Another ③

 そして翌朝……。


 灰原道行のテンションは最低だった。

 目は覚めていたが覚醒からはほど遠く、昨日と同じ “あの何かがズレた感覚” にドップリと浸かり込んでいた。

 だからベッドから出もせずに(出られずに)、ボーッと見慣れた天井を見上げていた。

 元々低血圧気味で寝付きが悪く寝起きが悪い道行は、それでなくても朝が弱い。

 しかも昨日は妙にテンションが高かった貴理子にあちこち連れ回されて、ヘトヘトになっていた。

 日々剣道で鍛えている貴理子と、怠惰な生活を送っている自分とでは基礎体力が違いすぎる。

 足にまめが出来ていて、筋肉痛だった。

 一五分ほど前に空高が来て容赦なく身体を揺すっていったが、それでシャッキリするほど道行は人間ではない。


 しかし、いつまでもこうしてはいられない。

 道行は外見の印象とは違って、意外と小市民で小心者だ。

 堂々とバックレられるほど、図太くはない。

 したがって “行きたくねー度MAX” ではあったが、ノロノロとベッドを出て顔を洗って歯を磨き適当な服を着た。

 寝癖が酷かったが、貴理子が昨日最後まで『普段のままでいいんだからね!』を連呼していったのでこのままで行くことにする。

 どうせ自分は空高の付け合わせだ。

 せいぜい引き立て役になってやろう。


 朝飯を食べていては遅れそうだと思ったので、そのまま家を出た。

 目覚ましのコーヒーぐらい飲みたかったが、あまりだらしないと空高の評判にまで関わってしまう。この辺りのサジ加減が微妙だ。

 今日の自分の任務は、空高を引き立てつつ空高と星城の女子がくっつかないようにすることである。

 空高が貴理子に惚れているのは間違いないので、問題は星城の女子たちの方だ。

 それとなく貴理子の存在を匂わせるなりして、今日一日限りで空高の人生からご退場願わなければならない。


 まったく気が重い……。

 どう考えても自分のじゃない……。

 しかし、これも元はと言えば自分の不甲斐なさが招いた結果である。

 自分がもっとシャッキリしていれば、空高がこんな手の込んだ “誰も幸せになれない迷惑行為” に及ぶことはなかったのだ。

 全員が幸せ……は虫のよい話だとは思うので、せめてふたりが幸せになれるように努力すべきだろう。

 そしてそのふたりに、これまで努力してこなかった自分が入ってないのは、仕方のないことだ……。

 道行は何とも根暗な思考に取り憑かれながら、待ち合わせ場所の最寄り駅に向かった。


 駅前に着くと、ロータリーを “えっちらおっちら” 横切って、待ち合わせ場所の改札口に向かう。

 酸欠気味の脳味噌が、大欠伸を欲する。

 眠い……怠い……ひもじい……帰りたい。

 改札から少し離れた場所に、空高とふたりの女の子がいるのが見えた。

 向こうもこちらを発見したらしく、空高が呼ばわった。


「兄貴――道行みちゆき!」


「……ちょっと早かったか?」


「「「……」」」


 唖然とされた。

 道行はチラリと改札の時計を見た。

 集合時間よりも二分ほど早い。

 間違ったことは言ってないつもりだが……。

 空高は貴理子と同じで、約束の時間より一〇分早く集合するタイプだが、他のふたりの女の子もそうなのだろうか……。

 早くも疎外感を覚える道行だった。


「つ、つまり、こういう奴なんだ。今日一緒に行くのは」


「なんというか一瞬にして理解できた気がする……うん」


「ええと……」


 三者三様の反応をされ、微妙に気まずい顔をされる。


「……? どうした、行かねえのか? 映画だか、水族館だが、遊園地だか、そういうとこに? 行かねえなら帰って寝るぞ」


 もしかしたらなんらかの不測の事態が発生し、今日のお出掛けはお流れになったのかもしれない。

 道行の胸に淡い期待が湧く。

 もしそうなら、これ幸いに即座に回れ右だ。


「道行、取りあえず自己紹介しろよ」


 しかし、さすがにそこまで都合良くはないらしい。

 空高が竦め気味にした肩でうながした。


「まだしてなかったのか?」


「俺がしたら自己紹介じゃないだろ」


 もっともだ。


「……灰原道行。空高こいつの兄貴だ。一応」


「一卵性の双子なんだ……一応」


「「ええーっ!」」


 乾いた笑いを浮かべる空高に、(当たり前だが)初めて見る女の子が見事なユニゾンを披露した。

 ひとりは脱色した明るい髪を貴理子と同じポニーテールに結った活発そうな少女。

 もうひとりは癖のないストレートロングの少女で、艶やかな黒髪が豊かだった。

 道行にはよくわからなかったが、共にそれぞれの個性にあった服を着ているように見えた。


「ははは……大自然の脅威ってよくいわれるよ」


 弟の言葉に、今度は道行が肩を竦める番である。


「とにかく全員揃ったんだから、行こうか」


 自動改札を抜ける道行の背中に、ポニーテールの少女の声が届いた。


「よかったわねぇ、瑞穂。まさにあんた好みの男の子が現われたじゃない」



(……なんか、危なっかしいだな)


 灰原道行のその少女に対する、最初の印象であった。

 道行の劇的な登場によって名乗るタイミングを逸してしまった少女たちは、目的地である浦安のテーマパークに向かう列車内で、道々自己紹介をした。

 脱色したポニーテールの活発な娘が、林田 鈴はやしだ りん

 そしてストレートロングの礼儀正しい娘が、枝葉瑞穂えば みずほだった。

 鈴の方はすぐに空高と意気投合してペアになった。

 列車内でもすでにふたりだけの空間を作り出して、雑音をシャットアウトしてしまっている。

 Wデートなんて経験がないが、こんなに早い段階でペア分けなんてするとも思えないので、どうも最初から狙っていたようだ。

 必然的に余り者同士、道行は瑞穂とペアを組むことになった。

 道行が “危なっかしい” と思ったのは、この瑞穂である。


 とにかく礼儀正しい。

 初対面なのを差し引いても、同い年の道行に “ですます調 “の敬語で語りかけてくる。

 しかも “気遣いの人” なのか、押しつけられた格好である道行にも必死に話題を振ってくる。

 初対面な人間といきなり話せるほど社交性があるようにも見えないので、その姿はいっそ健気だった。

 それはいい。

 それはまあいいとして――。


 とにかく隙だらけなのである。

 間を持たせるために必死になのはわかるが、人を疑うことを知らないのか、自分の家族構成から生い立ち、趣味や好きな食べ物に至るまで、とにかく一生懸命話しいる。

 本人は大切なところはボカしているつもりなのだろうが、話の輪郭が明確すぎて

中心を少々ボカしたところでまったく意味がなかった。

 自分の同年代の異性の基準が、諸事隙のない片桐貴理子だということを割り引いても、この枝葉瑞穂という少女はよく言って天衣無縫……善良で純粋すぎるように見えた。

 悪意ある人間にはすぐに騙されてしまいそうだし、道で迷子のを見かけたら南極点まで手を引いていきそうだ。

 人を疑うということをお袋さんのお腹に忘れてきた……。


(……天然)


 ……なんだろうなぁ、やっぱり。


 道行はなんとなくではあるが、この瑞穂という少女が周囲からどんな目で見られていて、学校ではどんな立ち位置にいるのか想像ができてしまった。

 誰からも好かれ信頼されながらそれでいて庇護欲の対象にもなっている、年の離れた妹ともまた違う、一種独特な存在不思議ちゃん

 見る者によっては贅沢に思える人間。

 概ね幸福な人間関係を築いているのだろうが、それはそれで本人にしかわからない不満もありそうだ……。


(……って何を分析してやがる)


 道行は見えない拳で、自分の頭を小突いた。

 他者との関係を構築する際、まず分析から入って自分の立ち位置を確認してしまうのは、幼い頃に染みついてしまった道行の、今となっては悪癖である。

 その場その場で自分に求められている立ち位置――役割を割り出し、演じきる。

 幼少期は病弱だった空高と、空高に着きっきりだった両親。

 道行の居場所は三人の隙間にしかなく、しかもその時々で形を変えた。

 そして弟が健康になり不健全なロールプレイから解放されて以降、道行は反動で他者と健全に見える不健全な関係を築くのが億劫になってしまった。

 家族の隙間に合せ続けたきた彼の共生能力は、歪な形のまま固まってしまったのだ。


 結局道行はいつもと同じように、枝葉瑞穂と健全に見える関係を築くことを放棄した。

 この場合の健全に見えるとは、彼女の保護者然と振る舞うことである。

 結果はすぐに現われた。

 普段は温厚で誰にでも礼儀正しい瑞穂の表情が、プンスカと険しくなってきたのである。



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