Another ⑪
「……そんじゃ、そういうことで」
「…… I see」
カップルは成立した。
道行と瑞穂は付き合い始めた。
今この瞬間からふたりは恋人同士だ。
お互いを “彼氏” “彼女” と呼び合え、互いのもっとも近くにいる権利を得たのだ。
恋人いない歴=年齢の、くだらなくも思春期の少年少女には無視できない、あのクソ煩わしい呪縛からも逃れられた。
高校一年の悩みの九〇パーセントがこれで解決した。
幸福という名の鴨が、葱と鍋を背負ってスキップをしながら満面の笑みでやってきた。
万々歳だ。
人生の快、これに尽きるだ。
しかし……。
ここは “迷宮街”
地下迷宮の一
そのわずかな
これが現実世界なら、今日はこのままギクシャクした笑顔で “また明日学校で” と別れることができた。
道行も瑞穂も互いの姿が見えなくなるまでは普通に歩き、見えなくなった途端に脇目も振らずに走り出して、家に着くなり二階に駆け上がって自室に飛び込み、閉めたドアを背に上気した顔と荒い息でしばし呆けた後、道行はガッツポーズをして電灯の紐でシャドーボクシングを始め、瑞穂はベッドに飛び込んで枕に顔を埋めて足をこれでもかとバタバタさせたて、喜びと幸せを噛みしめただろう。
そして翌朝、寝不足ながらまったく眠くない脳内物質が迸っている状態で登校し、ギコチナイ笑顔と甘酸っぱい気持ちで “おはよう” と挨拶することができたはずだ。
しかし……。
ここは迷宮街。
地下迷宮の一
そのわずかな
“また明日学校で” と別れることもできなければ、家に駆け戻って自室でひとり歓喜を爆発させることもできない。
慣れ親しんできているとはいえ、
別れるなんて考えられない。
(……これは何の罰ゲームだ)
道行は幸福感よりも、あまりの居心地の悪さにベソを掻きたくなった。
もちろん、道行とて嬉しい。
嬉しいに決まっている。
冷静と言えば聞こえがいいし、沈着と言えば格好もつく。
だが、要するに他人とうまく交われないが故の産物だ。
他者との遠い距離感。
どんな時でも “岡目八目” を気取っていられるなら、冷静でも沈着でもいられるだろう。
そんな自分が、感情を暴発させて思わず告ってしまうほど、気がついたら誰かを好きになっていたのである。
幼い頃から人知れず、自分には人として何か欠けた部分がある……そんな空虚感を抱いていた道行だ。
今はまだ空高や貴理子がいる。
だかいずれふたりも、それぞれの道を歩み出すだろう。
その時、自分は独りになってしまう。
漠然とした不安がある。
しかも最近、その不安が徐々に大きくなってきていた。
空高と貴理子の関係が、年相応の恋愛感情を抱いたものに変化してきたためだと、道行は分析していた。
そんな道行の前に現われたのが瑞穂である。
最初の印象は “鈍臭い不思議ちゃん”
しかし鈍臭いながらも、瑞穂は責任感と何より母性の強い少女だった。
知り合ったばかりの道行を、危険を顧みず守ろうとしてくれた。
例えそれが危なっかしく、ほとんど意味を成してない行動だったとしてもだ。
いや、だからこそ――だからこそだ。
だからこそ、道行のなけなしの雄の本能が警報を発していた。
――こんな “聖女” みたいな女、この先絶対に現われないぞ! と。
だから道行は彼らしくもなく、後先考えず――考える余裕もなく、突発的に告白してしまったのだ。
そして瑞穂である。
瑞穂はといえば、たった今道行から告白されて、初めて自分が目の前のぶっきら棒な少年に “恋” をしていたことに気づいた。
そしてつかの間、頭の中が真っ白になったあと、ストンとした。
リンダが道行と親しげに振る舞うたびに、お腹の辺りがモニョモニョしたのは、つまりはそういうことだったのだ。
自分はリンダにヤキモチを焼いていた――。
理解した。
納得した。
腑に落ちた。
むしろ咄嗟に “OK” したのは我ながら大ファインプレーだったと、この日の夜ベッドの中で自分で自分を褒めたくらいだ。
道行が道行なら瑞穂も瑞穂。大概である。
大概である分――お似合いだった。
道行は言葉が出てこない。
いや、こういう時は言葉はいらないのではないか?
と分析し、突然の失語症に陥ってしまった自身を慰めた。
こういう時、映画やドラマや小説やアニメや漫画やゲームではどうしてた?
真っ先に浮かんだのが……。
“キス”
(――いやぁ、駄目だ! 駄目、駄目! こっちの心臓がとまっちまう!)
道行の名誉のためにも言っておくが、これは彼だけでなく他の同年代のほとんどの少年も無理だろう。
次点で、
“抱き締める”
これは……これが最適解ではないだろうか。
道行の明敏な灰色の脳細胞が告げていた。
こういうシーンでは言葉ではなく態度で、行動で示すべきであり、自分の瑞穂への気持ちを表すなら、まさにこれしかないように思えた。
しかし……。
(……無理だ。俺にとても無理だ……)
道行の中で、疲れ果てたグレートデンの老犬がしょぼくれていた。
ここでそんな勇気や行動力が発揮できるなら、自分はとっくに失恋の経験を積んでいたはずだ。
だから少年は、結局自分にできることをするしかなかった。
それでもなけなしの勇気と行動力を振り絞って、少女の手を握ったのだ。
いつもより強く、もしかしたら彼女が痛がるかもしれないくらいの力で。
そして少女も、いつもより強く、固く、その手を握りかえした。
結果として、それは恋に不慣れなふたりにとって最良の選択だった。
“迷宮街” の住人たちには、ふたりが手を繋いで歩いているのはすでに見慣れた光景だったので、誰も何とも思わなかった。
だが、少し注意深く観察した者がいればすぐにわかったはずだ。
少年と少女の歩みが、いつもよりもよほどゆっくりだったことに。
・
・
・
その夜、道行は “迷宮街” に辿り着いてから一番深い眠りに落ちた。
蓄積していた疲れが出たせいもあるだろう。
しかし何よりも少年を包み込む強い安堵感が、彼に久方ぶりの安らぎをもたらしたのだ。
簡易寝台の寝心地の悪いベッドで眠る道行は、確かに幸せだった。
そして翌日。
寝過ごした彼が、双子の弟と朝食を摂りに一階の酒場に降りていくと……。
待っていたのは “
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本編はこちら
『迷宮保険』
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