シャンティー・ビウス(前編)

「『日常生活における魔法の進化』を探しているのだが、見つからなくてね」

「はい。その書物なら、D列八番の棚の二段目にあります。ご案内いたしましょうか?」

「いや、棚の場所はわかるよ。ありがとう。急いでいたから助かった。ところで借りることは可能な本かな」

「大丈夫です。貸し出し期間は1週間になります。詳しくは、本をお持ちになって貸し出し受付の係員にお尋ね下さい」

「うん。わかったよ。ありがとう、司書さん」

 紳士風の男性が微笑んで、ボクが教えた書架へと向かう。

「どうだ、シィー。あれが、司書の正しい来館客への対応だぞ。わかったか?」

「うん。クロちゃん、トリス君はすごいね」

「おう。トリスはすげぇぞ。毎日、毎日遅くまで勉強してんだ。一日も早く、優しい魔導師になるためなんだぞ。すげぇだろ?」

「うん。私が毎日出来ることなんて、食べることと、寝ることと、運動することだけだよ」

「まぁ、だからこそ、その身体が維持できんだろうな。それはそれで、すげぇと思うぞ」

「アハッ♪ ありがとう、クロちゃん」

「おう!」

 少し離れたところでされている、先輩とクロとの会話に思わず苦笑してしまう。

 彼女とボクの仕事は、他の司書さんたちとは、かなり異なる。

 国内では王城、魔法魔術ギルド本部、魔導学園に次ぐ大きさをほこるガーバート大図書館には、リュエル魔導王国内にとどまらず、世界中のあらゆる書物が集まってくる。 その中には、貴重な書物あり、高価な書物あり、危険な書物ありだ。

 そのため、普通の司書さんでは対応できないような案件が多数発生する。ボクがクロと出会った初任日にあったような賊の侵入はもちろん、書物自体が暴れるなんてことも珍しくないらしい。他にも高価な図書を借りたまま返さない人もいる。ひどい人になると、売り払おうとしたりするらしい。

 ボクたちはそういった、どちらかというと大図書館で発生するトラブルに対応する、特別司書という役どころになる。

 館長からはそんな説明ひとつも受けていなかった。そのことを言ったら『そうだっけ?』だって。喰えない人である。もっとも、クロに会わせてくれたのだと思えば文句はない。

 大図書館の護衛みたいな仕事だが、普通の司書の仕事もある。新たに運ばれてきた書物を確認し、蔵書処理をほどこしたうえで、適した書架におさめる仕事は、重要な仕事だ。普段は問題の起きやすい地下の書庫を中心に、職員証をぶらさげて巡回しているから、先程のように、来館者から声をかけられることも多い。時間があれば、返却棚に置かれた本を、元の位置に戻したりもする。

「ごめんね、トリス君。私、本の場所とか全然覚えられなくって」

「大丈夫ですよ。誰しも得手不得手はありますから。ボクの方こそ、力仕事や高所作業を全部お願いしちゃってます」

「シィーは、身体使うのはホント得意だよな。あの身体とか物とか魔力で包んじゃうやつも、身体動かしてるうちに自然にできるようになったんだろ?」

 先輩の胸ポケットから顔だけを出してクロが言う。

 先輩もボクと同じで魔力を魔法に変換せず、魔力そのものを使用する魔技の使い手だった。魔力を自身や武器などに纏わせ、相手の魔力に直接ダメージを与える技だ。

 魔力の通っていない物品を、魔力アイテムとして利用できるようにする魔力付与の魔法とほぼ同様の効果だが、魔力付与のように事前にかけておかなくても、すぐに使用可能で、使用を中止するのも簡単だから、殴る瞬間にだけ纏うといったように、魔力の消費を少なく抑えられる。流石にボクの魔糸のように、魔力消費をほぼゼロにするようなマネは無理みたいだけれど。でもその分、先輩はボクよりはるかに多くの魔力を保持しているから問題はない。

 ボクはこの先輩の魔技を魔闘衣と名づけた。魔力を消費するからボクには使えないが、理屈はわかるので、この技もボクの魔導書に加えられることになるだろう。

「なんか身体を動かす話をしたら、お腹空いてきたね。そろそろ、お昼にしよっか」

「おい、おい。話だけで腹減ったのかよ。実際に動かしたあとじゃないと、また太っちまうぞ〜♪」

「……クロちゃん。君は今、言ってはいけない事を言ってしまったね。エイ!」

 先輩がクロをハンカチごと取り出し、魔闘衣を纏って抱き締めた。

「イタイ! イタイ! イタイ! それはやめろーっ! 反則だーっ!」

 どちらにしろ、昼休憩の時間であったので、大図書館近くの公園で、昼食をとることにした。

 芝生の上に、先輩が持ってきていた大きめの布を敷いて、三人で並んで座る。ボクと彼女の間にクロの借宿となったハンカチを置く形だ。風で飛ばされないようにはしに石を乗せている。

「はい、先輩。頼まれていたお弁当です」

 お弁当と言っても簡単な物だ。パンで様々な具材を挟んだサンドウイッチ。いにしえの魔女ウイッチが考案したとされるが、大した料理じゃない。

「わぁ! 美味しそう♪  ありがとう、トリス君。私、潰すのと捏ねる以外は苦手で……」

 クロの前に置いた弁当箱から、先輩用に作った特大サンドウイッチを、嬉しそうに掴む。 

 ボクが自分で弁当を作っていると知った先輩に、自分の分も作ってほしいとお願いされたのだ。二人分作るのも三人分作るのも手間はほとんど変わらないと思い、気軽に引き受けたのだが、頼まれた量は、もう三人分くらい増えた感じだ。材料費はいただいているから、大きな問題ではないんだけどね。

「シィーは苦手なモノばっかだな。でも悪ぃな、トリス。オレの分まで作ってもらっちゃってよ。オレ、食べなくても生きてけんのに」

「でも食べたら魔力に変換できるんだろ?  味だってわかるんだし。それだったら、みんなで食べようよ。その方が美味しいよ」

「イヒッ♪ そういう気持ち、オレ、とっても嬉しいぞ♪」

「アハッ♪ 良かったね。クロちゃん」

「おう!」

 言いつつ、ふたりはサンドウイッチに手をのばしほおばる。

「ん~♪ 美味しい~♪ ほっぺた落ちる~♪」

「ホント、うめぇな! でも、トリスはなんでも出来るよな。シィーの服の胸ポケットも作ったろ」

 先輩がクロの言葉に大きく頷く。

「本当にすごいよ。おかげでクロちゃんを一緒にいやすくなったもの。胸のあいだだと動くたびに内側に沈んでいっちゃって」

 沈むたびにクロの顔がだらしなく緩むので、先輩に頼んでポケットを縫いつけさせてもらったんだよ。胸のあいだだと、ボクも目のやり場に困るし。

「貴族の子供だったら、料理なんて自分でしなくてもよかったんじゃねぇの?」

 不思議そうに首をかしげる。

「早いうちに家を出て、学園の寮で自炊生活してたからね。慣れだよ。慣れ。それよりも先輩。申し訳ありませんが、明日はよろしくお願いします」

 自分用の小さめのサンドウイッチに手を伸ばしながら、話をかえた。

 明日の休館日に、クロが新しく宿るための媒体を探そうと思ったのだが、まだこの街の事がさっぱりで、一人で探すのは心細い。

 そこで先輩について来てくれないかとお願いしたところ、ありがたいことに、ふたつ返事でひき受けてくれたんだ。

 彼女は笑って首を振る。

「平気、平気。私、休みでも運動しかしてないし。それにクロちゃんの宿探しでしょ。喜んで手伝うよ」

「ありがとなシィー。このハンカチ、毎日ほんの少しずつだけど、魔力ぬけてってんだ」

「元々、魔力をためておけるような素材じゃないんです。ハンカチに魔力を注ぎ込んだ人が尋常じゃないから、いまも魔力が残っているってだけで」

 先輩が不思議そうに、ハンカチのはしをつまむ。

「へぇー、そうなんだ。私、そんな人に直接会ったら、絶対くしゃみとまんないだろうな〜」

「ええ、間違いないと思います」

『イディオ・グリモリオ』に宿っていた魔力も、並みの魔法使い十人分くらいあったが、姉の魔力は倍じゃきかないだろう。たぶん桁がちがう。

 高魔力アレルギーの先輩なら、姉に会っただけで瞬殺なんじゃないだろうか?

「でも私、この街の道はほとんど覚えたと思うけど、お店の場所とかは、飲食店くらいしかわからないかも」

「充分ですよ。ボクなんか、ほとんど学園の敷地より外には出ませんでしたから、道慣れもしていないし、方向感覚も怪しいものです。王都からガーバートに来るのにも、馬車を利用しましたから。先輩はファダーからガーバートまで歩いて来たんですよね。ホント、頭が下がる思いです」

 ファダーも王国の七大都市のひとつで、東端に位置する港湾都市だ。王国の西端にあたる、ここガーバートまでは歩いて一ヶ月近くはかかる。

「ううん。軽く走ってたよ」

 ……それで半月かかったと言っていたのか。出会った時なら冗談だと思っただろうが、彼女の人となりを知るにつれ、その言葉に一片の誇張もないと理解できる。

「毎朝、道を変えて走ってるから、どこにいても迷うことはないよ。それだけは安心して。あっ、でも明日は広場の方で露店商がならぶ日だから、すごい人混みになるよ。はぐれないように注意してね」

「はい。ご心配ありがとうございます」

「イヒッ♪ どうせなら、迷子にならないように、手でもつないでもらったらどうだ」

 ボクは黙って魔糸を、ニヤニヤと笑うクロの身体に入れる。

「あ、コラ! ウヒャヒャ! く、くすぐるな! それも反則だーっ! ウヒャヒャ!」

 ボクらは、お昼休憩を心から楽しんだ。

 翌日、午前中にクロを連れて、先輩の住むアパートをたずねた。大図書館で待ちあわせようと思ったのだが、彼女の話によると、そうすると店舗が建ちならぶ、通称『目抜き通り』や、露店商が建つ予定の広場から離れることになるので、アパートに直接迎えに来てくれとなったのである。

「おはよー。トリス君」

「おはようございます。シャンティー先輩」

 呼び鈴を鳴らすまでもなく、部屋からでてきた先輩が、元気よくボクたちを出迎えてくれる。先輩はボクの前まで来ると、ガバッと両腕を広げた。待ってましたと言わんばかりに、クロがボクの服のポケットから、ハンカチごと飛び出し、先輩のふくよかな胸へと飛び込む。そのクロを先輩がギュッと抱きしめる。

「おはよー、クロちゃん。クロちゃんは、今日も可愛いねぇ〜♪」

「オッス、シィー。シィーは今日も柔らけぇなぁ〜♪」

 半月にも満たない期間で、すでに見慣れた光景だが、この時のクロの顔は少しだらしない。

 お互いに満足いくまで、互いを堪能すると、彼女はいつものクロの定位置である胸ポケットにハンカチを押し込む。

「とりあえず目抜き通りをさ、お店をのぞきながら広場にむかって歩いてみようよ。 それから露店商を見て回って、街の東に行こう。元魔法魔術ギルドの人がやってる魔道具屋さんがあるんだって。朝、走ってた時に聞いたの」

 休日もクロに会えたのが嬉しいのか、先輩がはしゃいだ様子で言葉を紡ぐ。

「そうですね。買うのは午後から、ご飯を食べてからでもいいので、まずはゆっくりとよい品がないか探しましょうか」

「賛成!」

「異議なーし!」

 宣言通りに目抜き通りへむかったボクらだったが、そのあまりの人出に唖然としてしまう。幅的には成人男性十人程度が並んで歩ける道が、通り抜ける隙間がないほどびっしりと埋まっている。しかもその人混みの終わりが、まったく見えない。

「こ、こんなに人が」

「うん。たまたま休館日と露店商がたつ日が重なっちゃったね。普段はここまでじゃないよ」

「ああ、なんだか人あたりしそうです。騒がしいし」

「アハッ♪ トリス君、なんだか引きこもりの人みたいなセリフになってるよ」

「イヒッ♪ 否定できねぇな。それは」

 ボクらは人にもまれながら、目抜き通りのお店を見てまわる。

「へぇー。私、飲食店以外は前を走り抜けるだけだったけど、いろんなお店があるんだねぇ」

「お前は、本当に食うことばっかだな。だから太っ―――わーっ、オレが悪かった! だから魔闘衣を纏うな!」

 いつものやり取りに、ボクが苦笑を浮かべたときだった。

 誰かがボクに勢いよくぶつかってくる。

「ぼーっと突っ立ってんな、兄ちゃん! あぶねぇだろ!」

 小さな子供だった。帽子を深くかぶり、その顔は窺い知れない。その子供がボクから離れようとしたとき、魔糸が引っ張られるのを感じる。もしものために、魔力を内包する魔力石に魔糸を縛り付けて財布にいれていたのだが、それがひっぱられた。

「きみっ! ボクの財布取っただろ!」

 子供は驚いて一瞬だけボクを見たが、すぐに人混みに飛びこんでいく。

「任せて!」

 ボクが動くより早く、先輩は子供が消えた人混みに突っ込む。ボクよりも大きな身体なのに、綺麗に人混みをぬって移動していく。それも、とんでもない速さでだ。

 他の人たちより頭2つ分くらい飛びでていた彼女の頭が、急停止したかと思ったら、高々と子供の身体が宙に浮く。人々の視線が先輩たちに集まる。

 ボクが人混みをやっとの思いでかきわけ追いつくと、彼女からなんとか逃れようともがいていた子供から、帽子とボクの財布が落ちた。

 ボクは財布をひろい、懐深くにいれなおすと、子供を見あげる。

 男の子? 女の子?

 判別はつかなかったが、汚れてはいても、とても整った顔だちであることはわかった。

 ただ雰囲気がリュエルの子供とはちがう。

 ボクと同じように、子供の顔を見ていた先輩の目の色がかわった。

 マズイ!

「カワイイッ!」

 止める間もなく、先輩が子供を力強く抱きしめる。

「フギュッ」

 子供の顔が先輩の胸に埋められていく。小さな身体がさば折り状態になってだ。

「落ち着け、シィー! 見ろ! 口を見ろ! 泡吹いてる! 泡吹いてるから!」

「ふぇ?」

 胸ポケットから様子を目の当たりにしていたクロの必死の叫びがつうじ、先輩が子供を再確認する。

「わぁっ‼」

 慌てた先輩の手から解放された子供の体が、力なくドサリと落ちた。

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