トリスとクロ(後編)
にらみつけるボクに対し、男は勝利を確信したかのような、皮肉な笑みをむけてきた。
「関係者ではあるのですよ。その魔導書のですけれどね。その本を図書館に送られる本に紛れ込ませたのは、私どもなので」
ボクを見下すようにアゴをあげて話し続けた。そんな相手の感情に便乗し、スキを見いだそうと会話のひきのばしをこころみる。
「……何故、そんな事を?」
「その本は王都のとある所に隠匿されてましてね。手にいれたはいいものの、有効に活用するには、王都の外に持ちだし、本に取りついているケダモノを引きはがす必要があったのです。私どもはちょっと王都の方々に目をつけられていましてね。そういった物を持って王都を出ようとすると、本を没収されかねなかったのですよ」
「それで図書館に送られる本の中に?」
「ええ。3冊の護衛つきでね。さて、時間稼ぎにつきあうのは、もう良いでしょう。悪魔たちよ。そこの少年にお前たちをどうにかできるような魔力はない。構わずそのケダモノをイディオ・グリモリオからひきはがしなさい!」
「ケッ! 兄弟、イディオを置いて離れてな。危ねぇからよ!」
クロガラさんの言葉に従い、床に『イディオ・グリモリオ』を置くと壁に背をつけたまま少しだけ離れる。同時に、悪魔たちが三方向からクロガラさんに襲いかかる。その内の一匹。右に回り込んだ悪魔はボクに背を向ける形となった。
待ち望んでいたスキが、目の前にある。男たちは悪魔の闘いに巻き込まれるのを恐れてか、同時に仕掛けては来なかったんだ。
魔糸を悪魔の背中に突き通す。
悪魔はこの世界の住人ではない。この世界に存在するために、魔力で体を構築している。だから物理的な攻撃は、ほぼ意味がない。例え下級悪魔でも、それなりの魔法使いか魔術師でないと歯がたたないのは、そういう理由からだ。
でも、そんな魔力体だからこそ、ボクにはできることがある。
ボクは悪魔の身体の中で、魔糸を縦横無尽に走らせた。悪魔も自分の魔力以外の魔力が入りこんだのを感じているかもしれないけれど、空気上の魔力とほぼ変わらない量のボクの魔力じゃ、振りむきさえしない。これもいまのボクにとっては好都合。
魔力性質解析……終了。
構成術式解析……終了。
解決方法思案……終了。
この間三秒。
魔力よ! 世界に帰れ! 紐解きの魔技!
悪魔の中の、魔力の中心と思わしき箇所で、魔糸を激しく回転させる。回転するソレが、悪魔を存在させていた魔力を拡散させた。
悪魔が幻であったかのように消え去り、ボクの魔糸だけが虚空に残る。クロガラさんの大きな右の拳が魔糸をペチりとたたく。ちょっと痛い。
「あれ?」
左の悪魔を左の拳で壁に吹き飛ばし、正面の悪魔の頭を噛み砕いたクロガラさんは、不思議そうに横目でボクを見ていた。彼だけじゃない。囲んでいた男たちも、呆然としてこちらを見ている。
もっとも彼らには、すべてクロガラさんがやったように見えただろう。実際、ボクが手を出さなくても問題はなかった。ボクが思っていたよりも、クロガラさんははるかに強い。
「兄弟、すげぇなぁ!」
「クロガラさんこそ」
そっか。魔力体だから、ボクがなにをしたのか見えてたんだな。
「あんなやり方があるとはな」
「魔力が少なくても、魔力を利用して闘うことはできますから」
「イヒ♪ 兄弟の魔力は優しくて強いな! オレはますます兄弟のことが気に入ったぞ!」
「ば、馬鹿な! 悪魔三体だぞ! どれだけの対価を払ったと……」
頭を噛み砕かれ、存在が消えていく悪魔を見ながら、小太り男が言葉をもらす。
「う、う、う。いや、まだ終わりではない。本だ、本を奪え! 別のところで、もっと強力な悪魔でそいつをひきはがす!」
彼の号令で手下が動こうとしたときだった。
「君ッ! さっきから大きな音してるけど、だいじょヴェックシ!!」
あまりよろしくないタイミングで先輩が現れる。
彼女を人質にとられたら、クロガラさんはともかく、ボクが身動きできない。
「先輩! 賊です! に―――」
「りょうが~い」
先輩は言葉を最後まで聞かずに返事をし、入り口の前に立ちはだかった。
ボクらを囲んでいた男のうち三人が、与しやすいと考えたのか、退路を確保しようとしたのか知らないが、先輩に襲いかかる。
次の瞬間、三人の男はまとめて壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちるとそのまま動かなくなった。
先輩の手には、入り口横に立てかけられていたハンマー。どうやら先輩も、ボクが心配するような実力の人ではないらしい。
「は?」
男たちは先程以上に呆然として先輩を見ていた。
そのスキにひとりを背後から絞め落とす。クロガラさんも腕を伸ばしてふたりを殴り倒していた。残るのは小太り男のみ。
「ヒ、ヒィィィィ!」
情けない声を上げて、先輩の横を通り抜けて逃げようとしたが、後頭部をガシッと捕まれる。彼女はそのまま彼を床に叩きつけた。顔が床にめりこんだ男は、二、三度
正直、一番痛そうだった。
「これで、じぇんヴェックシ!!」
涙と鼻水にまみれた先輩の顔を見て、可哀想だとは思ったが吹きだしてしまう。クロガラさんも笑っている。賊を倒した安堵感もあった。
今思えば、それが油断だった。
目のはしに、赤い光が飛びこむ。
気がついた時にはイディオ・グリモリオが燃えていた。
見れば、クロガラさんが吹き飛ばした悪魔が、手を伸ばした状態で、徐々に薄くなっていく。命令がなければ動かない。そう思いこんでいた。実際それは間違いではなかったけれど、小太り男の意識が完全に飛び、その支配を一時的に脱したのだろう。自由になった身で、最後の力を用いて一矢報いたんだ。
すぐに魔糸を炎にむけたが、すでに炎は魔力で産み出された状態ではなく、自然に燃えている状態だった。これではボクには……いや、体ごとおおいかぶされば、まだ消せるかも知れない!
「よしな兄弟。もうまにあわねぇよ」
ボクのやろうとしたことを察したクロガラさんが、のんびりとした口調でそんなことを言う。
「そんな!」
本当はボクにもわかっていた。この部屋は、問題のある図書を見つけ処分する部屋。部屋自体に魔法をかけられていて、本が燃えやすい環境を保持している。
「残念だなぁ。兄弟と一緒にいるの面白そうだったんだけどな。ホントに残念だ。じいちゃんの願い、兄弟なら叶えてくれるんじゃないかって、思ったんだけどなぁ」
なんだろう? この喪失感は。さっき知りあったばかりなのに。
ああ、そうか。あの言葉か。
『兄弟の魔力は優しくて強いな』
あんなこと言われたの初めてだったな。
クソッ! 諦めるしかないのか!
……諦める?
それはもうやめたはずだろ。
絶対叶えられない夢を諦めるかわりに、他のことは絶対に諦めないって、決めただろう!
まだ、間に合う。クロガラさんはそこにいるんだから。
考えろ。
クロガラさんは守護霊獣だ。魔力で体ができているけど、単体では存在できず、魔導書の魔力を媒体として存在している。だからこそ守護霊獣という存在は、宿っている本を守るんだ。
であれば、他に宿れる媒体を用意して、そこにクロガラさんを移すことができれば、あるいは……。
でも、魔力の宿っている物を探しに行く時間はない。
なにかないか、なにか。
……あった。
ボクは胸ポケットから姉に贈られたハンカチを取り出す。ボクとは違い、神に愛されたとしか思えない程の魔力を持つ姉が、不必要に魔力を込めて贈ってくれた物。材質自体は魔力をとどめる性質を持っていないから、魔力は徐々にぬけ、現在の魔力量はイディオ・グリモリオに遠く及ばない。それでも一時の宿代わりにするくらいなら大丈夫なはず。
「クロガラさん、少しのあいだ、ボクに身を任せてください!」
返事を待たず、魔力の糸をクロガラさんの体に通してから、燃えるイディオ・グリモリオへと突き立てる。
「うひゃ、くすぐったい!」
「我慢して!」
魔力性質解析……うん。クロガラさんの身体は、確かに魔力で構成されているけれどイディオ・グリモリオの魔力とは別種の魔力。魔導書から魔力を吸い上げている訳でもない。おそらくイディオ・グリモリオの魔力を利用して自身の魔力を固定する寄生型の魔力なんだろう。ひとつの意思を持った魔力が、別の魔力にしがみついている感じだ。
構成術式解析……接続部分的に2つの魔力が溶け合っている感じではない。クロガラさんの魔力がイディオ・グリモリオの魔力に縫い付けられている感じだ。
つまり、縫いつけられている箇所をほどいてやれば、魔導書から離れられる。もっとも、離れた時点でクロガラさんの魔力が固定されなくなるから、放置しているとクロガラさんは消滅しちゃう。
解除方法思案……魔糸を縫い目に押し込んで、クロガラさんの魔力をイディオ・グリモリオの魔力からひきはがす。同時に魔糸の上にクロガラさんの魔力を乗せる。ボクの魔力は低いから、クロガラさんの魔力を長時間固定するのは無理。そこでクロガラさんの魔力を、ハンカチにこめられた姉さんの魔力に縫いつける。
いける!
今度は気合を入れるため、口にだして言葉を紡ぐ。
「魔力よ! 宿り木を変えよ! 紐解きの魔技!」
予定通りに魔力の糸を繋ぎ目に押しこみ、クロガラさんの魔力をイディオ・グリモリオからほどいていく。誤ってクロガラさんを解体しないように慎重に、でも今にも魔導書は燃え尽きそうだからすみやかに。
よし。全部ほどけた。魔糸の上にクロガラさんも乗せた。あとはハンカチに移動させてって……重い!
思っていた以上にクロガラさんの魔力が重い!
魔力の拡散は……ダメだ。クロガラさんの存在自体をかき消してしまう。
そもそも支えるだけで精一杯!
「クロガラさん! 魔力を! 魔力を放出してください!」
「む、無理だ兄弟! オレは直接攻撃のみの霊獣だから、魔力放出技とかはできねぇんだ!」
イディオ・グリモリオから引き離されたクロガラさんが、慌てたように言う。まずい。ボクでは魔力が低すぎて、クロガラさんは存在を維持し続けることができない!
早くハンカチに移さないといけないのに、このままじゃ消滅しちゃう!
嘘だろ。ここまできて!
「まりょぐをどばぜばびーどで!」
先輩がなにか話しかけてきながら、ハンマーを振りかぶる。
「グマぢゃん! ばーぐいじばっで」
先輩がハンマーを床から天井にくかって、すくいあげるように振りあげる。クロガラさんの下アゴをとらえ、先輩はそのままハンマーを振りぬいた。
「ギャン!」
クロガラさんの首がちぎれるんじゃないかってくらいにのびる。口が上にむかってひらき、そこから大量の魔力が飛びだす。
魔力で体のできているクロガラさんを殴れるってことは、あのハンマー魔力コーティングとかされてるの?
いや、そんなのはあと!
とにかく、クロガラさんの身体が急激に軽くなったのは確か。
これならいける。
「ありがとうございます、先輩!」
ボクは手のひらにのりそうなくらいまで一気に縮んだクロガラさんを、急いでハンカチの姉の魔力に縫いつける。
……終わった。
魔糸をクロガラさんに残し、クロガラさんとハンカチの魔力の流れを探る。
結合が安定してきた。もう大丈夫だろう。
とても可愛らしくなったクロガラさんから魔糸をひきぬき、ボクの身体に戻す。
「クロガラさん、大丈夫ですか?」
しきりに頭を振るクロガラさんに尋ねる。
「お、おう。イディオが燃えてる時より死ぬんじゃないかと思ったが、どうやら大丈夫みたいだ。世話かけたな、兄弟」
クロガラさんの笑顔に、ボクも笑顔を返す。
「ウソーッ! なにコレッ! 超カワイイんですけどーっ!」
イディオ・グリモリオが燃え、クロガラさんの魔力の大半が飛んだため、アレルギー症状が治まった先輩が、小さくなったクロガラさんを抱きしめ、その豊かな胸にクロガラさんの顔を押し付けた。
「ウソーッ! なにコレッ! 超柔らかいんですけどーっ!」
クロガラさんが、短いしっぽを全力で振って喜んでいた。
その後、小太り男の結界と封印をすべてとき、賊を警備隊にひき渡した。幸運なことに全員生きている。もっとも、ボクに絞め落とされた男以外は重傷だったが……。
館長に、さすがはトリス君と散々に褒めちぎられたあとは、予定通りに先輩に仕事を教えてもらった。クロガラさんは、その間ずっとハンカチごと先輩の胸の間で、終始ご機嫌な様子。
仕事が終わったあとは、先輩がクロガラさんを連れて帰りたがったが、クロガラさんが住むのはボクと一緒が良いと主張したので、泣く泣く諦めていた。
「なぁ、兄弟」
「どうしました? クロガラさん」
部屋に戻り、椅子に座り本を読んでいると、机の上で丸くなっていたクロガラさんが、ふいに話しかけてくる。
「あー、まずそれやめねぇか? さんづけと敬語。クロって呼んでくれよ。オレもトリスって呼ぶからよ」
ボクは自分の顔が綻ぶのを感じた。
「わかったよ。クロ」
「イヒ♪ ……それでよ、トリス。オレ、お前に謝らなきゃって思ってたんだ」
「謝る? なんで?」
問い返すと、クロの尻尾が力なく垂れさがる。
「オレ、お前泣かしちゃったろ? トリス、本当は魔法を使いたかったんだよな? なのにオレさ、使えなくてもいい、なんて言っちゃったろ。 悪かったな」
ああ、ずっと気にしてたのか。それでボクについてきたのかな?
はっきりと首を横に振り、クロを膝の上に乗せた。
「気にしないで。クロが励ましてくれていたのは、ちゃんと伝わってるから。それにね。ボクは本当に魔法を使うことは諦めてるんだ。夢と一緒に……」
「夢か。そうだよな、魔導王国に生まれたからには、魔法士とか魔術士に憧れるよな」
ボクはもう一度首を振る。
「いや。ボクは魔導師になりたかったんだ」
魔法士、魔術士、魔導師。
世界では一緒にされることが多いが、ここリュエル魔導王国ではわけて使われている。
呪文を詠唱し、魔法を行使することを中心とする者を魔法士。
転移や召喚などの魔方陣を、床や道具に書き込み魔力を通すことで、術式を行使する者が魔術士。
そして魔法士や魔術士を指導したり、志す者たちを教え導くことを主な生業とする者を魔導師という。
生まれつき魔力が少なかったボクは、魔法がまったく使えない。魔道具をとり扱うこともできない。そんなボクにでも魔法を教えてくれる人、導いてくれる人をずっと求めていた。でも、そんな人はいるはずもなく、いつからかボク自身が、魔法が上手く使えなくて困っている人を、教え導くがわに立ちたいと思うようになっていたんだよね。
「え? 魔法士でも魔術士でもなくて?」
「うん」
「なーんだ。心配して損しちまったぜ」
そう言って笑った。短めの尻尾も元気よく持ちあがる。
「なればいいじゃん。魔導師」
「いや無理だから。学園で教えるにしろ、魔法魔術ギルドで指導するにしろ、ある程度魔法が使えるのが条件なんだよ」
クロが不思議そうな顔をしてボクを見る。
「ふぇ? 魔導師だろ? 魔法魔術教師じゃなくて。魔導師は導く者だ。教える者じゃないぜ」
思わぬ反論に言葉を失う。
「トリス、魔導書を書けよ。今日一緒にいただけですっごくわかったぞ。トリス、知識スッゴいだろ! これからも、いっぱい勉強してさ、魔法も魔術も魔技も、ぜ~んぶひっくるめたやつ書こうぜ。トリスみたいにさ、魔法を使いたいのに使えないやつでも導けるような優しい魔導書! トリスなら、絶対書けるぞ!」
ぬいぐるみのような姿を元気よく動かし言葉を続ける。
「んでさ。完成したらオレを住まわせてくれよ。そしたらさ、時がたって、トリスがいなくなっちゃてもさ、オレが魔導書をひらいた奴に言ってやるんだ。この魔導書を書いたヤツは魔法を使えなかったけど、諦めなかったんだぜって! お前もこの魔導書を読めば、前に進めるんだぞって! な! ワクワクすん……だ……ろ……ゴ、ゴメン、トリス! オレ、またやっちまった?」
今度はしっかりと自分の頬を流れる、熱いものを感じていた。
「違う。違うんだよ、クロ。そっか、諦めなくてもいいんだ。ボク、魔導師を目指してもいいんだ」
ボクはクロを抱きしめる。
「ありがとう! ありがとう、クロ!」
「お、おう! 良くわかんねぇけど、気にすんな! でも、必ずオレを魔導書に住まわせること! 約束だぞ!」
「うん、約束する!」
これがボクと守護霊獣クロとの出会い。
これがボクの夢への、新たな第一歩。
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