心の旅 Another

井上啓二

Another ①

 “灰原道行はいばら みちゆき” が目覚めると、当たり前だがそこは見慣れた自分の部屋だった。

 

 戸建て二階の六畳間の洋室。

 フローリングの床に、カーペットを含む敷物はなし。

 ブラインド越しに、梅雨入り前の日射しが差し込んでいた。

 高校受験が終わって二ヶ月、ほとんど使っていない勉強机にはうっすらと埃が積もっている。

 寝ているベッドの脇には雑多なジャンルの本が散乱していて、枕元には読みかけの文庫の他に、気に入った語彙やセリフ、意味が分からない単語などを抜き書きするためのメモ帳もある。

 道行はつい先日一六才になったばかりだが、なかなかにアナログ指向な持ち主で、読書は紙媒体、メモは手書き、ゲームはゲームブックという昭和テイスト溢れる少年だった。

 ごく限られた近しい友人からは、“おっさん” “爺むさい” と言われ、いつも臭い顔をしている。


 実際彼は物臭な性格であり、動作は緩慢で、身だしなみにも無頓着だった。

 同年代の少年と比べて背は高めで肉付きも薄くスタイルは良い方だったが、猫背気味な姿勢もあり、一見した印象がなんとなく “みすぼらしい”

 したがって同年代の女の子にはモテたためしがなく、爽やかイケメンキャラを確立して男女問わずクラスの人気者である双子の弟 “空高そらたか” の、よい引き立て役だった。

 いつしか、ついたあだ名が “背番号のないエース” である。

 道行にしてみれば、腹を立てればよいのか喜べばよいのか判断のつきかねるニックネームだったが、空高の方は露骨に嫌な顔をしていた……まぁ、これは当然だろう。


(……)


 道行はベッドから上半身を起し、見慣れた自室を視線だけ動かして観察していた。

 見慣れた自室。

 見慣れているはずの自室。

 それなのに覚える違和感。

 そう、先ほど目を覚まして以来道行は、見慣れているはずの自室にいた。

 部屋の景色が二重に見えるような……画像のピントがぼやけているような……。

 もちろんそんなはずはないのだが、とにかく意識の焦点が合ってない……ような気がするのだ。

 とんでもない夢を見たくせに、その夢をまったく思い出せない……そんなもどかしさに似た違和感だった。


 だが、道行は自他共に認める “淡泊” な少年だ。

 腹を立てることはあっても持続せず、思わぬ幸運が訪れても周りが拍子抜けするほどに冷静で、通知表の “情緒の安定” の項目だけは、いつも〇だった。

 なのでこの時も “違和感に違和感を覚えていた” のはほんの数瞬のことで、それは寝起き故のと判断・処理された。


 道行はのろのろとベッドから這い出ると、欠伸あくびすらもせずに、寝癖が爆発している頭をボリボリと掻いた。

 今日は確か土曜……だったはず。

 道行は三白眼な上に垂れ目で半開きという、およそ同情したくなる目で卓上の電子時計を見た。

 デジタル文字で “土” の文字が表示されている。間違いないようだ。

 どうにも頭がスッキリしない。

 コーヒーが必要だった。


 階段を降りていく途中で、ようやく一発目の欠伸が出た。

 その後、思い出したように三発。

 トイレに入り用を足すと、洗面所でお座なりに顔を洗い、練歯磨を付けた歯ブラシを口に突っ込む。

 洗面台の鏡には、シャコシャコ……と歯を磨いている “みすぼらしい” 少年が映っている。

 さすがに “目やに” は洗い流されていたが、目の下の濃い隈までは落としようがない。

 三白眼で垂れ目で半開きな上に、歌舞伎役者のような目立つ隈。

 いつもと変らぬ道行の顔であった。

 結局、顔を洗っても歯を磨いても微妙にズレた(ように感じる)彼の意識は解消されなかった。

 やはりコーヒーが、それもとびきり濃い奴が必要だった。


 長い手足を持て余すようにキリンのような動作でダイニングに行くと、が来ていた。

 幼馴染みの片桐かたぎり 貴理子きりこが、ダイニングのテーブルに両頬杖をついて、ムスッとした顔で道行を見つめて……睨んでいた。


「……なんか……忘れてる?」


 道行が真っ先に口にしたのは、“おはよう” でも “こんにちは” でも “ごきげんよう” でもなく、不機嫌な眼差しを向けてくる幼馴染みの真意を探る言葉だった。

 貴理子がこんな顔をしているときは、大概(というか確実に)自分に原因があり、それは自分のズボラさに起因していることが大半であった。

 おそらく今回も自分は、幼馴染みの少女の琴線に触れるような大切な事柄をド忘れしているのだろう。

 だから、道行は先手を打って謝罪の意味も込めて探りを入れた。


「……別に」


 全然 “別に” じゃない険のある視線で、貴理子がムスッと答えた。

 片桐貴理子は、長く豊かな黒髪を艶やかにポニーテールに結い上げた美少女である。

 切れ長な涼やかな目元に、通った鼻梁。

 小さく整った口元。

 “可愛いより” 明らかに “美しい” に振り切った顔の造形はまさしく “クールビューティー” のそれであった。


 ……あったのだが。

 

 今は何やら “雪女” のような凍破が発せられている……。

 貴理子は幼い頃より剣道を学んでいて、段位は二段。

 だがその腕前は三段にも勝る……と言われている。

 実際に中学時代には全国大会の――それも上位の常連だったのだ。

 全国の強豪と鎬を削ってきただけあって、その切れ長の目には目力が備わっている。

 なのでその目で “ムスッ” とされると、それは可愛いらしさ・愛らしさを感じるよりもマジで怖いのだ。

 道行は出来るだけ視線を合わせないように、電気ポットの湯でインスタントコーヒーを淹れる……。


「……それで行くの?」


「……行く……?」


 ガタッ!


「やっぱり忘れてる!」


「やっぱり忘れてるじゃねえか!」


 勢いよく立ち上がった貴理子が怒鳴り、道行が怒鳴り返す。

 幼馴染み同士の、妙ちきりんな応酬。


「行くんでしょ、明日! デゼニー・ランド! 星城の女の子たちと!」


「……あ?」


 ハトが豆鉄砲を喰らうとは、こういう表情を言うのだろうか。

 降って湧いたような貴理子の言葉に、道行はポカンとアホ面を晒した。

 星城……というのは、自分や空高や貴理子が通う学校とはまた別の、近隣の私立校である。

 その女の子と遊びにいく?

 明日?

 デゼニー・ランドに?

 誰が?

 俺が?


(……えーーーっ?)


「道行、男らしくない! 不誠実! そんなんじゃ一緒に行く女の子たちが可哀想!」


 悔しいやら悲しいやら、貴理子は今にも泣き出しそうである。

 品行方正にして冷静沈着。凛として清楚。絵に描いたような古式ゆかしい大和撫子な貴理子であるが、それは以外の人間に対してであって、灰原兄弟には年相応……というか結構わがままな女の子の素顔を見せる。


「ちょっと待て、おまえいったいなにを言って……」


 そういった時、道行の頭の中に “自分が空高に誘われ星城の女子ふたりとデゼニー・ランドに行く約束の記憶” がした。

 思い出したわけではない。

 突然、浮かび上がったのだ。

 なぜなら道行は、これより以前にそんな約束をした覚えなどにないからだ。

 それはもはや、“出現した” としか言いようがなかった。


「……あ」


 自分で自分に呆気にとられる道行。


「ほら! やっぱり忘れてた、不誠実!」


 急にフェミニズムに目覚めたのか、不誠実を連呼し道行を糾弾する貴理子。

 道行としては戸惑うばかりである。

 このボケた頭をシャッキリさせるには、熱くて濃いのがあと一〇杯は必要な気がした。



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