10時30分、始まりの鬨 3

 時間割というのは、全ての学校で共通している訳ではない。授業時間も休憩時間も、ホームルームの時間や授業の開始時刻なども、細かく見ていけば違いがあるものだ。

 弘海学園では、授業時間が四十五分。休憩時間は十分、昼休みが五十分。ホームルームは十分、となっている。木曜日を除いて授業は六限まであり、六限目の終了時刻は午後二時四十分。移動時間やホームルームが合わせて二十分で、午後三時には終業のチャイムが鳴る。私立の高校では七限目が設けられている場合もあるが、公立校では六限目までが普通だ。

 三限目が始まる直前の、午前十時二十七分。

 愛乃と恵漣が一限、二限と授業を抜け出し黄昏れていた、北館屋上の扉が開かれる。

「………あれ、田中島ちゃんじゃん」

 屋上に現れたのは妙子で、先に彼女の姿に気付いた恵漣が、ホワイトチョコレートを一欠片摘まみながら手を振った。

 一瞬嫌そうな表情をした妙子だが、余計な摩擦を生むのは避けたい、と渋々二人の近くへと移動する。

「珍しくね、田中島ちゃんがサボってんの」

「ああ、まぁ。………二人は、よくサボってるよな」

 タルいしねー、と欠伸を噛み殺した愛乃が、恵漣からホワイトチョコを一欠片もらって、それを口に放り込む。

 妙子が三限目を抜け出すことにした理由は、雲雀の試合風景を見る為だ。勝つとは思っていないが、自信がある様な口振りだったので、せめて観戦くらいはするべきか………と、そう考えた上でのサボりである。決して愛乃や恵漣の様に、日常的に教室を抜け出している訳ではない。

 妙子が"カフ"の画面に夏季大会公式ページを表示して、関東ブロック、神奈川県、逗子市、池子・十二所果樹園仮設フィールド………と選択する。そしてウィンドウサイズを500mmx400mmに設定し、画面位置を固定して、試合開始を待つ。

「ニュース?」

 愛乃が無遠慮に画面を覗き込み、妙子が一瞬不機嫌になる。しかしそれよりも、この派手な少女の口からニュースという単語が出たことが、妙に可笑しく感じられた。

「東雲の試合」

 妙子が端的に答えると、愛乃と恵漣が互いに顔を見合わせて、そういえばそんなことを言っていた気がするな、と思い出す。雲雀とは毎日教室で顔を合わせているし、夜にも通話をすることがある。その際に聞いたのだろう。

「きらっちも入ったんだっけ、CS部」

 きらっち、というのは碧羽のことだ。それまではあまり面識が無かった碧羽と愛乃、恵漣も、雲雀が来てからは頻繁に話す間柄になった。苗字呼びは距離がある、と考えて、また適当な渾名を付けたのだ。

「確か、もう一人入ったらしーよ。猪ノ口ちゃんとかなんとか」

「へー。じゃ、今六人?二週間くらいでよく増やしたな、ひばこ」

 二人の会話を聞き流し、妙子は画面の中に意識を向ける。もう試合は始まっていて、雲雀達は行動を開始していた。

 妙子は仮設フィールドの情報を別ウィンドウで表示して、ほぼ建造物の無い土地だと確認すると、やはり雲雀達の勝利は有り得ないな、と小さく鼻を鳴らす。

 妙子は、桜山演習場の記録映像にも目を通していた。生真面目な性格だから、というのもあるが、単純に雲雀の練習風景に興味を抱いたのだ。その為、彼女がパルクールを駆使して一色高校の二人を翻弄したことも、それで勝利を収めたことも知っている。

 しかし、真里奈同様に、森林地帯では雲雀の強味を活かすことができないだろう、と考えたらしい。

「あれ、愛乃に恵漣………と、田中島さんもいる」

「珍しい組み合わせ。てか、今ウチのクラス、普段より七人少ないじゃん」

「二十七人クラスかぁ。少子化再来?」

 桃子、苺花、梨果の三人までもが屋上へとやってきて、また各段と騒がしさを増す。

 ここに来たのは失敗だったな、と後悔する妙子だが、今更場所を変えるのも面倒だ。何より、移動中に見つかったら観戦どころではなくなってしまう。

「とっこ達もサボり?今日サボり魔多くね?」

「学級崩壊、始まってんね」

 あんたらが言うな、と反射的に突っ込もうとして、今は自分もその内の一人だったな、とその資格が無いことに気付く妙子。

(あーもう、何でこう、東雲と仲いいやつばっか集まるかね)

 やはり友好関係モンスターだ、と教室での雲雀を思い出す。

 魅明とは違って、性格的に人付き合いをあまり好まない妙子。それとは正反対に、幼少期に親から愛を与えられなかったことで人付き合いを好む雲雀。唯一の共通点といえば銃があるが、まさか中学時代に購入したドラグーンで接点が出来てしまうとは、妙な因果があったものである。

(………他にも、なんかいいやつ持ってんのかな)

 ドラグーンは彼女の祖父の形見らしいが、と妙子は雲雀が所持している銃の数と種類を想像する。

 ベレッタM93R、ワルサーP38のゲシュタポモデル、Vz61、ハイスタンダード・デリンジャー。これらは朝練で撃っている場面を見たことがあるので知っているが、リボルバーも所持しているのだろうか。

 妙子の好みは、端的に言えば"面倒な銃"だ。西部開拓時代の、文字通り一発に命が懸かる物に強い興味を抱いている。射撃場では早撃ちもしており、単純な射撃技術だけで言えば、雲雀よりも高い。

 同じ地球バッジを持っている者同士、話をしたいと思うこともある。資格持ちの学生は珍しいが、弘海学園には現在、地球バッジを所持している生徒が三人もいるのだ。青地球バッジの試験内容も気になる。

 しかし、ガンマニアというのは面倒この上ない性格をしているものだ。それぞれに好みがある為、議論と主義主張が白熱して、結果口論に至ることも珍しくない。雲雀が入部する際にそうならなかったのは、流とは比較的好みが近いからだ。といっても、地球バッジを持っていない流は個人で銃を買えない為、部室に残されていた物しか使えないのだが。

(P38のゲシュタポは、正直ちょっと気になるけど………)

 不思議な雰囲気の赤毛の少女に興味を抱き始めている自分に、妙子は気付く。そういう星の下に生まれ付いたのか、或いは別の要因があるのか、雲雀は妙子が嫌っている"常に群れの中心にいる"人物だ。本来ならば、顔を合わせることすらなかった筈である。

「田中島さんも雲雀の応援?」

 梨果が妙子の"カフ"の画面を覗き込む。この物言いから察するに、三人が屋上まで来た理由も同じなのだろう。碧羽がこの場にいれば「親戚のおばちゃんだ」と呟いたかもしれないが、彼女も同類である以上、その資格は無い。というより、流達に笑われるだろう。

 画面の向こうでは、まだ戦闘は始まっていない。開始から十数分程度では、様子見の段階だ。


 ────明日の試合で私達が勝ったら、君は入部する。そしたら、このドラグーンは君の物。練習でも試合でも、好きなだけ撃ってほしい


 雲雀の言葉を思い出し、何故祖父の形見を他人に預ける様な真似を、と頭を捻る。しかし、大して時間を要さずに、その答えを見つけることができてしまう。

 雲雀は妙子に、銃は金と同じで、使われないと死ぬだけだと言った。その価値観は、妙子にもよく理解できる。

 インテリアとして終わらせるくらいであれば、使われた方が良い。銃は人が手に持ち撃ってこそ、銃であることを示せるのだ。

 射撃場にいるだけで満足できる。銃口を的に向け、撃鉄を起こし、引き金を引く。それだけで十分に、妙子の人生は彩られる。

 しかし、考えたことがない訳ではない。

 大戦前後でその意味は根本から変わったとはいえ、で銃を使ってみたい、と思ったことも、無い訳ではないのだ。

 かつて人を殺す為の道具だった銃は、競技の道具となった。

 表向き戦争が消えた世界で、三億人以上が射撃経験を持ち、その多くが疑似近代戦闘という競技に身を置く。

 それは、非公式なジュニア大会で。

 学生の公式大会で。

 社会人チームで。

 或いは地元のクラブで。

 そして極一部は、プロの選手として。

 道を歩けばそれらと擦れ違う程の数の人間が、人に銃口を向け、引き金を引いている。

 その世界に興味が無いと言えば、嘘になる。

 銃を使って人を"殺す"のではなく、"倒す"という実感。

 妙子も、心の奥底では、それを得ることを望んでいる。

(見透かされてるみたいで、ちょっと腹が立つな)

 妙子が瞼を下ろし、初めて銃を握った時のことを思い浮かべる。

 手の中の銃の重み。射撃時の反動。そして撃つ度に的に近付いていく、弾痕。その時にも匹敵する興奮が、徐々に体の内から溢れ出てくるのを、感じる。

 一瞬でも背を押されたと感じてしまった以上は、こちらも腹を括らねば女が廃るというものだ。

「────………大口叩いて敗けたら、盛大に笑ってやる」

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