Another ⑦

「……そうか。ちょっと信じられない話だな」


 道行からおおよその経緯を聞かされた空高は、そういってから右肩に手を触れた。

 板金鎧プレートメイルの板金の隙間、鎖帷子チェインメイルの部分には穴が空いていて、周りには乾きつつある血がベッタリと付着している。


「……でも信じるしかなさそうだ。あの痛みは現実だったし、さらにその怪我が治ってる」


「……どういうことなの? これってただのアトラクションでしょ? なんで出られないのよ……」


 空高が暗い迷宮の天井を見つめながら呟き、冷たい石畳の床に体育座りをしたリンダが零す。


「……どう思う?」


「……さあな」


 空高に視線を向けられた道行が、微かに顔を横に振る。


「……でも考えてることはあるんだろ? お前はいつだってそうだからな。聞かせろよ」


 空高の声に、微かな苛立ちとトゲが含まれた。

 リンダは気づかなかったようだが、瑞穂は不穏な気配を感じ取った風で、ふたりを……特に道行に慮るような瞳を向けた。


「あくまで俺の勝手な解釈だが……」


 空高の苛立ちを感じて、道行が考えを述べ始めた。

 道行は思慮深い少年だ。

 確証のない考えを軽々しく口にしたりはしないのだが、時としてそれが空高を苛立たせる。

 双子の弟にすれば、“もっとぶっちゃけろよ! 兄弟だろ” という思いがあり、道行には “病弱な弟を不安にさせてはいけない”……そんな幼少期に染みついた義務感の残滓が、頭蓋骨の内側に未だにへばりついている。

 このため、空高は学業でもスポーツでも今では道行よりも優れているのに関わらず、双子の兄へのコンプレックスを拭えずにいた。

 互いに劣等感を抱き合う兄と弟。

 片桐貴理子という緩衝材がなければ、兄弟は今のような関係は築けていなかったかもしれない。


「……VRがあまりにもリアルすぎて、脳味噌が現実だと思い込んじまったのかもしれない。だから傷を負えば苦痛を感じるし、血も噴き出る。逆に魔法があると強く思えれば、怪我だって治せる」


「それじゃ、現実のわたしたちはどうなってるわけ!?」


 リンダがヒステリックな声を上げ、道行に食って掛かった。


「……わからない。もしかしたら意識不明で病院のベッドで寝てるのかもしれん」


 嘆息混じりに答える道行。

 そして彼には、口に出来ないさらなる推論があった。

 という、一聞しただけでは “とんでも論” にしか聞こえない推論だ。

 しかし、ことある毎に頭に浮かんでくるを考えれば、その方が蓋然性が高いように思えるのだ。

 そうだとするなら、仮想現実にいるのは……夢を見ているのは道行だけということになり、後の人間はすべて幻ということになる……。

 とてもじゃないが、口に出せるものではない。


「……アニメやラノベで、散々使い古されたパターンだな……しかもそのパターンだと……」


 空高が、そこで口をつぐんだ。

 表情を強ばらせたまま、瑞穂が恐る恐る先をうながす。


「……ここで死ぬと、現実の俺たちの心臓も止まる」


 答えたのは空高ではなく、その兄だった。


「じょ、冗談じゃないわよ! わたしそんなの嫌よ! 絶対に嫌!」


「……それで目覚めるにはどうすればいいと思ってるんだ? そこまで考えているんだろ?」


 もはや空高の視線は、双子の兄を射るようであった。

 道行はこれまでと同じように、弟の目を見ずに答える。真正面から受け止めてしまえば、いつか抜き差しならなくなりそうだった。


「……今ここにいる俺たちが、これは虚構アトラクションだと確信できれば目が覚める可能性がある」


「……その確信を得るには?」


「……虚構と現実の接点に到達すること」


「……つまりはゴールか」


「……ありがちだけどな」


 空高が道行の〆の言葉を受けて上半身を起すが、ふらついて瑞穂に支えられた。


「……方針は決まったか?」


 瑞穂に謝る空高に、道行が訊ねた。


「ああ、ゴールを目指す」


 道行が考え、空高が決断を下す。

 この兄弟はそういう呼吸をすることで、辛うじて安定を保っている。


「“冒険の再開RESTART AN "OUT" PARTY” だ」



 一度可能だと “認識” してしまえば、魔法を使うのはそれほど難しくはなかった。

 魔法の使い方よりも、使というメタ情報の方がどうやら重要だったらしい。

 唸り声を上げて突進してきた四匹の “犬面の獣人コボルド” は、道行の唱えた “昏睡ディープ・スリープ” の呪文によって、次々につんのめるように回廊の石畳の床に倒れ込んだ。

 間髪入れず、空高が逆手に握ったロングソードでその心臓を貫く。


 四匹すべての息の根を止めると、空高はさすがにホッと息を吐き、額に浮かんだ汗を拭った。

 青くなって身体を寄せ合っていただけで、何も出来なかったリンダと瑞穂が “ごめん(なさい)” と声を重ねて謝る。


「いや、戦棍メイス短剣ショートソードで魔物を平気で殺せる女の子の方がよっぽど恐いから」


 道行もまったく同感だったので、もちろんふたりを責めたりはしない。

 むしろ責めるような視線で自分を睨んでいるのは、瑞穂だった。


“す――”


「……す?」


“す――”


 凄惨な場面を目撃したせいか、失語状態に陥ってしまったらしい瑞穂は、真っ赤な顔で道行に何かを伝えようとしている。


「………………好き?」


 取りあえずショック療法だ。

 道行は、瑞穂がもっとも激烈に反応しそうな単語をチョイスしてみた。


“違うですっ!!!!”


 と妙な日本語で、案の定言下に否定された。

 自分から言っておいてなんだが、道行は少しだけ傷ついた。


「……素敵……素晴らしい……」


 少しランクを下げてみたが、瑞穂の顔は険しくなるばかりだ。

 どれも違うらしい。言うんじゃなかった……慣れないことをするもんじゃない。


「道行くん、すごーい!」


 道行が自分の馬鹿な言動を後悔したとき、リンダがバシバシ身体を叩いてきた。


「ねえ、わたしにも魔法って使えるの!?」


 貴理子以外に、こんなに女の子に近づかれたことはなく、また親しげにボディタッチなどされたことはなかったので、道行は内心かなりドギマギしていた。

 そして感情が揺らぐほどぶっきら棒になってしまうのが、不器用な少年の癖であった。


「……盗賊シーフには無理なんじゃねえか? 転職クラス・チェンジ すりゃ使えるようになるはずだったか?」


「それじゃ、あたしも魔法使いになる! ふたりでマジカルコンビ組もう!」


 いきなりハイテンションなリンダにベタベタされて、道行がつかの間の幸福感に浸っていると、


「コ、コ、コ……!」


 ……瑞穂が再び失語症に陥っていた。


「………………コケコッコー?」


 今度こそ当たり障りのない、さらに小洒落た(と道行は思っていた)文句を返してみた。

 頭の血管が切れそうな勢いで、再度言下に否定された。

 道行は、もう黙ってるしかないと心に決めた。

 自分には悲しいほどにユーモアセンスがない……。

 直後、瑞穂は機関銃のように、道行とリンダがマジカルコンビを組むことに反対した。


 曰く、“パーティのバランスが崩壊する!”

 曰く、“今はをしている余裕などない!”

 曰く、“詳しくはないが、きっとそうに違いない!”

 曰く、“食生活も、人間関係も、勉強と運動も、何事もバランスが大切!”

 曰く、“故に断々々固だんだんだんこ反対する!”


「~あんたは “RADWIMPS” かい」


「ね、ねえ、林田さん、ちょっといいかい?」


 フーフー息を切らしている瑞穂に呆れ顔を浮かべたリンダに、空高が声を掛けた。

 そしてふたりでヒソヒソ話を始める。

 こちらに聞こえないように話をしているのだから、敢て聞き耳を立てることもない。

 道行は気づかれないように瑞穂をチラ見した。

 まだ真っ赤顔で睨んでいるのだろうか……女の子に嫌われるのには慣れているが、出来ることなら彼女にはこれ以上嫌われたくなかった。


 そして道行はギョッとした。

 瑞穂が睨むどころか、今にも泣き出しそうな切なげな表情で自分を見つめていたからだ。

 うろたえた道行は、慌てて視線を逸らした。

 道行は訳がわからなかった。

 一体全体、自分はそこまで彼女を傷つけてしまったのだろうか。

 自分のくだらない言動が、そこまで嫌がられたのだろうか。

 もしそうだとするなら……。

 不器用でぶっきら棒な少年は、自分の脳天を回廊の煉瓦塀に打ち付けて砕いてしまいたくなった。


「――道行、呪文はあと何回残ってる?」


 道行が本人にしかわからない自己嫌悪に陥っていると、双子の弟が確認してきた。


「……一回だ」


「そうか――よし、枝葉さん」


 空高は頷くと、今度は瑞穂に向き直る。


「魔術師は。悪いけど、枝葉さんが守ってやってくれ」


 空高の言葉にキョトンとする瑞穂。


「道行の呪文は今の俺たちの切り札だ。絶対に失うわけにはいかない」


 ――やってくれるかい?


 そして瑞穂の顔が再び見る見る紅潮してくる。

 そして三分後、道行は思った。


(……危なっかしくて見てらんね)


 と。



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