Another ⑥
道行はぜぇぜぇと喘ぎながら、無理やり身体を起こした。
いつまでも “
刺された空高が心配だ。
なにより、犬臭くて辛抱たまらない。
立てた片膝に手を置くと、テコにして力を込める。
ウンザリするほど、全身が痛んだ。
これはもう
「…………おい」
道行は身体中の鈍痛を無視して、ぺちゃんこ座りで泣きじゃくっている瑞穂に声を掛けた。
迷子になった小さな子供が両親を求めるような姿に、少年の心が痛む。
突然声を掛けられ、瑞穂はビクッと顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔に浮かぶ、ありありとした恐怖。
「……平気か?」
道行は我ながら馬鹿な問いかけだとも思ったが、極限状態では時としてこの馬鹿な問い掛けが必要なことを彼は経験則として知っている。
全然平気じゃない……と、しゃくり上げながら瑞穂が答える。
「だろうな。でももう心配ない。“犬頭” は始末した」
瑞穂が怯えながら、殺したのか? と問う。
「ああ。こっちも必死だったんでな」
道行は両手にベットリとついた “犬面の獣人” の血を、ローブのまだ比較的奇麗な箇所で拭った。
馬鹿問答を繰り返し、瑞穂が落ち着いてきたことを見て取った道行は、
「いいか、枝葉瑞穂。危険はいったん去った。まずは落ち着くんだ。冷静になれば頭が働くようになる。冷静でいる限り “悪巧み” の
と少女の涙に濡れた瞳を真っ直ぐに見つめた。
“……悪巧みは苦手……”
グズりながら、至極もっともな答えを返す瑞穂。
「それじゃ、それは俺がやる。あんたはあんたの出来ることをやってくれ」
“……自分の出来ることなんてない”
「出来るさ。空高を癒せる」
再びグズり始めてしまった瑞穂を、道行は辛抱強く励まし勇気づける。
“無理だ、さっき何度もやった。お祈りが思い出せない。助けられない!”
自分の無力さを思い出し、瑞穂がまた泣きじゃくる。
「辛かったな。でも祈りとか祝詞とか、これが現実のファンタジーならおそらく関係ない」
“……ぐすっ?”
「神様ってのが本当にいるなら、大切なのは “救いを求める心” だと俺は思う。祈りの文言だのの正確さが重要だとしたら、そんな “信仰” は嘘っぱちだ――そうは思わないか?」
道行は呆れた。
嘘っぱち……なのは、今自分の口からつらつらと紡がれている綺麗事の方である。
嘘っぱち、綺麗事、ハッタリ、口八丁……。
貴理子の言うとおり、まったく不誠実極まる人間だ。自分は。
それでも今は、瑞穂に立ち直ってもらわなければならない。
立ち直ってもらわなければ、空高が死んでしまう(かもしれない)。
“犬面の獣人” に襲われた直後、リンダはアトラクションから抜けだそうと、VRゴーグルを外そうとして出来なかった。
顔面に手をかざしても、そこにスポーツ用のサングラスのような形状をしたゴーグルはなく、操作どころか触れることさえできない。
つまりログアウトできない。
この状態で死亡したらいったいどうなるのか、道行には皆目見当もつかない。
いや……あまりにリアルすぎるためか、むしろ嫌な予感がビンビンとする。
このまま空高が死んでしまったとしても、まったくおかしくない臨場感なのだ。
道行が内心で不誠実と認めた言葉は、それでも瑞穂の心に届いた。
泣きじゃくり、ぐずり、泣きじゃくり、ぐずり――
「そう思えるなら、きっとあんたには “聖職者” としての資質がある。だから頼む。空高を助けてやってくれ」
トドメとばかりに道行が言う。
「やってくれるか?」
瑞穂は頷くと、涙を拭って立ち上がった。
その目は泣き腫れていたが、もう怯えてはいなかった。
感情を切り分ける。
幼い頃、両親の不在時に空高が体調を崩した際には、道行はこうしてパニックを切り抜けてきた。
まず冷静な自分(頭)でパニクる自分(心)に語りかけて、混乱を鎮める。
次に “空高は必ず助かる” と希望を示し、最後に簡単な仕事 “両親に電話をかける” と “空高は自分が助けるんだ “という使命感を与える。
(……強い女の子だ)
道行は意識を失った空高のかたわらに跪き、一心に祈り始めた瑞穂を見て思った。
(……それに比べて、自分は自制しなければ詐欺師になるな)
またしても悪癖の自己分析を行う道行の目の前で、それは起こった。
祝詞すら唱えずに、ただ願い、祈り、そして空高に触れた瑞穂の手が蒼白い清浄な光を放ちだしたのだ。
聖光を帯びた瑞穂の手に触れられた空高の傷が、見る見る塞がり始め、土気色だった顔色にも血の気が戻ってきた。
“……ありがとう……ございます……”
感謝の呟きを漏らす瑞穂を見て、道行が、こちらは驚きの呟きを漏らす。
「……驚いたな。本当に出来ちまったぞ」
道行にしても確信があったわけではない。
むしろ博打に近かった。
当然だろう。
“あんたは魔法が使える。それで怪我人の命を救ってくれ”
などと、現代人が本気で言えるわけがない。
「まさか本当に魔法なんてものが存在するなんてな。この分だと、もしかしたら俺も使えるかも――すげーな、こりゃ」
瑞穂が、そんな道行の呟きと表情に、
“……へっ?”
と驚いた顔をしたあと、
“あ、あ、あ……”
……言葉に詰まった。
「……あ?」
そこからは、瑞穂のターン。
“あなたは信じていなかったのか!?”
“それでは自分に言った言葉はなんなのか!?”
次々に口から飛び出る、道行への非難。
この辺り、やんわりと受け流して誤魔化せればよいのだが、道行は自他共に認める “真正直” な性格だ。
そしてそれが好かれるかは……また別の問題である。
「当たり前だろう。魔法なんて
「
こちらも次々に瑞穂の神経を逆撫でする真正直な言葉が飛び出してしまう。
嫌われもするだろう。
「とにかく魔法があるってことは、聖水とやらで魔方陣を描けば安全地帯も作れるはずだ。そこで一休みして――ん? どした?」
“あ、あ、あ……”
瑞穂は再度ぺちゃんこ座りになると、詐欺に遭ったような顔で道行を見た……。
そして道行は、“……実際それに近いだろうな” と、我がことながら瑞穂に同情した。
・
・
・
(……どうやら俺は、本当に枝葉さんに嫌わちまったらしい)
プンプンプンッ! プンプンプンッ! プンプンプンプンプンプンプンッ!
と、河豚のように頬を膨らませてそっぽを向いてしまった瑞穂を見て、道行はやるせなく思った。
実際、魔法は発現し、空高は助かったのだから騙したことにはならないのだろうが……。
それでも緊急避難的措置だったとは言え、自分が信じてもいないことを信じ込ませたのだから、不誠実ではあったと思う。
なので道行は釈明はせずに、黙っていつものようにしょんぼりとした思いを抱いていた。
別に漢らしいわけではない。
ただ単に、言い訳をするのが億劫なだけだった。
「――ねぇ」
恐慌状態から回復したリンダが、瑞穂をなだめて? いる。
「空気悪くなるから、いい加減に機嫌直してよ」
“空気なら最初から悪い。問題にもならない”
……と、ツンッと取り付く島もない瑞穂。
「あんたたち、さっきまであんなに仲良かったじゃない。いったい何がそんなに気に食わないのよ?」
(……え? 仲良かったっけ、俺ら?)
道行としては内心、食いつかざるを得ない。
彼の感覚では、“仲が良い” とはもっと和やかで穏やかな関係を指す形容だと思っていた……。
“さっきまではさっきまで、これからはこれから!”
“こんな不誠実で不真面目な人は今まで見たことがない!”
どうやら瑞穂も、“さっきまでは自分と仲がよかった” と思っていてくれていたようだ。
ますます訳がわからなくなる、道行。
「……不誠実と不真面目ってどう違うんだ?」
訳がわからないので、ボリボリと頭を掻いてコミュニケーションを図ってみる……。
“そういうところが不誠実で不真面目だ”
“人の言葉尻を捕まえて重箱の隅を突く”
“挙句の果てには甘言を弄して人を操るなんてもっての他!”
火に油を注いでしまった……。
やはり道行はコミュ障だった……。
「そんなブリブリ言わなくても……」
もはや “処置無し” といった感じでため息を吐くリンダ。
道行の口車に乗せられた瑞穂が空高を癒やしたあと、道行はレクチャーされたとおり聖水で魔除けの魔方陣を描いて、キャンプという名前の安全地帯を造った。
おそらく血を流しすぎたのだろう。今は、眠っている空高が目が覚めるのを待っているところだ。
その間に道行は自分が倒した “
まさに “殺して奪う” ――
その行いも瑞穂は気に入らないようで、
“野蛮だ、残酷だ、不誠実で不真面目だ、こんなのは娯楽でもなんでもない”
とブリブリ言っていた。
(……彼女って、こんなに “怒りん坊” なのか?)
仕方なく、道行はまだコミュニケーションが取れるリンダに訊ねた。
(……普段は全然そんなことないんだけど、あなた瑞穂の琴線に触れちゃう人だわ)
(……あ? なんだそりゃ?)
そんな道行とリンダを、瑞穂が “不謹慎だ” と一喝する。
((……))
「……その状況とやらはどうなってるんだい?」
その時聞き知った声が、下から弱々しく響いた。
魔方陣の描かれた石畳に寝かされた空高が、薄らと目を開けて道行たちを見上げていた。
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本編はこちら
『迷宮保険』
https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742
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迷宮保険、初のスピンオフ
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