オペレーション:ポッシビリティ 12

 ザリガニはこの時代でも、溝川などに棲息している。小さな子供達が夏休みにザリガニ釣りに興じる、という光景も、まだ過去のものとはなっていない。といっても、雲雀達六人の中でザリガニ釣りをしたことがあるのは、碧羽だけなのだが。

 ザリガニというのは不思議なもので、ハサミ部分に枝でもあれば、本能的に掴んでしまう。そして基本的に離さない為、簡単に釣り上げられてしまうのだ。その後は水槽の中に入れられて、夏休みが終わる頃には死んでいるのが話の落ちである。

「わ、分かった、分かったから、どっちも落ち着け。取り敢えずライト消して、銃も下ろしてくれ」

「ザリガニさんを抑えててくれるなら、そうする」

「ザリガニじゃねぇっつってんだろ!」

「黙ってろ水原。抑えとくから、ライト止めてくれ」

 ふぅ、と息を吐いて、雲雀がライトを消し、コルト81tbの銃口を下ろす。しかしセーフティは掛けずに、胸の下辺りでいつでも構えられる様に持ったままだ。

「………落ち着いたか?」

「落ち着く訳ねっすよ。っあー、イライラする」

「カリカリするのは殻だけにした方がいい、ザリガニさん」

「んだとテメェ!ザリガニザリガニうっせぇんだよ、ボキャブラリー母胎に忘れたのか!!取りに行け母胎に!!母胎から人生やり直せ臍の緒クソ女!!」

 育児放棄を受けていた、と知っている魅明以外の四人が、雲雀の表情を伺う。しかし特に気にした様子もなく、寧ろ雲雀は、心の内で「突っ込みの方向性が独特なザリガニだ」なんて思っていた。

「ちょ、水原、落ち着けって。あんたもあんま煽んないでくれよ」

「無理」

 雲雀は見た目に反して、割と血の気が多く、そしてかなり粘着質だ。一度でも友好的な関係を構築できない、と考えれば、徹底的に自分の前から排除しようとする。それもただ排除するのではなく、逆上させて自分を攻撃させ、正当防衛という形に変えて、だ。に恐ろしきは女の攻撃性、である。

 雲雀がエゾオコジョが好きなのは、自分と少し似ているからなのかもなー、なんてことを、碧羽は考えた。寮の雲雀の部屋に入った際に、エゾオコジョの魅力について小一時間聞かされたことを思い出しているらしい。

「何の騒ぎだ、これ」

 そこに真里奈が戻ってきて、状況を理解しようと周囲を見回す。ベンチで眠る一色高校の顧問を見て呆れた後、真里奈は雲雀と水原、部長の間に体を割って入れ、距離を取らせた。

「で、説明は?」

「そこのちっさい猿が、」

「殴るよ?」

 水原が雲雀を猿と呼んだ次の瞬間、いつの間にか水原の隣に移動していた碧羽が、笑顔のままに言葉を遮った。

「雲雀が猿なら大抵の人間は水揚げされた深海魚なの、分かんない?ザリガニには区別付かない?脳味噌どこでお散歩してんの?出汁取られて溶けたの?」

 教室などでは他の面々のブレーキ役………として機能しているかは疑問だが、雲雀を愛でることが少ないのが碧羽だ。しかし、それは桃子達が度を越えている為に、自制しているだけに過ぎない。

 面食いでない人間など、そうはいないのだ。それが友人として最適な内面を持っているのであれば、尚のこと親しくしたいと感じるものだろう。

 尤も、血の気が多く粘着質という性格が、友人に適しているかは何とも言えないが。

「余計なこと言って場を引っ掻き回すな。ヴィンセントかお前は」

 碧羽のベストの襟を掴んで水原から剥がし、改めて状況を問う真里奈。

「そこのちっさい………ちっさいのが、喧嘩売ってきたんすよ」

 途中で碧羽に笑顔で睨まれ、水原が言葉を詰まらせる。碧羽からは、本気の殺意が漏れ出ていた。

「ふむ。で、東雲の言い分は?」

「特に無いです」

「非を認めるってことか?」

「いえ。悪いのはザリガニさんだけど、特に言い分は無い、って意味です」

 真里奈は雲雀を見て、自己完結型だな、とジタンを取り出す。雲雀の中ではこの一件は既に整理された後で、彼我の善悪も、線引きされているのだろう。

 問題児の中でも、特に面倒なタイプだ────と、真里奈は許可を求めずにジタンに火を付ける。

 疑似近代戦闘競技者同士が演習場で顔を合わせて、乱闘寸前にまで事態が悪化する。特に珍しくもないし、そういう場合では、雲雀の様に自衛用火器を取り出す者も多い。

 自衛用火器に関しては、自らの安全を守る為の手段である以上、正当性が認められれば大きな問題になることは少ない。

 この場で問題となるのは、その正当性が雲雀にあるのか、という点なのだが………

「私はよく見てなかったんで分からないんですけど、ウチの水原が先に手を出そうとしたのは、本当みたいです」

 部長が部員の一人を見ながら発言する。

「あんなん言われたら、誰だってキレるっての」

「それで掴み掛かったなら、法的にはお前が悪い」

 犯罪発生率が増加したことで、とある考えが消えた。武器対等の原則と呼ばれたものである。

 相手が素手ならば素手で、刃物ならば刃物でと、対等と言える手段でのみ正当防衛は成立する、と考えられていたのは、最早過去の汚点にすらなっている。

 そもそも、相手の脅威度というのは、一見しただけでは分からないものだ。素人がナイフを手にするのと治安維持部隊がナイフを手にするのとでは、根本からしてまるで違う。

 故にこの時代の自己防衛に対する考え方は、一つ。

 攻撃されそうになったら、攻撃される前に攻撃しろ。

 でなければ死ぬ。或いは、重傷を負わされ、障害が残る場合もある。表向き戦争が消えただけで平和とは程遠い時代では、そうでなければただの被害者となるのだ。

 どれだけ侮辱され、逆上しても、先に手を出そうとしたのならば、死なない程度の暴力に曝される。最低でも、その覚悟は必要となるのだ。

 水原は寧ろ、雲雀が引き金を引かなかったことに感謝しなくてはならない。撃たれていても文句は言えない状況だったのだ。その状況を作り出したのが雲雀だったとしても、法に照らせば水原は悪となる。

「収まりつかねぇよ、クソが」

 屋根の柱を蹴り、水原が毒吐く。

 それは雲雀も同じらしく、試合前の実戦練習の相手に丁度良いか、と水原に提案をする。

「収まりつかないなら、いい方法がある」

「あ?」

「一対一の実戦訓練。そっちが敗けたら、二度と有に近付かないで。私が敗けたら………うん、君程度には敗けないから、いい」

 再び青筋を立てる水原。しかし、実際に雲雀と水原との差は、試合を経験しているか否かの一点のみだ。公式試合に関しては水原も未経験だが。

 先程、水原は雲雀の動きに反応できていなかった。ならば、純粋な実力では雲雀の方が上だろう。事実として「敗けは無い」と言い放った雲雀だが、当然水原には侮辱に聞こえる筈だ。

 無論、これも全て、雲雀が煽った結果である。

「怪我とかしない様に注意するなら、まぁいいんじゃないか。そっちの顧問が許可すれば、だけど」

 これだけの騒ぎでも全く起きる気配のない一色高校の顧問────どうやら佐々原ささはらというらしいが、その佐々原に全員が視線を向けて、呆れる。

「それ、私もやる」

 碧羽の参加意思表明に、弘海学園の部員全員が驚く。

 一対一の実戦訓練とは言うが、特にそういう決闘的なルールがある訳ではない。単純に突発的な合同練習の一部として、雲雀と水原が戦闘をする、というものだ。人数が増えても問題は無いのであればと、ある程度ルールを把握した碧羽が水原を睨む。

 雲雀がその、碧羽の横顔を不思議そうに眺める。

「碧羽はまだ、そういう段階じゃないと思うけど」

「知ってる。でもあの深海ザリガニ、雲雀のこと猿って言った。絶対許さん。………いや、マジで、絶対に許さん」

 こんなに可愛いのに、と殺気と怒気を放つ碧羽。部内では雲雀を愛玩動物的に愛でる者はいないかと思われていたが、どうやら碧羽は桃子達側だったらしい。

元木もとぎ部長、一緒にやって下さいよ」

 二対二になった、と水原が部長の元木を呼ぶ。それに元木は、

「何でお前の尻拭いしなきゃいけないんだよ」

 と不満そうにするが、渋々了承した。

「あい………あい、あい………。あい、わかりました、どぞ」

 一色高校の顧問、佐々原が、半分夢の世界に意識を残したままに合同練習の許可を出す。顧問以前に教師としてあるまじき対応だ、と真里奈が不機嫌になる中、戦闘エリアが市街地に決まる。

「あの、ひーちゃん………」

 ダンプポーチからマガジンを取り出し弾を込めていく雲雀に、有が話し掛ける。

「何?」

「えっと………なんて言うか、なんか、ごめんね」

「問題無い。実戦形式の練習がしたいと思っていた」

 雲雀がマガジンをベストや腰のポーチへと仕舞う。

 雲雀のベストには、左胸にグレネードポーチが一つ、左腹部にVz61の二十連マガジンが二つずつ入るポーチが三つ。右腹部には腰に装備していたJK2が、その柄の下にグレネードポーチ、右胸にはグレネードポーチが二つ、取り付けられている。

 マガジンポーチは左腰にも二つあるが、こちらはM84のマガジンが一つずつ入れられている。その後ろにダンプポーチを下げ、右腰には前からタクティカルライト用、バルスカ用のポーチ、そしてM84のホルスターが見える。

「開始地点はS. 10C, CM。それぞれ東と南に展開し、10Gか6Cから市街地へ突入。突入までは発砲禁止だ」

 疑似近代戦闘で使われる座標はUTMグリッドと似ているが、その競技エリアでのみ通じるものだ。

 例えば、桜山演習場の市街戦訓練場は、周囲の森林地帯も含めて七万五千平方メートルの面積がある。長さ三百七十五メートル、幅二百メートルの長方形の区画だ。

 これに二十五メートル毎に縦横の線を引き、横に数時、縦にアルファベットを割り当てる。数字は右から、アルファベットは下から始まる為、左上の区画であれば1Hとなる訳だ。

 その二十五メートル四方の区画を更に五メートル毎に分け、こちらはアルファベットのみで座標を表す。

 真里奈が指定した開始地点は、市街地南東の中心となる位置。そして10Gと6Cは、それぞれ市街地の北東端と南西端となる。始めの『S.』は、『市街戦訓練場』の意だ。

「やり過ぎるなよ。どっちもな」

 雲雀と碧羽、水原と元木が市街戦訓練場へと向かうのを見送って、残りの面々が"カフ"を装着して起動する。雲雀達の戦闘の様子を見る為だ。

 真里奈は携帯灰皿でジタンの火を消すと、これも青春かねぇ、と遠い目をするのだった。

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