オペレーション:ポッシビリティ 10
雲雀と碧羽が集合地点に戻ってきたのは、既に演習場が暗くなった午後六時三十一分のことだった。
有と魅明が屋根の下のベンチで体を休めていて、目の前のエントリー訓練場からは真里奈の声が聞こえる。
「ひーちゃん、どんな感じだったー?」
隣のベンチに腰を下ろした碧羽に、有がどのような練習をしたのか、と訊ねる。
碧羽は呼吸を整えながら雲雀を指さして、
「なんかこう、バケモンって感じ」
と、呆れ半分関心半分に答えた。
雲雀と碧羽の訓練は単純かつ体力を必要とするものだったが、雲雀の動きは碧羽が見た試合映像のどれとも違っていた。パルクールが得意だと聞いていた碧羽も、「人間ってこんな風に動けるんだ」と表情を消してしまった程だ。
「二人の方はどうだったの?」
雲雀が自身の"カフ"を手に近くの自販機へと駆け寄る様を眺めつつ、碧羽が聞き返す。すると手帳の様な物────スナイパー用のデータブックと睨み合っていた魅明が頭から湯気を出して、ベンチの背凭れに体を預けた。
「全然です………。覚えること多くて」
「観測手がいないと狙撃はできないからねー。あたしを活かせるかはめいちゃん次第だよー」
とは言うが、有も特別狙撃の腕が良い訳ではない。狙撃手には風や空気抵抗を考え弾道を計算する能力と、何よりも忍耐力が必要となる。多少射撃経験がある程度では、本来は狙撃手にはなれない。
しかし、今の部員の中で最も向いているのが有であることに変わりは無い。雲雀はあれで忍耐強くはないし、流と織芽は技術力が足りず、碧羽と魅明は素人だ。気性が穏やかな有以外では、同じ場所で長時間待機し続けるだけでも気が触れてしまうだろう。
「うへー、疲れたぁ………」
蹌踉けながら現れた流と織芽が、台車に銃を置いてその場に座る。二人は仮想コンソールフラッグである直方体を真里奈から防衛する、という訓練を行っていたのだが、ブランクがあるとはいえ、流石に競技経験者の相手にはならなかった様だ。
「お疲れ。飲む?」
両手に七本の飲料水を抱えた雲雀が戻ってきて、その水を見せる。真里奈を除いた五人が感謝の言葉を口にしつつそれを受け取ると、雲雀は残った二本の内、一本を真里奈の前へと差し出した。
「いや、流石に生徒に奢らせるのはちょっと………」
「ついでなので」
ぐいぐいとペットボトルを押し付ける雲雀に根負けして、真里奈がそれを受け取る。
「少しずつ飲んで。一気には駄目」
流、碧羽、魅明がペットボトルを呷ろうとするのを止めて、雲雀も一口水を含む。
「………そろそろ移動した方がいいな。どうするかね」
"カフ"を着けて時刻を確認した真里奈が、西に視線を向けてから、六人に次の訓練場所を決める様に促す。時間的には、一色高校とやらがエントリー訓練場に現れる頃だ。
「市街地がいいなー。入り組んだ地形での狙撃はしたことないから、練習したいしー」
有が手を挙げて、先程まで雲雀と碧羽がいた市街エリアでの訓練を求める。周囲を森で囲まれた市街地での試合、というのは稀だが、市街地外縁部の森林地帯から、或いは市街地内部からの狙撃は、未経験の者には荷が重い。
狙撃手は、敵の意識外からの攻撃と防衛が可能な存在だ。動きが少なく地味でありながら、試合を最も左右する役職であると言えるだろう。三日後の試合までに戦力の底上げが可能な部分があるとすれば、それは有に経験を積ませることだ。
「じゃ、野戦エリアを抜けつつ市街エリアに向かうか。ライトとか持って来てるか?」
真里奈の確認に、雲雀と魅明が頷く。しかし、魅明が取り出したのは、何の変哲も無い小型の懐中電灯だった。
「帰りが遅くなるならって、お母さんが持たせてくれました」
珍しく得意げな表情をする魅明だが、その肩を雲雀がとんとんと叩いて、
「それ、使い物にならない」
と、身も蓋もなく言い放つ。
「ぇ、つ、使えないんですか?でもほら、ちゃんと点きますよ?」
カチカチカチ、と押し込み式のサイドスイッチを操作する魅明。
「夜道を歩くだけならいいけど、競技には使えない」
「でも、これもライトだし………」
「ウェポンライトかヘッドライト、タクティカルライトじゃないと、駄目」
「か、懐中電灯は………」
「使えない」
あまりにも直球過ぎる雲雀の物言いに、その場にいた全員が苦笑する。
魅明は泣く泣くその懐中電灯をポシェットに仕舞うと、「懐中電灯に人権を………」とベンチに座った。
「ヒバりんのライトは?」
その魅明の背を有と共に擦りながら、流が雲雀のライトに興味を向ける。
雲雀がライトポーチから取り出したタクティカルライトを見た流が、どこかで見た気はするが、と頭を捻って思い出そうとする。
「米沢ファクトリーのやつか、それ?ガーディアン・ネオだっけか」
真里奈が覗き込んで、雲雀のタクティカルライトの名を口にする。
「ガーディアン・ネオ03です」
「一番新しいやつか。っても七年前だけど」
初代よりも小型軽量化が成されたそれを見て、真里奈は意外だなと雲雀の顔を眺める。戦前や戦時中の、軍などに正式配備されていた銃を殆ど使わない雲雀が、実用性重視なタクティカルライトを所持しているとは思わなかったらしい。
「じゃ、受付でレンタルしてくるか。ここで待っててくれ」
既に日は落ち、照明が設置されている休憩所以外は暗くなっている。ナイトビジョンもあれば良いのだが、流石にレンタル料が高くつくだろう。
真里奈が"カフ"のライト機能を使って周囲を照らし、本館へと歩いていく。
「お腹空いたー」
有の一言で、全員が若干の空腹感に気付く。売店で何か買っておくんだったと後悔するが、食後は集中力が低下するものだ。激しい運動をすれば消化不良を起こす可能性もある為、腹に入れるにしてもゼリー飲料程度が望ましい。
九時に訓練を終えるとして、こみや食堂のラストオーダーには間に合わない。今日は適当に有り物で済ませるしかないだろう、と雲雀が肩を落とす。
「古宮さんの実家、食堂なんだ」
「そーだよー。今度食べに来てねー」
雲雀から借りたタクティカルライトを弄り、流の顔に光を当てながら営業する有。
「うへっあ!?ちょ、ゆっち、ストロボ止めて!」
「ラ、ラーメンとかあります………?」
「ラーメンは無いなー。でも餃子と焼売ならあるよー」
「ゆっち、ゆっち聞いてる?顔面照射止めて眩しいから」
「ネットに店舗情報とかメニュー表とか上げてるから、よかったら見てねー」
店内は若干古風に見えたが、どうやら宣伝面は有が行っているらしい。中々にちゃっかりした娘である。
「おー、これ凄いねー。ながちゃん無力化かんりょーだー」
タクティカルライトを雲雀に返し、流が手で目を覆う様子を観察する有。何故自分が実験台に、と有の突然の行動に口元をひくひくとさせながら、しかし試合でも使えそうだ、と有効性を改めて認識する。
使い易いタクティカルライトというのは決して安くはないが、学生大会でも使用している者はそれなりにいる。こちらは手榴弾やベストなどと違ってレンタルはできないが、一つくらいは買っておいても良いかもしれない。
売店に置いてあったかな、と流と織芽が相談していると、不意に少し離れた場所から声が聞こえてくる。
「ったく、もう四十五分過ぎてるじゃねぇか。他校も使ってんだぞ、モタモタすんな」
「えー、いいじゃないっすか。相手の練習時間奪えたってことで」
「バカ。演習場は時間厳守だ。後で反省会やるからな」
複数の足音が次第に近付き、休憩所の照明の下に九人の学生と、一人の女性の姿が浮かび上がる。恐らく、葉山町立一色高校の生徒とその顧問だろう。
部長らしき少女が部員を叱責しているが、向こうの予定は『六時三十五分に野戦エリアからエントリー訓練場への移動を開始する』というものだった。薬莢などは職員が清掃するが、最低限の片付けを行い十分程度で移動を終えたのであれば、責められる程ではない。
その、部長らしき少女が雲雀達を見て足を止める。
「ああもう、ほら、待たせちまってるじゃねぇか」
草臥れた様子の顧問を脇に、部長が一歩前に出て頭を下げる。
「すみません、移動に手間取って。一色高校なんですけど、エントリー訓練場ってもう使って大丈夫ですか?」
流がベンチから腰を上げて、いえいえと手を振って対応する。
「気にしないでいいですよ。ウチもライトとかのレンタル待ちなので。あ、訓練場は使ってもらって大丈夫です」
珍しく部長らしい口調だ、と一同が関心する中で、一色高校の生徒達は数メートル離れた隣の屋根の下に集まり、荷物を置く。顧問の女性は特に何かを指示することもなく、大きく溜め息を吐きながら、年寄り臭い仕草でベンチ座った。
大人は色々あるのだろう、と流と織芽が合掌する。将来を憂う若者に反面教師にされたことなど知らず、草臥れた女性は、ベンチの背凭れにだらりと体を預けた。
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