10時30分、始まりの鬨 2

 全世界三億人以上の競技人口を誇るといっても、全ての都市に試合会場フィールドが置かれている訳ではない。試合会場となる土地を持っていない都市では、地区内の会場を使うか、或いは市内に仮設フィールドを置くのが普通だ。

 後者の場合、フィールドは山間部などに限定される。これは特に地方都市や田舎に顕著で、逗子市もその一つだった。

「他はいいよねぇ。スタジアムとか吾妻島とか森林公園とか港とか、フィールド沢山あってさ」

 池子・十二所果樹園仮設フィールドの一角。清掃はされているものの古さが些か心許無い小さな建物、控室として利用されるその中で、流が愚痴の様に零す。

 この仮設フィールドでは、四百メートル四方のエリアで試合を行うことになる。国内全体で見ても総面積がかなり狭い部類に入る為、制限時間を大幅に残して勝敗が決まるのが常だ。

 かつてはベッドタウンとして観光地の仲間に数えられた逗子市も、海面の上昇により海水浴という娯楽がほぼ消えたこの時代では、ただの閑静な地方都市に過ぎない。

 鎌倉、横須賀、横浜、葉山といった、隣接する都市にはそれぞれ専用のフィールドが最低でも一つはあるが、この逗子にはそれが無い。葉山町を挟んで南にある三浦市にも、当然専用フィールドが置かれている。その為、周辺で仮設フィールドで試合を行うのは、逗子市だけなのだ。

 というより、県内では逗子市が少数派である。他は大半が市内町内に会場を持つか、或いは県内西側の山岳地帯で試合を行うのだ。そもそも、会場のすぐ横に控室があること自体、中々見ない光景である。

 その冷遇振りに憤る流だったが、言ったところで始まらない。観客用の建物すらないこの場所では今一つ盛り上がりに欠けるが、無名の地方都市の定めとして受け入れる他にないだろう。

 六月六日、金曜日。

 午前十時九分。

 夏季地区予選一回戦の、第一試合。それが始まる、約二十分前。

 各々装備の最終確認を終えた雲雀達六人は、初戦から実に九人という人数差を相手にすることとなっていた。地方都市のとはいえ、流石は昨年の市内代表校といったところだろうか。初戦から上限人数である十五人を投入とは、太っ腹なことである。

 尤も、市内に三つしか高校が無いのだから、初戦から準決勝という滑稽振りなのだが。

 しかし、地方都市の高校とはいえ、弘海学園以外の二校はそれなりに成績を修めている。だが、人数差は覚悟していたが、流石に池政高校の生徒の物言いには腹が立った。

「もー、ホント何なのあいつら。なぁにが『どうせ初戦敗退なのに出場するとか、こっちの練習時間奪うつもり?』だよ!敗ける前提で出場するバカがどこにおるんじゃぁ!!」

 漫画風に擬音を付けるのならば、やはりムッキーとでもなるのだろうか。流の憤慨振りは、相当なものだった。それに対して碧羽は、雲雀個人が侮辱された訳ではないから、と大して気にする様子も無い。

 どうどう、と流を宥める織芽。その二人に、真里奈が笑い掛ける。

「やる気十分、結構なことじゃないか。存分に下剋上してやるといいさ」

 真里奈は顧問とはいえ、学生時代に競技経験がある、というだけだ。まだ腕は錆び付いていないものの、元より選手として名を残せるだけの実力は無かった。その上、雲雀が入部してからは彼女の方が教えるのが上手かった為に、あまり顧問らしい助言もしてやれなかったな、と若干後悔もしている。

 それでも、経験者と未経験者では戦術の立て方や気構えからして違うだろう。最終確認も兼ねて全員が真里奈に視線を集める中、彼女はジタンの煙を宙に躍らせた。

「相手は間違い無く、お前達を舐め腐ってる。実際人数差もあるし、総合的な実力じゃ相手にならないだろ。………が、戦闘ってのは、どれだけ相手を引っ掻き回せるかで決まる。その点、弘海ウチは及第点だ。東雲がいるからな」

 雲雀の動きは初見殺しだが、それは裏を返せば、ということでもある。

 しかし、一つ大きな問題があった。

「だが、このフィールドには建物が少ない。普段はハイキングコースだしな。つまり、東雲の強味は活かせないと思え」

「はい」

「猪ノ口」

 授業の最中であるかの様に、魅明が挙手をする。彼女はふざけている訳ではないのだが、真里奈は便乗する様に、悪戯っぽく笑って魅明を指した。

「えっと、要するに大ピンチ、ってことですか………?」

「非常に分かり易くてよろしい。そう、大ピンチだ。高低差はあるが森林地帯で、相手はこっちよりも九人多い。囲まれれば終わりで、東雲のパルクールを活かせる地形でもない。オマケに昨年の市内代表校ときたもんだ」

 しかしその真里奈の意見に、雲雀が手を挙げて反論する。

「市街地以外でも、同じ様な動きはできる。それに、建造物が皆無な訳じゃない。木の上に隠れることもできる」

「一理あるが、それでもお前の強味は市街地での立体的な動きだ。確かに目を奪われる技術ではあったけど、過信すると足元を掬われるぞ。物理的にも、な」

 パルクールは派手な動きで見栄えが良いが、死と隣り合わせだ。何度も言う様に、疑似近代戦闘というのは危険の多い競技である。相乗効果でどの様な大事故に発展しても、おかしくはない。

「いつも言っていることだがな。何よりもまず、身の安全を優先しろ。想いはそれぞれあるだろうし、それに対してたかが顧問の私が口を出すことは無い。存分に上を目指せばいい」

 だが、とジタンを一吸いして、真里奈は続ける。

「どんな競技にも危険はあるが、CSのそれは、決して不慮の事故とはならない。注意していれば防げるものばかりだ。だから、勝ちに固執するな。大怪我負ったり死ぬくらいなら、さっさと敗けて来年に備えろ。………絶対に、だ。何があっても、無茶だけはするな」

 生徒の葬儀になんて出たくないからな────と、携帯灰皿でジタンを消す。

 真里奈の忠告は、特に雲雀に対して向けられたものだ。流達からある程度の事情は聞いているし、彼女の実力も桜山演習場で目にした。

 しかし真里奈は、不注意から怪我を負い、それが元で引退した人間を知っている。どれだけ優秀であろうとも、一度の慢心で簡単に選手生命が終わってしまう。それが疑似近代戦闘という競技だ。

「それさえ守れるなら、あとは楽しめばいい。どれだけ気負ったところで、何を目標にしたところで、楽しめない奴に先なんざないからな」

 自嘲する様に笑って、真里奈は締める。そして、そろそろだな、と"カフ"で時刻を確認して、六人を見送るべく控室の扉を開け、建物の外に出た。

 この仮設フィールドで使用される座標は、桜山演習場と同じく二十五メートル刻みだ。しかし先に述べた通り、正規の会場と比べて圧倒的に狭い。四百メートル四方の森林地帯では、どれだけ長くとも、試合時間は二時間未満となるだろう。

 試合時間が予定よりも短い場合、準決勝までは開催時刻が繰り上がる仕組みとなっている。その為、地方の地区予選などでは、僅か数日で全ての日程が終わることも珍しくない。

 ブロック予選が始まるのは六月の第三月曜日で、地区予選最終日はその二日前。仮に五日で地区予選の優勝校が決まったとするならば、残りの二週間弱は練習期間として使用することができるという訳だ。

 とはいえ、この時代では平日に部活動の大会に出場しても、公欠扱いにはならない。出場選手となった生徒は別途補習授業に参加することが義務付けられている為、大抵の場合はそちらに時間を割かれることになる。当然、全校生徒で応援に行く様なことも有り得ない。

 これは生徒の親達の────というより世論によって変更されたもので、大半は好意的に受け取られたのだが、補修を嫌って優秀な選手が大会出場を断念する、という事態も招いている。その為、スポーツ連盟などは大会出場選手の授業欠席を再び公欠扱いにするべきだ、と主張し、それに対してと考える生徒の親が反発する………という構図が、もう数十年も続いていた。

「じゃあ、行ってこい。全員、怪我すんなよ」

 開始地点への移動は、両チーム同時に行われる訳ではない。これは、対戦校のコンソールフラッグの位置が試合開始時にのみ通知される、というルールがあるからだ。

 同時に開始地点に移動しては、移動中に対策と方針を立てることが出来てしまう。それでは競技の趣旨に反する為、対戦校の開始地点でさえも、試合開始のその瞬間までは不明となるのだ。とはいえ、この狭い会場では、それがどれ程の効果を発揮するのか疑問である。

 六人の生徒達の背中を見送った真里奈が、先程の自分の言葉を反芻する様にして、苦笑する。

(楽しまない奴に、先なんてない………か)

 もう一本、ジタンを取り出した真里奈は、慣れた手付きでブックマッチで火を付ける。そして、そういえばブックマッチの付け方を教えてきたのはだったな、と懐かしい顔を思い浮かべた。

 未成年でまだ煙草を吸っていなかったというのに、よくもまあこんな面倒な物を知っていたものだ────と呆れた様に笑った真里奈は、所々に雲が掛かっている少し燻んだ初夏の空を見上げて、心の中で友人に問い掛ける。

(お前は楽しそうだよな。………なぁ、雲類鷲うるわし。お前のいるは………どんな景色なんだ?)

 連絡を取り合っていても、顔を合わせる機会など殆ど無い。

 挫折した自分と、進み続けた彼女。

 真里奈は堅実な未来を選び、彼女は理想の未来を掴んだ。

 その違いはやはり、なのではなかったのか────今更考えても仕方の無い小さな後悔だけが、彼女の胸中をぐるりぐるりと、静かに回っている。いや、桶の底に石ころを沈めて、それがいつか砕けて溶ける様に、と水に手を入れ、無意味に掻き回し続けている。

 或いはあの時、彼女と同じ道を選んでいたのならば────と、栓の無い考えばかりが浮かんで、紫煙と共に口内から静かに漏れ出て、消えていく。

 高校時代の後輩の顔を思い浮かべた真里奈は、比較的大きな雲が二つに分かれていく様を見つめながら、煙を空へと溶かしていくのだった。

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