閑話休題 噂話
両親は酷い人物ではなかった。暴力を振るうこともなく、どちらかといえば慈しみ愛してくれた。
ただ、一点。優しい性格は暴力よりも酷い結末を産むのだ
ろくな食事もありつけないのに宿る命を降ろせもしない平民一家の後始末は何時だって親だけではなく子供にも降りかかる
奇しくも五兄弟の一番上という立場に産まれてしまった俺は10歳の頃には2人の弟を連れ1人の妹を背負い靴を磨く仕事をしていた
両親も勿論仕事をしていたが、母は妊娠の旅に仕事を辞めていたから信用が低くなり中々雇用してくれるところがなくなっていた。父も靴磨きをしており他のところより丁寧だと噂がたち評判がよかったがそれでも大人数を食べさせられる財力などない
満足に食べるものすらなく、パン一切れを家族6人で分けて食べる
勿論、家があり食べ物を食べられる生活は家も職も食べ物もない貧民街の生活に比べたらどれほどましだったかわからないだろうが、それはそれ。いつでも満足そうに靴を見て硬貨を投げ込む貴族たちが羨ましかった
いつもお腹がすいていたあの頃に手を差し伸べてくれたのは幼馴染というべき一人の少女。
マリーはパン屋の娘で、こっそり廃棄パンを俺たちにくれた。きっと、彼女の両親たちもあげていることはわかっていただろうが、見て見ぬふりをしてくれた
俺は何時も彼女に感謝してこの恩を返そうと思っていた
優しい人たちだった、彼女も、両親も
その瞳の奥に映るのが確かな同情だと理解していたからこそ
持っても無駄であろうプライドが胸を焼いたことも覚えている
同い年の少女に分けてもらったパンを焦って食べる弟や妹の姿を見て、俺は靴磨きよりも割のいい仕事を探すことにした
どこかの愛人に潜り込めたらそれはそれでよかったが、顔も不細工で体もやせ細っている俺を相手にしてくれる人はいない
だが、運はよかったのだろう
たまたま靴磨きの場所として利用させてくれていた酒場で知り合ったものが俺の境遇を知り自分の使えている家の主人に話を通してくれた
そこで、俺はレデアナ・ユークリフお嬢様と会ったのだ
平民たちは貴族の噂をよくする。それも酒場では特に口を滑らせる
レデアナ・ユークリフ
その名前は何度か聞いたことがあった
我儘なお嬢様
ユークリフ家で働く使用人たちが口をそろえてそう言っていた。我儘なお嬢様のせいで今日も人が居なくなった、水をかけられた、鞭でぶたれた
内容は様々だったが口をそろえて言っていたのは彼女の機嫌を損ねないほうがいいということ
正直話を通してくれた場所がそのお嬢様がいる屋敷だと聞いたときは辞退しようかと考えた
だが、聞いた報酬額は兄弟たちと両親を食べさせていける額だったから、すぐにその考えは吹き飛んで頷いていた
多分それは幼馴染のマリーの手を借りずに食べさせていけるという安堵感もあっただろう
掃除や洗濯、雑用だってやれることは何でもやった
自分の立場が弱い状態で自分が顔のいい方ではないと自覚していたからこそ少しでも周りの人に気に入られることを重点に置いた
暫くすれば骨と皮だった身体も肉付きが出てきて、馬車の運転だって任せてもらえるようになってきた
これで安泰だって思ったその時、彼女に会い馬車の運転を任せられた
最悪だ、折角今まで周囲から嫌われずに首にならずにすんでいたのに機嫌の悪い彼女の運転をしろだなんて
自然と震える体は恐怖か苛立ちからか、いつもなら丁寧に仕事を心がけるのに少し勇んでしまいやや乱暴になってしまった
馬がいつもより大きめに足を上げる、その瞬間
ドンっと何かがぶつかるような軽い音がした
俺にはそれが絶望の音にしか聞こえなかった
それこそお嬢様は平民の首を物理的に切るのなんか簡単だろう。正直、首以上のことを覚悟していた
だが、何故か俺は生きていた
彼女は俺が軽口を言っても仕方がないとばかりに微笑むだけで、罰としてトレーニングというものをさせるだけでそれ以外のことは何も言わなかった
勿論、トレーニングといっても運動内容は過酷なものではなく元々身を粉にして働いてきた俺の身体はすぐに慣れて普段より動きやすい体の調子に気が付いてからはむしろ積極的に迷惑をかけない程度のミスをしてトレーニングを受けていった
トレーニングを重ねるたびに一緒にトレーニングをするお嬢様と会話することが増えていったがこれはどうして中々の変人だった
きっと俺が生きている一番の理由はお嬢様が変人だからだろう
「お嬢様、今日はお嬢様の為に紅茶を用意しましたよ~」
「……あのねぇ、貴方最近軽口が増えてきたわよ」
「またまた~俺とお嬢様の仲じゃないですか」
「使用人と雇用主ね!」
軽口をたたいてウインクすると染まる頬
赤くなりながらも俺のペースに巻き込まれないと必死に動かす口元
トレーニングを開始した時からずっと張り付くようにいた婚約者は最近顔を出さない。そのことから目をそらすように他ごとに集中する彼女を休ませるのが最近の俺の役目だ
しっかりとした教育を受けている執事やメイドたちだと主人に何かを言うのは恐れ多いと口を噤んでしまうが、その点俺はその教育は受けてきていない。空気を呼んで口を閉ざすことはあるが挟める口ははさんでいる
内部にいて、彼女に近づいてわかったこと
彼女は俺みたいなものにもときめいてくれる変人で、メイドや使用人一同から愛されているご主人様だということ
噂話なんか当てにならないなと今日もお嬢様を見てそう思う
彼女の傍に居られるこの立場は存外悪くなかった
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