オペレーション:ポッシビリティ 11

 雲雀はふと、一人の女子生徒が有を見ていることに気付く。先程部長に叱責されていた生徒だ。

 有は綺麗な、艶のある黒髪をしている。愛嬌のある顔立ちだし、纏う雰囲気も穏やかだ。雲雀とはまた違った方向性だが、見る人を和ませる少女だと言えるだろう。

 それで見惚れているのかな………と雲雀が考えていると、その女子生徒は失くしていた玩具を見つけた様に笑って、小走りで駆け寄ってきた。

「なぁ、アンタ長瀬ながせだろ」

 長瀬と呼ばれた有が、一瞬体を固くする。このやり取りだけで、碧羽と魅明以外の三人は、『長瀬』というのは有が古宮夫妻に引き取られる前の姓なのだろう、と察する。

「私のこと忘れた?小学校一緒だったろ」

「えっと………」

 雲雀、流、織芽の三人は、大崎浜の上での会話を全て記憶している。有は九歳までを葉山町の施設で過ごしたと話したが、家のことや施設のことが原因で友人は出来なかった、とも言っていた。

 そこでふと、雲雀は疑問を抱く。

 生まれてからずっと施設で育った人間に、家庭の事情など無いだろう。施設暮らしということで色眼鏡で見られた、というならば分かるが、家のことや施設のことで、という言い回しは引っ掛かる。

 有は自分を捨て子だったと言ったが、生まれてすぐに施設に預けられ、親の顔を知らない者だけを捨て子と呼ぶ訳ではない。

「背中大丈夫?見てやろうか?」

「だ、大丈夫なので。お気遣い無く………」

 事情を全く知らない碧羽と魅明も、有の態度が普段と明らかに違うことに気付く。

水原みずはらー。あんま他校の邪魔すんなー」

 部長に呼ばれ、水原は振り返る。

「こいつ、小学校の時の知り合いなんすよ。ちょっと話していっすかね?」

「対戦するかもしんねーんだぞ」

「大丈夫っしょ、無名校っすよ?」

 部長や他の部員は真面そうだが、と雲雀は水原に冷たい視線を送る。別段目立つ容姿ではないが、こういう手合いが最も質が悪いのだ、と雲雀は身を以て知っていた。

 雲雀は人に好かれることが多いが、それは彼女の仕草やコミュニケーション能力によるものだ。間違っても超常的な何かではない。周囲に人が集まり易い、というだけで、万人に好かれる訳ではないのだ。

 生家がそこそこ金のある家柄だからと近付いてきた者もいたし、祖父との二人暮らしに対して、言い掛かりや侮辱でしかないあらぬ疑いを掛けられたり、といった経験もしている。

 人に好かれ易い振る舞いが出来るというのは、観察力の高さの証明だ。相手の好むもの、好まないもの、受け入れられ易い仕草などを少しの会話で把握して、その上で敢えて、普段通りの口調で接する。雲雀の無感情にも聞こえる喋り方は、相手との距離感を決める為のふるいでもあるのだ。

 流や織芽にしても、似た様なものだろう。育った環境によって、人の他者への観察力は変わる。

 だから雲雀は、有と水原の間に割って入って、水原という女が最も喰い付きそうな言葉を選んで、言った。

「早く練習に戻った方がいい。無名の弱小校同士で、時間を無駄にし合っても仕方が無い」

 有は明らかに、水原との会話を苦痛に感じている。幼少期に何があったのかなど、推察するまでもないだろう。

 数秒雲雀の言葉の意味を考えていた水原が、遠回しに虚仮にされたと理解して詰め寄る。

「ちょいちょい、今なんつった?」

「光学迷彩イヤーマフでも着けてるの?無名校同士、余分に使える時間は無い、って言った」

 雲雀の発言は、何も的外れな罵倒ではない。葉山町の代表校は毎年ほぼ同じで、それは一色高校ではないのだ。葉山町には四つの高校があるが、一色高校は弘海学園と同じく、大会に出場した年の殆どで、地区予選敗退に終わっている。要するに無名の、弱小校なのだ。

 人の精神は、"事実"に対して脆い。雲雀はそれを、よく知っていた。

「勝手に無名校扱いしないでもらえる?ウチらの格落としたいのは分かるけどさぁ」

 しかし水原は、自分が所属する高校が無名校である、と認めたくないらしい。無名校に在籍しているということは、特殊な事情が無い限りは水原の実力も察しの通りだろう。だが、自尊心が強い人間はそれを認めない。

「困った。落とせる程の格がある様には見えない。どうすればそれ以上落とせる?」

 雲雀が言葉を返す度に、水原の額に血管が浮き出る。

「あのさぁ。コッチはアンタらと違って、マジでやってんのよ。仲良しこよしでやってんじゃねーの。チヤホヤされてまーす、みたいな奴がいると迷惑なんだよ。分かる?」

 水原の言葉に、雲雀が少し顔を伏せて謝罪する。

「そう。それは悪いことを言った。確かに君は友達とかいなさそうだから、少し配慮すべきだった。謝る。君じゃ無理だろうけど、友達作りが上手くいく様に、噴水に小石でも投げてあげる」

 雲雀の怒涛の煽り文句に、流達五人が仲裁もせずに動きを止める。普段の雲雀を知っている分、ここまで的確に相手を逆上させられるとは、と驚いたのだ。

 雲雀は、口元の小さな動きや瞳の奥、手などの仕草で感情表現を行っている。しかし今は全身で無表情を作っており、有はそれに、思わず雲雀の服の裾を掴む。

 水原は額に血管を浮かべるだけでは足らず、少し浅黒い肌を赤くしている。

 その様子に雲雀は、ザリガニみたいだ、と感想を抱いて、心の中で水原に『茹でザリガニ』の渾名を付けた。

「何、友達百人出来たの?それとも、顔がいいとか思って調子に乗って、勝手に輪に入ってくるタイプ?いるよなー、そういうイタい奴。実際は猿みたいな顔面してんのにさ」

 鼻筋と眉間に皺を作りつつも、余裕があるように鼻で笑ってみせる水原。その水原に、雲雀は憐れむ様な視線を向ける。

「そんなに自虐しなくていい」

「は?別にしてねーけど」

「人の顔立ちを気にするのは、自分の外見にコンプレックスを抱いてるから。君はまず中身が不細工だから、鏡を見て気に病む必要は無い」

 それ以前の問題、と今度は雲雀が鼻で笑う。

 あまりにも態とらしかった為、流達五人は、それが更に逆上を誘う為の演技だと気付く。しかし水原への効果は高かった様で、雲雀の胸倉を────

「痛っ………」

 ────掴むことはできずに、その手を雲雀に払われて、左肩の付け根………鎖骨の外側を強く押され、後ろに蹌踉めいた。

 尚も雲雀に掴み掛ろうとする水原の目元に、強い光が当てられる。雲雀が取り出した、タクティカルライトの光だ。

 手で光を遮る茹で水原。雲雀は点灯モードをストロボに変え、水原の顔に照射したまま、リュックサック側面のホルスターから自衛用火器であるコルト81tbを取り出し、セーフティを解除して、その銃口をザリーへと向ける。

「おい!」

 何か言い争ってるな、程度の認識で放置していた一色高校の部長と数名の部員が、乱闘騒ぎにまで発展してから漸く、雲雀達の屋根の下へと駆け寄ってくる。

 雲雀は僅かに左手首を動かして、その全員の目にストロボを当てる。そして、水原以外は真面そうだ、という評価を改めた。普通ならば、ここまで事態が悪化する前に止めに入るところだ。水原の方から声を掛けたのは、彼女達も知っているのだから。

 いや、それ以前に、顧問不在の雲雀達は兎も角として、一色高校の顧問は何をしているのだろう。と、魅明があわあわとしながら隣の屋根の下を見ると、顧問の女はベンチに寝転んで寝息を立てていた。

「先に手を出そうとしたのは、そのザリガニさん………えっと、水瓶さん?だから」

「誰がザリガニだ!水瓶でもねぇ!私は星座じゃねぇ!」

 水原の返し文句に、思わず流と碧羽が笑い声を漏らす。その口を織芽と魅明が押さえ、笑われたことに水原が更に激高する。夏の初めの放課後の、愉快なワンシーンだ。B級映画の冒頭にでもすると良いだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る