Another ⑨

「ちょ、ちょっと瑞穂、あんたなに泣いてるのよ」


 >_<


 こんな顔で、大きくて固いサンドイッチを頬張っていた瑞穂を、リンダが彼女らしい言葉で気遣った。

 瑞穂は親友の言葉にようやく自分が泣いていることに気づいた様子で、ゴシゴシと目を擦った。


「……涙が出るほど美味いからな、こいつは」


 思わず呟いてしまった道行に、瑞穂はグスッと鼻を鳴らして珍しく素直に頷いた。

 所持金がある。

 食べる物がある。

 空腹が満たされる。

 なにより独りではない。

 瑞穂の涙は希望の涙だ。

 決して絶望のそれではない。


「もう、なんだかこっちまで泣けてきちゃったじゃない」


 リンダも自分の目尻を人差し指で拭って、巨大なサンドイッチに再び挑みかかった。

 丸くて “しいたけ” の飾り切りのような切れ目?が入っている巨大な黒パンのサンドイッチは、大きな上に固く、食べ応えがありすぎる。


「――とりあえずサバイバルに必要な最低限は確保できる目処が立ったな」


「……ああ」


 成長期の少年らしい健啖ぶりを発揮して先にサンドイッチを平らげた空高と道行が、食料品店の軒下から “迷宮街” に視線をやって呟き合う。

 瑞穂は口の端に小さなパン屑のついた小首を傾げてみせ、“クウ、ネル、アソブ?” とに必要とされた要素を挙げた。

 おそらく、大好きなお父さんに教わったのだろう。


「ち、近いね、かなり」


「……(……年幾つだよ)」


 空高が引きつり気味に微笑し、道行が胸の内側で大きなため息を吐く。


「取りあえず食べ物はあの店で買えることがわかった。次は “寝る場所” だ。安全に休息が摂れて、失った精神力マジックポイントを回復できる場所を探さないと」


 瑞穂は納得顔で頷いた。

 確かに “クウ” の次は “ネル “である。


「そうなると宿屋ね!」


 空腹が解消され、快活さを取り戻したリンダが躍り上がるように言った。

 彼女も希望を取り戻したようである。


「食べ終わったら一休みして全員で探そう。まだここの状況がわからない。バラけるのは危険だ」


 油断のない表情で周囲を見渡す、空高。

 道行ほどではないが、空高も軽躁からは遠い沈着な少年だ。

 ここを自分たちが生きてきた現代社会だとは思っていない。

 あくまでこの “街” は魔物が巣くっている “地下迷宮” の一部なのだ。


“……必要なのは、勇気と想像力と少しのお金”


 サンドイッチを食べ終え一息吐くと、チャーリーの名ゼリフをブツブツ呟きながら、瑞穂が道行の手をしっかりと握る。

 休息を終えた一行パーティは、“迷宮街” を調べてみるつもりだった。

 まずは “宿屋” があるか、探してみなければ。


 出発する際、リンダが何を思ったかニヤニヤした顔で道行と瑞穂を振り返った。


「ねえ」


“?”


 瑞穂が怪訝な顔で、幼馴染みの少女を見る。


「いっそのこと “恋人握り” にしたら?」


“?!”


「歩きながら、手で “えっち” 出来るわよ」


 ボンッ!


 と瑞穂の顔が爆発した。



 “迷宮街” には、様々な商店があった。

 道行はその全ての店の配置を頭に記憶しながら歩いていたが、どうにも左手に感じる瑞穂の温もりが気になって集中が途切れがちだった。

 先ほど一行がサンドイッチを買った “自由な野良犬の店” の他にも、ざっと目につくところでは、


 “赤い羽根飾りの店”

 “雨の妹の店”

 “三本の抜き身の店”

 “トウトアモンの黒き祭りの店”


 ――などの店が道行の興味を引いた。

 順に、


 鎧や盾などの防具を扱う、“防具屋”

 水薬ポーションの類いを売る、“薬屋”

 刀剣類を商う、“武器屋”

 そして魔道具マジックアイテムを取り扱う、“道具屋” だ。

 武器防具屋、薬屋はともかくとして、魔法の道具を商っている店には道行だけでなく全員が強く興味を惹かれた。

 特に瑞穂は、なぜか、


 “イラニスタンの油、セール期間につき今なら三〇パーセントオフ”


 ――の張り紙を見て、テンションを青天井で上げてしまった。


「? なによそれ?」


 怪訝な顔をするリンダに、瑞穂はいきなり詩吟を始めた。


“おお、イラニスタン、イラニスタンよ。

 なんと至純にして浪漫あふれる名であることか。

 汝の名こそ、我らが青き春の記憶。

 汝の名こそ、我らが久遠の憧憬。

 燃えさかる炎の苗床として、黄金の勇者を救え。

 眩い清浄なる輝きとして、魔宮を照らせ。

 おお、イラニスタンよ。汝の名こそ、永遠なれ”


 曰く……そういう “油” らしい。


「「「……なにそれ」」」


 瑞穂をのぞく三人が異口同音に訊ね返した。。

 なんでも、“件のお父さん” がいつも諳じている自作の詩らしい。


「「「……」」」


 三人の顔に浮かぶ、生温~い表情……。


「油なんて買ってどうするのよ? 揚げ物でも作る気?」


 呆れ顔のリンダに、瑞穂が待ってましたとばかりに蘊蓄を垂れ始めたが……。


「ま、まぁ、魔道具マジックアイテムの類いは、もう少し所持金に余裕が出来てから考えよう。まだ宿屋が見つかってないし、見つかったとしても、宿代がいくら掛かるかわからない」


 危険を察した空高が、素早く軌道修正した。

 瑞穂はもっともだといった風に頷いて見せ、一行はそれでも後ろ髪を引かれる様子の瑞穂をうながして “道具屋”の前を後にした。


 “宿屋” はなかなか見つからなかった。


 だんだん不安そうな顔……というより、そろそろ疲労が限界に達してきた顔の瑞穂に、


「……宿屋ってのは街の入口近くにあるもんだ。冒険から帰ったがすぐに立ち寄れるように」


 道行がぶっきら棒に言った。

 リンダは背中越しに聞き、


『もう少し励ますなり、慰めるなり、言い方があるでしょうに』


 と呆れた。

 道行たちが入ってきた扉は迷宮アトラクションの入口からの一本道に続くもので、戻っても袋小路だ。

 街の入口ではなく、おそらく裏口のようなものなのだろう。

 だとすれば、本当の街の入り口はこの大通りの行きつく先にあるはずだ。

 道行の考えどおりなら、宿屋もきっとその近くにあるはずだった。


“――あ!”


 その看板を見つけたとき、手を繋ぐ瑞穂の身体にパッと喜びが充ちるのが、道行に伝わってきた。

 迷宮の天上に届くほどお大きく頑丈そうな石造りの建物に、“ベッド” が描かれた看板が下がっている。

 探していた宿屋でほぼ間違いないだろう。

 宿の名は、


 “アイノス”


 先に目を付けた道具屋などとは趣の違う、小洒落た名である。

 一行はホッと安堵すると、入口の両開きの押し開いた。

 ひとり瑞穂だけが、宿名の書かれた看板を見て、なぜか驚愕の表情を浮かべていた。


「へぇ、なんかここだけ名前の雰囲気が違うね」


「“アイノス” か。誰かの名前かな?」


「……男にも女にも聞こえる名前だな。ユニネームか? ――痛ててっ! おい、強く握りすぎだ」


 いきなり手を強く握られ、道行が顔を顰めて瑞穂を見た。

 自分の護衛役は、金魚鉢の中の金魚のように口をパクパクさせている……。


「どうしたの?」


「……わからん、急に油が切れたロボットみたいになっちまった」


「瑞穂?」


 ……ギギギギッ……。


 とギクシャクした動きで、“ダイジョウブ” と答える瑞穂。


 ガシャン、ガシャン、ガシャン、


 なにが原因かは不明だが、突然某 “ブリキのキコリ”のようになってしまった瑞穂を引っ張って、道行は宿屋に入った。

 宿屋の一階は広い酒場になっていて、奥に二階に上がる階段がある。

 いわゆる標準的な “ファンタジー系宿屋” の造りだ。


「いらっしゃい。お泊まりかね? 短時間の “休憩” もできるよ」


「どんな部屋があるんだ?」


「一週間で大部屋簡易寝台が金貨一〇枚。個室エコノミーが五〇枚。スイートが二〇〇枚。ロイヤルスイートが五〇〇枚」


(どうする? 持ち金を考えれば “大部屋” しかないけど、女の子もいるし……)


(……いや、個室だといざって時にかえって気づきにくい。大部屋で雑魚寝した方が安全だ)


(あたしは雑魚寝平気よ――瑞穂は?)


 リンダに囁かれて、瑞穂も “ワタシモ” と答えた。


(――よし、大部屋に泊まろう。どっちにしても精神力マジックポイントを回復させないと)


「――大部屋を四人分たのむ」



 大部屋に入ると、ようやく瑞穂の四肢に油が差されてきたようだった。

 宿屋の主は、赤ら顔のでっぷりと太った大柄な男で、両手の指に沢山の指輪を嵌めている。

 その男に案内されたのがこの広い大部屋で、ざっと見渡すと二〇ほどの簡素な木のベッドが並んでいた。

 先客がいて男女のペアが二組。あとから入ってきた道行たちを警戒した様子でチラ見している。


「ちょうど壁際のベッドが空いてる。女の子ふたりはそっちを使うといい」


「ありがとう」


 空高の言葉にリンダが頷き、瑞穂もそれに倣う。

 右奥の壁際のベッドを四つ確保する一行。

 シーツその他は、一応清潔なようだった。

 寝心地は……推して知るべしだ。

 

「……念の為に全員では寝ない方がいいな。ひとりは起きていた方がいい」


 道行が提案する。

 容姿に優れた若い女をふたりも連れているのだ。

 警戒のしすぎと言うことはない。

 少年は常に恐怖している。

 特に瑞穂のことで恐怖している。

 そしてこういう得体の知れない状況では、臆病は勇敢よりも美徳だった。


「ふたりずつ見張ろう。うたた寝の心配がない。MP持ちのふたりが先に寝てくれ」


「お風呂はないのかな? あっても別料金?」


 リンダがキョロキョロと辺りを見回し、瑞穂もポツリと同意する。


「……少し様子を見てからの方がいい」


「そうだな。気を抜いた瞬間が危ない」


 道行の意見に、空高も賛成だった。

 リンダと瑞穂が幸運だったとすれば、このアトラクションに一緒に迷い込んだのが、道行と空高の兄弟だったことだろう。

 双子は同年代の少年に比べて、冷静で慎重だった。


「……待ってろ」


 何を思ったのか、道行が自分のベッドにこれまでの数度の戦闘でひしゃげてしまったとんがり帽を置いて、大部屋から出て行った。


「トイレ?」


 怪訝な顔をするリンダに、瑞穂がそれなら “待っててくれ” ではないかと答える。


「でも、“天上天下な道行くん” だよ?」


 親友の言葉に、なぜか納得するよりもムッとしてしまう瑞穂。

 自分でもこの辺りの感情の機微には気づいていない。

 少ししてから戻ってきた道行の手には、大きな水差しにいっぱいのお湯と洗面器が二つ、それに(いちおう清潔な)タオルがあった。


「……どうも “言わないと出て来ない店” らしい」


 仏頂面でボソッと呟く道行。


「……これで顔と手だけでも拭えば、少しは寝やすくなるだろう」


 道行にしては上出来で精一杯の気遣いは、少女たちの――特にリンダの琴線に触れたようだった。


「きゃ~! 道行くん、ナイス気づかい! リンダの感謝のウィンク、あ・げ・る」


 パチッ、


“――はっ!”


 なぜか、リンダと道行に間に割って入る瑞穂。

 ご丁寧に、のポーズまでついている。


「感謝のウィンク、あ・げ・る」


 パチッ、


 再度のリンダのウィンク。


“――はっ!”


 再度の瑞穂の白刃取り。


「……なにそれ?」


 リンダが “奇妙な動物Strange Animal” を見るような目で、鉄壁のブロックを披露する瑞穂を見た。



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