Another ⑧

(……危なっかしくて見てらんね)


 道行が、真っ赤な顔で後方を警戒する瑞穂を見て思ったのは、まず何よりそれだった。

 戦士の次に重装備な僧侶が最後尾を守るのはいい。

 もっとも貧弱で死にやすい魔術師が、四人一列縦隊の三番手に着くのも当然だ。

 しかし……。

 小さな形の良い鼻の穴を心持ちピスピスさせて、重い戦棍メイスを視線の先に向かって常に突き出し、しかも腰は水中を逃げる海老のように退けている……。

 後方一八〇度を常に警戒してくれているのはありがたいが、前方不注意なので道行が気をつけてやらないとを喰らってしまう。

 そしてたまに、その道行の背中に顔をぶつける。

 ぶつけて道行と視線が合うと、真っ赤に気張った顔でコクコクッとうなずく。


“大丈夫。心配ない。わたしが守る。無問題”


 顔全体で必死に訴えてくる。


(……いや、一生懸命なのはわかるし、ありがたいとも思うんだけどね……それじゃ、休息場所が見つかる前にバテちまうだろうよ)


 道行たちは今、再び隊列を整えて暗い迷宮を進んでいる。

 ゴールを目指し現実世界への帰還を図るのはもちろんだが、その前に安全に休息の摂れる場所を見つけるのが目下の最優先の課題だった。

 “魔除けの聖水を使った魔方陣キャンプ” では、いくら休息しても減ってしまった魔力が回復しないことがわかったためである。

 身を隠す場所のない “回廊” では、安心して身心の疲れをとることが出来ないのだ。

 せめて “玄室” のような場所があればよいのだが……。


 道行は、歩々迷宮の構造を暗記する作業に追われている。

 歩数と曲がった角の回数と左右を記憶するのだ。

 その上、足元も覚束ない瑞穂を常に気に掛けていなければならないのだから、なかなかになかなかな頭脳労働だった。


(……迷宮の構造が単純なのが救いだ)


 道行が観察したところ、この迷宮は一辺が一〇メートルの立方体を繋ぎ合わせた構造になっている。

 回廊の幅も一〇メートルで、曲がり角はすべて直角だった。

 今ところ回廊は左右に何度か折れ曲がったものの一本道で、迷うことも記憶に苦労することもなかった。


“フンッ、フンッ、フンフンフンッ!”


(……せっかく美少女なんだから)


 背中から聞こえてくる鼻息に、道行はやるせないやら、いたたまれないやら、ゲンナリしてしまった。

 しかし、幸運なことに瑞穂がバテることはなかった。

 回廊を進む道行たちの前に、大きくて見るからに頑丈そうな両開きの扉が現われたのだ。

 空高とリンダが視線を交わすと、ふたりして慎重に扉を調べる。

 瑞穂は戦棍を両手で構え、油断なく辺りを警戒している……本当に水中を後ろ向きに進む海老にそっくりだ。


“大丈夫! 大丈夫!”


 と、緊張に裏返った声で何度も道行を励ます瑞穂。


「……」


「なんの気配も感じない」


「うん、物音ひとつしない」


 扉に耳を当てて中の様子を探っていた前衛のふたりが、意見の一致を見た。


「……行くか?」


「ああ、ためらう理由は何もない」


 道行に答えた空高に全員がうなずき、突入のために身構える。


 3、2、1――バンッ!


 空高がハンドサインのカウントダウンの後、勢いよく扉を蹴破りった。

 暗闇になれた道行たちの目に、眩しい光が差し込む。

 扉を開ける前には何の物音もしなかったというのに、押し寄せる音の洪水。



 暗い地下迷宮に順応し拡がっていた瞳孔を、眩い光が射貫く。

 扉を開けるまでは無音だったのに、突然の音の洪水が鼓膜を激しく叩いた。

 道行は咄嗟に瑞穂の前に立ち、押し寄せる光の槍と音の洪水から少女をかばった。

 やがて薄目に開いた瞳が、扉の奥から溢れ出た光を徐々に受け入れていき……。

 少年らの眼前に出現したのは、喧噪に満ちた “街 “だった。


「「「「……え?」」」」


 空高、リンダ、瑞穂、そして道行が、異口同音に呟いた。


「「「「ええーーーーっ!!?」」」」


 そして、今度は異口同音の驚きの叫び。

 おい、こういうのってありなのかよ!

 一瞬アトラクションの外に出られたのかとも思ったが、それも違うようだ。

 目の前の “街” を歩いている人は、みな道行たちと同じような剣や鎧に身を包んだ “ファンタジアン” だった。


 二区画ブロック幅の広い通りの両側に、沢山の露天や店が軒を連ねている。

 少年少女がポカンとした顔で上を見上げると、ずっと高いところにこれまで暗くて見えなかった迷宮の天井がある。

 やはり、これは……ここは迷宮の中にある街、いわゆる “地下街” なのだ。

 目が慣れてくるにつれて、明るさはそれほどでもないことがわかってきた。

 電灯が煌々と点っている現実世界の “地下街” よりも、よほど薄暗い。


「……大丈夫か?」


 道行はようやく我に返り、後ろを振り返った。

 さっきから瑞穂が、ローブの背中をギュッと握りしめている。


“大丈夫。わたしが守るから。大丈夫”


 と、コクコクッと頷く。

 会話が微妙に噛み合っていないのはいつものことだ。


「こいつは驚いたな」


「ほ、ほんと」


「でも嬉しい発見だ。“拠点” が見つかった」


「宿屋とか武器屋とかがあるのかな?」


「これがファンタジー的なアトラクションなら、きっとある」


 空高とリンダが、こちらは噛み合った会話をしていた。


「入ってみよう――ただし、油断するな」


「りょ、了解」


「コクコクッ」


「……」


 空高が宣言コールし、リンダと瑞穂が頷いた。

 何を思ったか、道行はいきなり瑞穂の手を掴んだ。


(……こんな場所ではぐれられたら)


 そう思うと、握らずにはいられなかったのだ。

 恐怖が道行を動かしていた。


“――ひゃう!”


 身体に電流を流されたような反応をする瑞穂に、


「……守ってくれるんだろう?」


 道行がある意味 “殺し文句” を告げる。

 朴念仁にしては上出来だった。


“も、もちろんです!”


 瑞穂が再々度(?)顔を上気させて小刻みに頷き、道行が迷子にならないようにしっかり握ってると、“弱くてすぐに死んでしまう” 魔術師を励ました。

 パーティは空高を先頭に、リンダ、そして道行と瑞穂の順で “迷宮街” に入った。

 混雑しているので、はぐれないように密集隊形だ。

 瑞穂は道行が、ギュ~ッとその手を握りしめている。


 ――と、その時。


 なにやら、なんとも、なんともはや、とてもとても、とてつもなく芳しくも官能的な匂いが、一軒の商店から漂ってきた。


「「……グ~、キュルルル……」」


 盛大に鳴く、道行と瑞穂の腹の虫。

 まるでつがいのように見事なユニゾンだ。


「……腹減った……朝飯食ってねえから……」


 どうやら瑞穂も同様に、朝食を食べてないらしい。

 硬直していた顔をさらに真っ赤にして “奇遇”を連発している。


「ここは……どうやら食料品を売ってるみたいだな、入ってみるか?」


「「もちろん「です」!」」


「仲がいいわね~、お腹の虫まで」


 リンダがニヤニヤして、瑞穂と道行を見ました。

 瑞穂は言い返したかったようだが、恥ずかしいのと、突然気づいてしまった空腹と、店から漂ってくるあんまりな匂いのせいで、五感が支離滅裂になってしまい言葉が出てこない様子だった。


 一行は、


“自由な野良犬の店”


 と書かれた店に入った。

 入った途端、目眩がした。


 焼きたてのパンの香ばしい香り。

 塩をふった干し肉とチーズの山。


 やはり、ここは食料品を商っている店なのだ。

 もはや殺人的としか表現のしようのない匂いが鼻腔を支配し、口の中が後から後から溢れ出てくる唾液で一杯になり、何度も何度も呑み込んだ。


 君たちは、もし必要ならここで食料を買うことができる。

 買いたくなければ、もちろん買わなくてもかまわない。

 そんな赤い背表紙ゲームブックな地の文が、なぜか道行の頭に浮かんだ。


 金はある。あるのだ。

 これまでの都合三回の戦闘で、一〇〇枚近い金貨(と思しき物)を獲得している。

 四人は、ここで食料を買うことができるのだ。決して無一文ではない。

 道行はこの迷宮アトラクションに紛れ込んでから初めて、強襲&強奪ハック&スラッシュ万歳と胸の内で快哉を叫んだ。


 道行たちは焼き上がったばかりの大きなパンに、干し肉とチーズを “うそ!” というほど挟んだ物を人数分買い込んで、かっさらうように店を出た。

 そして店を出るなり、全員で人目も憚らずに立ち食いをした。


 涙が出るほど、美味かった……!


 ポロポロ……。


「ちょ、ちょっと瑞穂、あんたなに泣いてるのよ」


 リンダの声に道行が視線を向けると、瑞穂がサンドイッチを頬張りながらポロポロと涙を流していた。


 >_< ←こんな顔だった。


 空腹だったんだろう……。

 心細かったんだろう……。

 怖かったんだろう……。

 今ようやく人心地ついて、これまで抑えていた感情が溢れ出てきたのだろう……。


 道行はそんな瑞穂を見て唐突に、


(……このを守ってやろう)


 と思った。

 この娘が――枝葉瑞穂が無事に現実世界に戻れるまで、自分が守ってやろうと。

 瑞穂が好きとか、そういう感情を抜きに、


(……この娘は不幸になったら……不幸にしたら駄目だ)


 そう思ったのだ。

 人として重要な何かが欠けている自分には、優しい、気遣いの言葉ひとつかけてやれない。

 今一番彼女が求め必要としている励ましの言葉すら、自分は口にすることができない。

 それなら、守ってやろう。

 この身に代えても守ってやろう。

 灰原道行は、目の前でサンドイッチを頬張りながらポロポロと涙を零す少女を見て、そう思った。



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