Another ⑮

“…… I, I'm OK …… A-OK ……Don't worry …… Don't Koi …… “


「D, Don't koi ?」


“ Y, Yes, Don't koi “


 鸚鵡返しに訊ねた道行に、ニカッと笑ってサムズアップ! ……をしているつもりの瑞穂。

 しかしそれは、およそひきつけを起す直前、ひっくり返る直前の、痛々しいことこの上ない作り笑顔だった。


 道行は道行でパニクっている。

 パニクりの頂点にいる。

 もはや無表情に――なんて気取ったことはいってられない。

 ハッキリと、目に見えて、露骨に狼狽している。


 Don't Koi

 どんとこい?

 それともDon't 来い? つまり来るな?

 まさかDon't 恋!?


 さ、最後のは嫌だ!


 道行は、心の中で心の底から叫んだ。

 これはラブコメよりもまだ酷い。

 瑞穂は “Don't koi “ “Don't koi “ とコクコクッと頷きながら、今や凄絶としかいいようのない笑顔でサムズアップを繰り返している。

 道行は可哀想になってしまった。

 本当に、可哀想になってしまった。

 ビッ! ビッ! と親指を立て続ける瑞穂が、可哀想で、可哀想で、そして涙が出るほどに愛おしかった。


「――枝葉」


 道行は瑞穂の両肩に手を置いた。

 ビクッと瑞穂の身体が緊張し、瞳と表情にハッキリ怯えが浮かんだ。


「俺ぁ、おまえのことが好きだ。大好きだ。でも俺ぁ、おまえとはまだ知り合ったばかりで、おまえのことがよくわからねぇ。でもわかることもあって、それはおまえが今、本心から俺とそういうことをしたいとは思ってねえってことだ。それは俺も同じだ。でもそれは決して、おまえのことが嫌いだからだとかそういうんじゃなくて、最初にも言ったとおり俺はおまえのことが大好きだ。でもまだできねぇ。俺にとっておまえは宝物で、宝物ってのはそう簡単に手垢に染めたりしたらいけねえんだ。おまえは俺の “聖女” だ。“聖女” はそう簡単には抱けねぇ。おまえは俺の高嶺の花だ。高値の花ってのはそう簡単に手折れねぇ、摘めねぇ。でもいつか必ず、必ず俺の物にする。絶対にする。誰にも渡さねぇ。渡したくねぇ。だって、だって俺はおまえのことが好きだから――」


 道行は一気にまくし立てた。

 こんなに言葉を続けたのは生まれて初めてかもしれなかった。

 そして一気にまくし立てたあと、激しく、絶望的に、後悔した。


 自分は今、なんてことを口走ってしまったのだろう……と。

 最悪だ……抱けねえとか、聖女だとか、俺の物にするとか……。

 “1ワード” だけでもドン引きされること請け合いの、のオンパレードだ。


 今度は道行の表情と瞳に怯えが浮かんだ。

 泣きたくなった。

 死にたくなった。

 壁に向かって頭から突撃して、脳天を粉微塵に打ち砕きたくなった。


 瑞穂は呆気に取られた表情でそんな道行を見つめていたが、やがて恋人が自分にしてくれているのと同じように、ヒシとその両肩に手を置いた。

 まるで古臭い青春映画かスポ根アニメのワンシーンのような暑苦しいで、もう少しムーディな、こうロマンチックなリアクションはなかったのかと、あとになってふたりはそれぞれに思い返した。


 でも、この時はこれで充分だった。

 道行の顔から怯えの色が消えた。

 少年の少女を愛おしむ気持ちは少女に伝わり、少女の少年と共にありたいと願う気持ちは少年に伝わった。

 ふたりは知り合ったばかりで、まだお互いに知らないことが沢山あった。

 でも、気持ちは通じ合っていた。

 少年と少女は、いま確かに幸福だった。


 道行……このとき、あと二ヶ月半の命だった。


◆◇◆



 最終決戦は、道行たちの完勝――いや、圧勝だった。

 三×二区画ブロックの玄室には、ムッとする血の臭いが立ち込めている。

 たった今、空高が首を切り飛ばした “上忍ハイニンジャ” の血臭だ。

 他の六体の魔物――すべて冒険者風――は、全員が道行の呪文によって “塵” あるいは “氷像” にされ砕け散っていて、血の残り香すらない。


(……まったく見事なものだ)


 空高は、双子の兄である道行の鮮やかな手際を見て感嘆すると同時に、空恐ろしさすら覚えた。

 この迷宮アトラクションに取り込まれて三ヶ月。

 連日のように探索を繰り返してきた道行は、魔術師メイジとしての才能を開花させていた。

 そしてその兄を守って寄り添い立つ、恋人の瑞穂。

 瑞穂もまた僧侶プリーステスとして、古強者ネームドの実力を身に付けている。

 もう以前のような、形だけの護衛ではない。


(……コミ障同士のママゴトみたいな恋愛かと思ってたが、どうして)


 空高はふたりに対する自分の眼力が及んでいなかったことを、認めざるを得なかった

 実際空高は双子の兄以上に、道行と瑞穂の関係を “割れ鍋に綴じ蓋” だと思っていた。

 他者と交われず、現代社会に必要な関係を築けない道行。

 ひとりの人間として認められず、充たされない承認欲求に人知れず苦しんでいた瑞穂。

 あるいはママゴトどころではなく、もっと底の深い沼のような共依存に陥ったとしてもおかしくはないふたりだった。

 それが……。


(……迷宮か)


 迷宮では依存心の高い人間は生き残れない。

 それどころかパーティを組む他の人間の足を引っ張り、道連れにしかねない。

 ここでは常に己で考え行動できる、自立・自律した者でなければ存在を許されないのだ。

 その柔弱者に徹底的に過酷な迷宮が試練場となってふたりを鍛え上げ、泥沼な共生関係に陥るのを防いだ。

 仮に今どちらかが死んだとしても、残された方は悲しみに打ち拉がれながらもやがて立ち直り、それからも生きていくだろう。

 空高の目の前にいる少年と少女は、すでに確固たる個人にして強固なる関係だった。


「中を調べるぞ」


 空高は頭を振って今は余計な考えを脳内から追い出した。

 リーダーとして指示を出し、迷宮の最終到達点である玄室の調査を始める。

 中はガランとしていて、たった今倒した冒険者風の魔物たちが生活をしていた痕跡はない。

 おそらく、玄室に侵入者があるたびに “born生成” するタイプの魔物だったのだろう。これまでにも一行は、何度か同様の “門番” 型の魔物と遭遇したことがあった。


「――見て! あそこに扉がある!」


 玄室の南の壁に扉があるのを見つけて、リンダが指差す。


「ゴール!? ゴールなんだよね!? 家に帰れるんだよね!?」


「まだ分からないけど、その可能性が高いとは思う」


 テンションをあげるリンダに空高が努めて冷静な返事をしたが、それでも声が期待に膨らんでいるのを隠せない。


「リンダ、調べてみてくれ。慎重に、慎重にだぞ」


「わかってる。ここまできて罠にかかって全滅なんて最悪だもんね」


 三カ月にわたってこの迷宮で生き残ってきたのだ。

 リンダもすぐに表情を引き締めて、気持ちを切り替えた。

 全員が理解していた。

 戦闘に勝利した直後が、一番危険な瞬間だということを。

 リンダが扉を調べている間、他の三人で周囲を警戒する。


「……第五位階は使い切ったか?」


「……ああ、 “滅消ディストラクション” はもうない」


「……そうか」


 空高が道行に小声で確認を取る。

 “滅消” の魔法が使えず、魔道具もほぼ使い切ったとなれば、仮に引き返す場合には厳しい帰路になるだろう……。


「――OK。罠も敵の気配もないよ」


「そうか――」


 リンダの報告に、空高が力強く頷いた。


「ここまできて躊躇する理由はない。みんなここまでよく頑張ってくれた。俺はみんなを誇りに思う」


 空高がリンダを、瑞穂を、そして道行を順々に見渡して言った。


「俺たちは、いいパーティだ」


「なによ今さら。やめてよね、あんたは “そういうの” が絵になるんだから。危ないでしょ」


「そうか?」


「そうよ」


 いつもフランクなリンダが珍しく顔を赤らめて、恥じらいの表情を見せている。

 そんなふたりを見て、“普段から良い雰囲気なのだから、もう本当に付き合ってしまえばよいのに” と、すでに付き合っているカップルは思った。


「……地図の上では、この先は一×一の玄室で四階で唯一の空白地帯だ。扉の意匠からしても何もないってことはないだろう」


 じゃれ合うふたりを穏やかに見つめながら、道行が瑞穂にだけ聞こえる声で言った。

 目の前にある青く大きな観音開きの扉には豪華な金の取っ手が付いていて、まるで冒険者に蹴破られるのを嫌がっているようだった。

 扉全体にもこれまで迷宮で見てきた物とは異なり、豪奢で精緻な装飾が施されている。

 一目で “何かある” 特別な扉だとわかる。


“いよいよだ” と頷き合う、道行と瑞穂。


「……どうかしたのか?」


 瑞穂が黙り込んだのを見て、道行が訊ね返した。


“なんでもない”


 と小さく頭を振って答える瑞穂。

 瑞穂には、自分の胸にだけ秘めておかなければならない秘密があった。

 それは、道行にだけは決して伝えてはいけないことだった。


「――よし、それじゃ行くか!」


 空高が晴れ晴れと宣言し、道行たちは三者三様にうなずいた。

 きっと全員が万感の想いを抱いているに違いなかった。

 予期せぬWデートから始まった、波乱万丈の大冒険。

 辛くもあったけど、それ以上に満たされた日々でもあった。

 道行と瑞穂にしてみれば、幸せの本当の意味を知った日々でもあった。


 敵の気配がなく、罠がかかっていなかったとしても、それでも一行は慎重だった。

 空高とリンダが両方から取っ手を持つ。

 道行と瑞穂は魔法の届くギリギリの距離から、いつでも呪文や祝詞を唱えられるように待機した。

 そして空高が目で合図し――運命の扉が開かれた。


 ……。

 …………。

 ……………………。


「「「「………………え?」」」」


 扉を開けると、そこにあったのは玄室でも階段でも“転移” の魔方陣でもなく……岩だった。

 岩で……コンクリートで一〇メートル四方の玄室を密閉したかのように、扉を開けたら真っ白い石の壁がそこにあった。


「な、なによ、これ?」


「――まて、触るな!」


 鏡のような完璧な平面に触れかけたリンダを、道行が鋭く制した。


「ど、どうなってるんだ?」


 空高が手にしている漆黒の長剣の切っ先で、左官屋が丁寧に仕上げたような壁を叩く。

 硬質な反響音が、それが幻でないことを示している。


「どういうことよ?」


 リンダが眉根を寄せた険悪な表情になった。


「元々出口なんてなかったのか?」


「……それじゃ、今まで還ってこなかった奴らの説明がつかない。あいつらが今の奴らに全員やられちまったとは考えにくい」


 全員が口々に話、ついで無言になる。

 瑞穂が不安になって道行に寄り添った。


 これはいったい、どういうことなのだ……?

 ここがゴールでは、最終到達点ではないのか……?


「……まずは落ち着こう。何か見落としがあるのかもしれない」


 道行が動揺する仲間に冷静に呼び掛ける。


「……行ってない場所。取得してないキーアイテム。倒していない固定モンスター……何か他にないか?」


「何か他にって言われても、そんなのわからないよ」


 リンダは今にも泣き出しそうだ。


「なんなのよ、これ。こんなの酷いペテンじゃない」


 空高がそんなリンダの肩に手を置いた。

 道行は地図を広げて、ジッと睨み付けている。

 そんな道行を見て、瑞穂が複雑な表情をしていたことに気づいた者はいない。

 皆が絶望を支配されかけたこの瞬間、瑞穂だけは希望を……抱いてはいけない望みを見出していたのである。

 その時、開け放たれたままになっていた入口に気配がした。

 ハッと、全員が振り向く。


 そこには険悪な表情をした、もうひとりのリンダが立っていた。



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