第2話 まずはダイエット

 生前の記憶が蘇った今、人生思った通りに行くことの方が少ないということを思い出した。思えば、すぐに諦めてしまう前世だったと思う。


 学業のこと。仕事のこと。

 遊びのことだって、どこまで本気で打ち込んだと言えるのか。


 自分がどうやって元の世界を去ったのかは、記憶にない。

 社会人になってブラックな企業で働いていたことくらいまでは覚えている。

 大方、仕事による過労死か、疲れてふらふらしながらの事故死か。

 たぶんそんなとこだろう。


 そう考えてみたら、悪役貴族への転生であろうと、今の状況は一つのチャンスと言えた。

 今度こそ、この人生でこそ俺は『やりきって』みせる。

 運命を変えるだけでなく、もっと欲求に素直な生き方をしたい。必要のない我慢なんて前の人生でコリゴリだ、俺はこのゲーム世界を制覇してやる。


 ――だがそのために。


「なにをするにしても、まずは体力が大事だと思うんだ」

「はいアユレトさま、リルミルもそのご意見に賛同します!」


 それにこの身体は、贅肉が付きすぎている。

 まずは『絞らなければ』ならないだろう、体力以前の問題だと思った。

 なので。


 邸宅の広い庭を、ひたすらに歩く。

 歩くと言っても、競歩のような速度でだ。


「アユレトさまー、あと一周したら休憩です。水分補給を忘れずに、とセイバさんがー」


 執事のセイバに頼んで、訓練メニューを作って貰った。

 セイバは今でこそ執事なぞをしているけど、若い頃は王都で名高いプラチナ級冒険者だったはずなのだ。それをゲーム知識で知っていた俺は、彼に身体を動かす基礎を教わることにしたわけだ。


「……どうして、わたくしに?」


 と最初セイバは訝しんだ。

 執事として働くうえで、彼は素性を隠していた。

 父上や母上は知っているのかもしれないが、少なくとも俺の前でセイバが武芸の技術などを匂わせたことは一度もない。


「おまえを見ていれば、身のこなしに隙がないことくらいわかる。強いのだろう? それが理由だと言ったら不服か?」


 そう答えた。

 口からまったくの出まかせで言ったわけじゃあない。生前の祖父が剣道の高段指導者だったのだけど、微笑みながら立つ姿がセイバにも似た佇まいだったように思えたのだ。


 セイバは少々びっくりした顔を俺に見せて、『今の俺に合った』訓練内容を考案してくれた。それが、まずは競歩でのダイエットだった。

 体重の重い者がいきなり走ると膝を悪くしてしまう。要は運動強度をだんだん上げていく前段階、最初の段階だ。


 たかが競歩、されど競歩。

 たぶんこの身体、アユレトの身体はこれまでまったく運動をしてこなかったに違いない。

 歩いているだけなのに、汗が凄い。息が上がる。大きく振るように、と言われていた腕が重い。


 俺は小声で呟いた。


「ステータス」


 すると視界に文字が浮かび上がる。


名前:アユレト・デルマ・アルゲイド

年齢:13歳

レベル:2

体力:5/10

魔力:20/20

生命:10/10

スキル:ヒーリングLv1


「お、レベルが2に上がってる」


 先日記憶を取り戻してからこちら、自分のステータスが見れるようになっていることに気がついた。元のゲームはアクションでありながらRPG要素もある攻略系ゲームだったので、もしやと思って呟いてみた結果だ。

 今の俺はごらんの通り、数値的に見えてしまうとホントに酷いものだった。


 とにかくこの世界、なにをするにも体力、また体力。

 身体は資本とは言ったもので、まずは動ける身体を目指していかないとなにもできない。頑張らねば。


「はいアユレトさま、お水ですー」

「ありがとうリルミル、助かるよ……あれ、この水って?」


 水を口に含むと、柑橘系の味がほのかに広がる。


「カプルの実の果汁を加えてみました、これ疲れが取れるんです」

「わざわざ手を加えてくれたんだ」

「ふふ、アユレトさまが頑張ってるんですもの。私も応援頑張らないと!」


 リルミルは本当に優しい。俺のことを思って、献身的に尽くしてくれている。そんな彼女の為にも頑張っていきたい。――おや?


体力:10/10


 おお。この水、本当に回復効果があるみたいだ。

 そういえばリルミルはゲーム内だと食事でパーティーメンバーをサポートするキャラだったっけ。この娘は、シェフ顔負けの大料理人へとなっていく。それも遠くない未来に。


「よし、またひと頑張りするか」

「もう少し休憩なさらないと。ご無理は身体を壊す元ですよ」

「リルミルの水が美味しかったからね。それに、この身体は無理をしないといけない身体なんだ」


 少し動いてみてわかった。

 この身体には怠惰が染みついている。


 動けない身体の億劫さは、心も蝕む。

 そりゃあアユレトの奴、金と権力に頼る生き方にもなるさ。なにをするにも『面倒くさい』という意識が心に忍び込んでくるんだもの。

 あいつが手っ取り早く結果を求める性質たちになるのは仕方がなかったのかもしれない。


 とはいえ、俺までその意識に飲み込まれてしまうわけにはいかない。

 染みついた怠惰を払拭するには、スパルタ式に自分を虐めつけるしかないのだ。


 だから俺は、セイバが組んだ訓練メニューの倍を行う。

 この件でセイバには一度怒られたのだけど、そこは譲れない。

 俺は知っているんだ。『俺』もまた、アユレト同様に怠け者であるということを。


 だから、俺は俺を虐める。


「頑張ってくださいアユレトさまー」


 手を振ってくるリルミルに片手で応えて俺はまた、歩き始めた。

 彼女の声援は実に俺の背中を支えてくれている。頑張ろう、という気になれる。応援というものがここまでの力を持っていると、これまで俺は知らなかった。

 それを教えてくれたリルミルに、感謝だ。


 歩く。歩くひたすらに競歩で歩く。

 一ヶ月も歩き続けたら、だいぶ身体が軽くなった。俺はジョギングを始めることにした。

 そしてさらに一ヶ月、持久走並みのマラソン訓練内容を変えていく。


 三ヶ月でみるみる痩せていった。

 太っていた身体を支える為ついていたのだろう、贅肉が落ち細身になっても意外に筋肉は残った。

 夜、寝る前に上半身裸になって鏡を覗き込んでみると、見事な細マッチョだ。


 アユレトの身体が、そうやって変わってきたということを自覚したのは、リルミルを供にして街まで買い物に出たある日のことだった。

 その日俺は、そろそろ稽古で使う為の剣を選ぼうと街に出たのだが。


「ねえ、あの人格好良くありませんこと?」

「本当、美形ですわね」

「どこの……誰なのでしょう」


 妙に視線を感じる。俺はリルミルに訊ねた。


「彼女たちはなんの話をしているんだ」

「気づいてないのですか、アユレトさまのことですよ」

「……俺?」

「はい。痩せたアユレトさまは、とても格好良いでございます」


 言われて店の窓を見た。

 アユレトの顔が写り込んでいる。確かに顔つきも引き締まって、あれ? こいつなかなか精悍な顔立ちだったんじゃないか、とどこか他人事のように評価をしてしまう。


 決して甘いマスクではない。

 険のある目つきでもある。だけど、人目を惹くちょいワル顔。


「アユレトさまにお仕えしてる私も、誇らしいです」

「そ、そうか?」

「毎日走っていた成果ですね、これは学校に行ったらきっとおモテになって大変に違いありません」


 心底嬉しそうに言うリルミルだ。

 最近のリルミルには、笑顔が絶えない。


「それはそれで悲しいのですけどね……」

「ん? 何か言ったか?」

「い、いえ!? 何でもありません! 頑張るアユレトさまを見てると、私も頑張らなきゃって思えてきます!」

「やめろ、テレる」

「うふふ。だから最近はシェフに料理を習っているんです。アユレトさまの栄養面を、少しでもサポートしたくって!」


 ――。あ。

 と言葉を失った。俺は、このとき初めて本当の意味でテレてしまった。

 思えばこれが、俺がアユレトになれた瞬間だったんだと思う。


 アユレトが、俺が、……俺の行動が、リルミルにポジティブな影響を与えることができたのだ。彼女の頑張りを引き出すことができたのだ。

 そう思ったとき、俺は初めて『頑張ってる』ことに自信を持てたのだった。


「そうか……」


 と気がつくと俺はリルミルに微笑んでいた。

 心の底から染み出た笑顔だったんだと思う。


「いつもすまないな、これからもサポートを頼む」

「もちろんです、アユレトさま!」


 彼女は屈託のない顔で笑ったのだった。


 ところでこの日、俺は剣を買った。

 邸宅にもたくさんの剣があったのに、なぜわざわざ買い物に出たのか。それにはわけがある。


 魔法剣の習得。

 俺がまず目指す先は、そこだ。その為の特別な剣を購入してきた。

 この日から半年、俺はセイバに剣技を習った。

 魔法剣は剣で当てないと効果が発動しないからな。剣の技術は大切だ。


「貴殿がアユレト・デルマ・アルゲイド?」


 ある日、走り込みの休憩中。突然に声を掛けられた。女性だった。

 年齢は不詳、若そうにも見えるが落ち着いた物腰は不思議な年輪を感じさせる。

 ライオンの毛のごとくワイルドに跳ねた髪の毛は、見事な金色。片目に眼帯を付けたその女性は、緑の目で品定めをするように俺を見ている。


 マントに皮の鎧、腰には剣。

 が、ただの剣ではない。あれは杖剣と呼ばれる魔法を扱う為の剣だ。

 俺は微笑みながら言葉を返した。


「そういう貴女はエミリ・ハードナッシュ。プラチナ級冒険者の」

「え、まさか魔剣のエミリ!? ――あ、す、すみません」


 横でリルミルが驚きの声を上げた。

 そう、今をときめく現役最上級の冒険者。それが彼女だ。


「エミリさまが、どうしてこんなところに!?」

「リルミル、冒険者が貴族の邸宅まで出向くなんて理由は一つだ。それは仕事の依頼があったということさ」

「その通りですよ、依頼がありました。旧知のセイバからです。貴殿の魔法教師をしてくれないか、とね」


 丁寧だが、どこか不満げな雰囲気でエミリが言う。

 それを執事のセイバに要請して貰ったのは俺だ。


「普通は笑い飛ばして終わりの案件なのですが、セイバには借りがありますので一応来てみました。ですが」

「『教えるかどうかは、これから決める』……ですよね?」

「お察し頂けて助かります」


 俺がエミリとセイバの間柄を知っていたのもゲーム知識があったからだ。

 彼女をわざわざ呼んで貰ったのには理由がある。それは、彼女がこの先『ゲーム主人公』の師匠となるはずの人だったからだ。


 もちろん実力は、この世界の現強さランキングで五本指にも入る人で、今の俺なんかが頼んでも挑んでも、本来なら箸にも棒にも掛からないハズの相手である。


 そんなことはわかっている。

 だが俺は、運命を変えなくてはならない。これから起こるであろう歴史を、積極的に壊していかなくてはならない。


 だから、ここでエミリだ。

 主人公に先んじて、彼女に俺の先生になってもらう。


「早速ですが、試験を始めさせてもらっていいかな? アユレト殿」

「望むところですよ、エミリ先生・・

「果たしてあたしを先生と呼ぶことになりますかね……じゃあ始めましょう」


 俺は昨日買った杖剣を構えた。このために買った杖剣だ。

 エミリ先生は、にんまりと。笑いながら剣を抜く。次の瞬間。


 ヒュン。と剣が振られた。

 俺はそれをかわす。気がついたらかわせてた。


「ほう? 実戦経験がおありでしたか」

「いや、まったくの初めてだよ」

「ふふ、ははは! なるほど、あのセイバが私に頼んできただけのことはある!」


 そう、これが本来のエミリだ。

 無類の戦闘好きで、強い。

 納得させるにはそれだけの強さを見せつける必要がある。だがこの半年、俺もただ鍛えていたわけじゃない。


「勝たせてもらいますよ」


 俺は杖剣を振りかぶった。

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