった。ところが、そいつの身元を保証し、これからの行動に責任を持つという、奇特というかモノ好きというか、そういう人物が現れた」

「レゾ館長ですか?」

 彼が苦笑しつつうなずく。

「お前に見ず知らずの子供に命をあずける覚悟はあるか? ソイツが罪をおかせば、お前も罪にとわれる。死罪にあたいすることをすれば、お前も死ぬ。相手がどんな奴かもわからんのだぞ。お前がなにをもって、ソイツをかばおうとしているかは知らんが、本当にソイツには、それだけの価値があるのか?」

 少しだけ悩む。でもこんなところで、自分の意思を諦めてなんていられない。これくらいのことで信念を曲げていたら、ボクはまた夢を諦める道を選択してしまう。だからボクは、あの子を引き渡さないことを諦めない。

 ボクにはその覚悟がある。

「わかりました。その子の保証人になります」

 ボクの返答を聞き、ギャルドさんは大きく肩を落とす。

「やれやれだな。まあ、いいだろう。それではトリス。家名を言え」

「え? あ、その勘当されている身でして、名乗れないのですが……」

 ギャルドさんが嫌そうに眉をひそめる。

「また、面倒なことになっているな。しかし、勘当されているから名乗れないとは……。お前、もしかして貴族出身か。随分と腰が低い貴族様だな。とても勘当されるような問題児には見えんが……」

 ボクの顔をまじまじと見つめる。

「しょうがないな。トリス、決して口外しないと警備隊の名誉にかけて誓う。オレにだけ教えてくれんか」

 そう言って耳を近づけてくる。

 仕方ないか。

「ラブリースです」

 耳打ちすると、彼の目が大きく見ひらかれる。

「王都の? 侯爵家の?」

「はい」

 ギャルドさんは、ボクから顔を離すと、大きく息を吐きだした。

「やっちまったなー。でもまぁ、言わせちまった以上、オレも覚悟を決めるしかないか」

 彼はひとつうなずくとまっすぐにボクの目を見つめてきた。その目はまさに歴戦の勇士のもので、思わず唾をのみこむ。

「わかった。お前はただのトリスだ」

 大きく息を吸いこみ、クルリとボクに背をむける。

「みんな聞いてくれ! このトリスが、罪を犯した子供の保証人になれる、信用と信頼できる人間であることを、このギャルド・コッパーが保証する!  もしも、この子供が再び罪をおかせば、トリスだけではなく、トリスのことを保証したギャルド・コッパーも罪を負うことを誓う! ここにいる者、全員が証人だ!」

 あっけにとられるボクをよそに、ギャルドさんは天に向かって高らかに宣言した。

 宣言の意味を理解し慌てる。

「いや、なにもギャルドさんまで!」

 彼が再び、真剣な眼差しをボクにむけてくる。

「覚悟があるかと聞いたろう? トリス、身の丈以上のことをしようとすれば、それは必ず他人を巻きこむ。それが嫌なら、軽々しく覚悟を決めんことだな。それが本当の覚悟というものだ」

 ボクから視線を外し、横になったままの子供を見やる。

「おい、そこの寝た振り小僧。よく聞いておけ。お前がこの街で再び罪をおかすようなマネをすれば、罰せられるのはお前だけではない。お前の肩には、お前だけではなく、オレとトリス、オレが生活を支えている女房と子供。5人分の命がのった。そのこと、ゆめゆめ忘れるな」

 子供の身体が小刻みに震えている。さすがに先輩とクロも、子供が起きていたことに気づいたようだ。

「さて、トリス。話は変わるんだが、さっきから気になっていることがあってな」

「なんでしょう?」

 これまでの堂々とした態度からいっぺん、戸惑いのにじみでた態度を不思議に思いながらも尋ねかえす。

「ああ。シャンティーの胸ポケットからチラチラと顔をだしてるアレなんだが、……まさかアレが青い獣人か?」

 ああ、そうか。この間の事件の時は、ひとりで犯人たちを引き渡したから、ギャルドさんはクロに会うのはこれが初めてなんだね。

「おう、クロガラってんだ! クロでいいぜ。よろしくな、ギャルド」

「お、おお。よろしくな」

 若干じゃっかん顔をひきつらせながら、クロの挨拶に応える。

「見たところ、魔法生物か。単独では行動できんみたいだし、問題はないか。あー、クロ。一応お前にも言っとく。この街では騒ぎを起こしてくれるなよ」

「おう。シィーがやりすぎねぇように、次からはきっちり見とくからよ。大丈夫だ。コイツは馬鹿力だけど、あったかくて柔らけぇからな。ちょっと、気をつければ、ぜってぇ大丈夫だ。お前らも、コイツの胸ポケットに入ったら、すぐわかるぞ♪」

「ブッ!」

 クロの発言に、ギャルドさんだけじゃなく、後ろの4人とボクも一斉に吹きだす。

「ちょっ、ちょっとクロちゃん! 今のは恥ずかしいよ!」

「あん? なんでだ? ホントのことじゃねぇか。お前は、すぐそうやって落ちつきをなくしちまうからダメなんだ。もっとこう力を抜いて、ドーンとかまえてみろ。そしたらお前なんて、フワッフワのクッションみてぇなもんだ!」

 高らかな宣言の後の一瞬の静寂。

 そして―――

「ク、ククク、クハハハハハハハハハハッ!」

 ギャルドさんふくむ警備隊の人たちから沸き起こる大爆笑。これまでの野次馬だけではなく、通行人までもが足を止めて、なにごとかとこちらを見てくる。

「いやー、頼もしい監視役がついたもんだ。これはもう、シャンティーは心配いらねえな。おい、シャンティー!」

「は、はい!」

 先輩が座ったままかしこまる。

「いい友達ができたな。大切にしな」

「! はい! ありがとうございます!」

 満足そうにうなずき、彼は隊員たちにむきなおる。

「よーし、お前ら。ここでは事件が発生してなかった。そうだな?」

「はい! 異常なしです。副隊長!」

 全員の声が綺麗にそろう。

「おし。巡回しながら詰所に戻る」

 そう言って、今度は野次馬たちに向むかって声を張りあげる。

「通行中のかたがたと買い物中のかたがた、ならぴに商人の皆様がた! お騒がせして申し訳ない。ここに、皆様がたの危険になるようなものはなかった! 今日は月に2度しかないバザーの日だ。買い物と商売、そして冷やかしを存分に楽しんでってくれ!」

 各所から拍手やら笑い声が聞こえる。時折かけられる声に応えながら遠ざかる背中に、ボクは深く頭を下げた。

「いやいや、胆を冷やしましたな」

 ギャルドさんが見えなくなるのを見計らったかのように、休む場所を提供してくれた露店商さんが、汗を拭きつつ話しかけてくる。

「すみませんでした。お騒がせしてしまって」

「いえいえ。かまいませんよ。いいものも見せてもらいましたし、それにアレ」

 露店商さんが、彼の店先を指さす。

 買い物客でごったがえし、店員さんが忙しそうに働いていた。

「素晴らしい、客引き効果でございますな」

 ホクホク顔で言う。

「ただあなた様は、商売人にはむきませんな。お人好しすぎる。弱みを作りすぎ、さらしすぎです」

 その言葉には苦笑するしかない。

「すぐにどけますので」

「お気になさらず。邪魔になっているわけでもありませんから。次はお客様としてきてくださるのを、期待しておりますがね」

 そう言って笑うと、お店に戻っていった。

「商売人の匂いは、いまいちなれねぇな。なんかこう粘っこくて、鼻の中に残りやがるんだよ」

 クロが鼻を擦りながら不平を言う。

「まぁ、いいや。それよりも、おい、ボウズ。いつまで寝たふりしてんだ。目が覚めてんのはバレてんだ。さっさと起きやがれ!」

 先輩の膝の上に頭をのせていた子供の目がひらく。不満そうに、唇を尖らせて上体をおこす。

 正面から見ると、初め見た時に感じた通り、とても整った顔立ちをしていた。

 もうひとつも最初の見立て通り。おそらく魔導王国の子供じゃない。黒髪に小麦色の肌、赤みがかった瞳の色。

 王国の南西、ヴァイナード諸国同盟の南端、ラオブ王国出身なんじゃないだろうか?

「あのおっさんといい、この毛玉といい、小僧だのボウズだの……」

 子供の不平にボクも同意を示す。

「そうだよ、クロ。失礼だよ。こんなにかわいい女の子に」

「女ァ〜?」

「か、かわいい!」

 クロと少女が同時に声をあげる。

「そうだよね! やっぱりすっごくかわいいよね!」

 先程のことを思いだしたのだろう。少女が咄嗟に先輩から離れ、ボクにしがみついてくる。少女の様子に、先輩がこれまで以上に慌てた。

「さわらないよ! もうあんなことしないよ!」

「おう、安心しな。次やろうとしたら、オレがコイツの手にカプッて噛みついてやっからよ!」

 ふたりの言葉に、ボクの服をつかんでいた少女の力がゆるむ。少女はちらりとボクの顔を見あげ、すぐに悲しそうにうつむいてしまう。

「ごめんなさい」

 少女の手に、また力が入る。少しでも、彼女が安心できたらと、彼女の手にボクの手を重ねる。

 大丈夫。この子は、ちゃんと謝れる子だ。人の悪意の匂いに敏感なクロが、嫌な匂いだと言わない。ボクがこの子を信じるには、充分な理由だ。

「君は、ガーバートの、魔導王国の子じゃないよね?」

 少女の首が縦に動くのを確認。

「お金がないんだね。仕事も見つからないってところかな?」

 こちらにも肯定の意思表示。

「そういうのがあれば、さっきみたいなことはしない?」

 少女がしっかりと顔をあげる。

「探したんだ! この街についてから一週間! でも子供だし、なんか外国人がどうのこうのって。とにかく、どこも雇ってくれなかった。三日前に路銀が尽きちゃって。悪いことだって、わかってたけど―――」

 キュルルルルルゥ。

 ギュルルルルルルルルルルゥ!

 自分のお腹の音が、自身の言葉をさえぎり少女は顔を赤くする。

 でも聞こえてきたお腹の音はふたつ。しかも遠くから聞こえてきた音のほうが、はるかに大きな音だった。

 ボクは先輩を見る。

「だ、だって! 安心したらお腹空いてきちゃったんだもん!」

 弁解する彼女を尻目に、ボクとクロは笑う。それにつられて先輩と少女も笑いだす。

「ちょうどいいころあいです。ご飯、食べにいきましょうか」

 クロと先輩が手をたたいて喜んだ。

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