Another ②

 道行はダイニングテーブルに貴理子の差し向かいに座った。

 熱くて苦いだけのインスタントコーヒーを啜る。

 ボケボケな頭でも、ちゃんと幼馴染みにも同じ物を淹れてやったのは、彼にしては上出来な気遣いだった。

 貴理子はシロップとミルクを多目に入れて、背筋をピンッと伸ばし、静かにカップに口を付けていた。

 これで眉根さえ寄ってなければ、“深層のご令嬢” と言っても決して過大な表現ではなかっただろう。

 要するに、黙ってコーヒーを飲みながら貴理子は詰問を続けている。


 道行は考えていた。

 どうやら俺は “空高と、星城の女子ふたりとWデートをする設定” になっている……らしい。

 そしてなぜかそのを、貴理子が知っているになっている。

 原因は不明。

 理由も不明。

 まったく意味がわからない。

 道行は決して馬鹿ではない。

 いや、むしろ純粋な頭の良さ――地頭の良さでは、学業では学年トップクラスのすら、彼には敵わないと心から認めている。

 だから、道行は思った。

 これはロールプレイだ。

 原因も理由も不明だが、ともかく今は “そういう設定” のシナリオとして自分の役割を演じるのだ。

 ゲームマスターが誰かを突き止めるのは後でいい。


 そう腹を括れば、貴理子が腹を立てている理由もすんなり理解できる。

 小学一年で知り合ったときからこれまで、何をするにも(ほぼ)一緒の御近所さんにして、もっとも近しい同年代の異性。

 その空高と道行が、自分を差し置いて他の女の子と遊びに行くのだという。

 これは傷ついて当然だ。

 “ハリー・ポッター” と “ロン・ウィーズリー” がダンスパーティーで、“ハーマイオニー・グレンジャー” を誘わないようなものだ。

 恋愛ごとに疎い道行でもあのシーンを見て、『こいつら馬鹿だ』と本気で思ったほどだ。


「――わかった。俺は明日行か。代わりにふたりでどっか行こう」


 恋愛ごとに疎い道行にとって、タイミングといい木訥?なセリフといい、まさに会心の一撃だった。

 事実、貴理子の顔にはこれまでの憤懣ややるせなさが吹き飛んで、パッと輝く笑顔が浮かんだ。

 道行にしても、顔も名前も知らない何処の誰とも知らない女と出かけるより、勝手知ったる幼馴染みと出かける方がいいに決まっている。

 Win-Winだ。

 

 ここで――。

 ここで貴理子が、素直に『うんっ!』と喜びを表わせる少女であったなら、ふたりの運命は大きく変っていただろう。

 しかし貴理子は、道行以上に恋愛に不器用な性格だった。


「そ、そんなの、駄目よ」


 喜びに顔を上気させながらも、背筋をビッと伸ばして口を尖らせる。


「だ、駄目なのか?」


「だ、駄目に決まってるでしょ。星城のはあなたも来るっていうからOKしたのかもしれないじゃない。今さらドタキャンなんて不誠実だわ」


 貴理子という少女は、とにかく複雑な性格をしている。

 生来が生真面目な性格な上に、愛情深くはあるが躾の厳しい両親の元に生まれたため、諸事隙がなく自分にも他人にも厳しい。悪く言えば融通が利かない。

 特に約束を破るなどのが大嫌いで許せなかった。

 さすがにむやみやたらに他者に強制したりはしないが、その分もっとも近しい存在である道行には容赦がない。


 なにより空高が行くのに道行がドタキャンでは、ふたりの評判にまた差が付いてしまう。

 学校での空高の評判は、明るく爽やかで誠実なイケメン。

 道行のそれは、出不精で、筆無精で、コミュ障の横着者。

 約束してもすぐに忘れられてすっぽかされるような、だらしないイメージを持たれている。

 道行ほど絶対に約束を守ってくれる人間など、貴理子は知らないのに――だ。


 この年代の女子のネットワークは凄まじい。

 特にSNSが発達している昨今は、学校の違いなど些末な問題でしかない。

 空高を狙っている女子は多く、一挙手一投足を注目されている。

 Wとはいえその空高がデートしたという噂は、LINEなどを通じてあっという間に拡散してしまうだろう。さらに道行がドタキャンしたとなれば格好の燃料投下だ。

 女子は残酷だ。

 空高を持ち上げて賛美するために、大した考えもなく道行を貶めるだろう。

 これまでもずっとそうだった。

 貴理子は、それが許せない。

 道行が他の女子と遊びに行くのは嫌だ。

 でも他の女子に蔑まれるのは絶対に許せない。


「……」


 道行は道行で、途方にくれていた。

 つまり……自分はどうすればいいんだ?

 貴理子の機嫌を直すにはどうすればいい?

 道行は、物臭で、身だしなみに無頓着で、淡泊――つまり、自分をアピールするアクの強さ積極性に欠けている。

 自然、恋愛にも奥手であり、その経験もない。

 初恋は目の前の少女にしたことは確かだが、それが成就することはなく、今や愛情と友情と兄弟愛がない交ぜになった、より深い感情に昇華してしまっていた。

 加えて心ではなく常に頭で考えてしまうのは、道行の長所でありまた短所でもあった。

 だから道行は他の同年代の少年が、心で考え悩み答えを出すべき問題を、頭で考えてしまった。

 そして道行は誤った判断を下してしまった。


(……なるほど。そういうことか)


(……要するに “空高” が他の女と遊びに行くのが嫌なのか)


 自分と空高と貴理子は、高校でも同じクラスである。

 そしてクラスメートから、空高と貴理子はお似合いのふたりと思われていた。

 高校で知り合った人間はふたりがまだ付き合っていないことを不思議がり、その理由を訊ねるのが常だった。

 そして原因は自分にあった――あるとされていた。

 男がふたり、女がひとりの幼馴染み。

 ふたりは成績優秀な美少年と美少女。

 残るひとりは……な野郎。

 美少女は……な野郎をおもんぱかって、好き合っている美少年と付き合えない。

 これがクラスメートの間で信じられている三人の関係構図であった。


 道行はやるせない思いに囚われた。

 実際、学校でも貴理子は何くれと無く道行の世話を焼いていて、道行と貴理子にとってはそれが小学校の頃からの当たり前の日常だった。

 しかし他の人間――特に高校で知り合ったクラスメートからは、道行のせいで空高と貴理子が付き合えないように見えていた。


 “聖女よね”

 “あいつさえいなければね……”


 辛辣で理解のない囁きは、聞く気が無くても届いてくる。

 道行は淡泊で無頓着な性格ながら、容姿端麗で成績優秀、おまけにスポーツ万能という絵に描いたような “勇者” 属性の空高に、コンプレックスに近い感情を抱いている。

 双子は嫌でも比べられる。

 道行とて多感な年頃である。

 複雑な感情を抱かない方がおかしいだろう。

 コンプレックスは自己評価の低さに繋がる。

 客観的に見ても、貴理子にお似合いなのは空高だと思っていた。

 客観的とは冷静に考え分析することであり、道行は常にこれであった。

 だから道行自身が、クラスメートの辛辣で理解のない分析には同意していた。


「――わかった。明日は俺も行く。行って空高がハメを外しすぎないように見張っておく」


(……というか、その女どもが必要以上に空高と親しくならないように見張っておく)


「そ、そう」


 複雑な表情で頷く貴理子を、道行は気の毒に思った。

 本当なら、空高自身に不満をぶつけたいのだろう。


(……まったくあの馬鹿が)


 道行は、さらにやるせなくなった。

 どういうつもりか知らないが……と、道行は双子の弟に憤りかたけてハタと思い当たった。


(いや、もしかしたら自分に彼女が出来るように気を回したのかもしれない)


 空高が貴理子に惚れているのは間違いのない事実だ。

 それなのに他の女とを組むなんてに合わない。

 となると……。


(……まったくあの馬鹿が)


 道行は、さらにさらにやるせなくなった。

 要するにこの問題の根幹は自分の “不甲斐なさ” にあって、自分がこれまでそういう方向の努力をしてこなかったせいで、貴理子と空高が振り回されているのだ。

 しっくりいった。

 ストンときた。


「……んじゃ、ちょっと行ってくる」


 このままじゃいかん、と道行は腰を上げた。

 一念発起にはほど遠いが、それでも最低限のことはしなければならないだろう。


「え? どこへ?」


「どこへって、床屋……」


 道行とて(一応は)年頃の少年である。

 同年代の異性と初めて会うのに、こんなボサボサ頭では行けないし、行きたくはない。


「そ、それなら必要ない! うん、必要ない!」


 なぜか声が裏返る貴理子。


(…………えーーーーーーっ???)


 それはさすがに無慈悲過ぎないか、貴理子……。

 道行は、さらにさらにさらにやるせなくなった。


「いや……さすがにそれは」


「だ、だって、それって詐欺でしょ! 詐欺よね? 詐欺だもん! 絶対!」


「……詐欺」


「そうよ、詐欺よ! デートの時だけ外面をよくするなんて不誠実だわ!」


「……不誠実は駄目で、不潔はいいのか?」


「ちゃんと洗えば不潔じゃないわよ!」


「……」


「いい、道行! あなたは普段どおりでいいの! 女の子はいつものあなたの姿が知りたいんだから! 特別なことをしちゃ駄目、かえってボロが出るから! 絶対出る! 絶対!」


 幼馴染みの美少女から絶対を連呼され、道行の “このままじゃいかん” は粉みじんに砕けてしまった。

 元々乗り気ではないのである。

 強いて彼女が欲しいとも思ってない。

 そもそも自分のような “野暮天 “を好きになってくれる、そんな “聖女” のような女の子が、そうそういるはずもない。

 それなら別に普段のままの “野暮天” でも構わないだろう。

 気を使わせた空高には悪いが、貴理子の言うとおり不自然な自分を見せて好かれたとしても、そんな好きは長続きしないに違いない……。


「……そうだな」


「そうよ!」


 道行はドサッと腰を下ろした。

 やるせなさのバッケンレコード……。

 こういう時の道行は、疲れ果てたグレートデンの老犬を思わせる。

 さすがに貴理子も気の毒に思ったのか、


「ねえ……」


「……あ?」


「よかったら予行演習に付き合ってあげようか?」


「予行演習?」


「う、うん。ほら、道行って女の子とあまり出かけたことないでしょ? これからちょっとふたりで練習に出かけてみない? ううん、みるべきよ。道行のために」


 なぜか恐い顔で貴理子が力説する。


「……まぁ、確かに」


 確かに道行は、貴理子以外の歳の近い女子と出かけたことはない。

 せいぜいが人気者である空高や貴理子のおまけで、カラオケだのプールだのといったクラスの非公式なイベントに参加した程度だ。


 ――でも、おまえで練習になるのか?


 だが道行は、その言葉を呑み込んだ。

 なぜなら目の前で幼馴染みの少女が、今日これまでで一番嬉しそうな顔をしていたからである。

 結局その日、道行は普段通り着の身着のままで貴理子と出かけ、方々連れ回されてヘトヘトになったが、機嫌を直した幼馴染みに安堵もした。


 そして翌日――道行は運命の朝を迎えるのである。



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