オレペーション:ポッシビリティ 5
「………あ」
「あ、雲母さん」
五月二十九日、木曜日の放課後。
北館一階の第二職員室の前で、前日の放課後と同じ様に、碧羽と魅明は鉢合わせた。
弘海学園では、毎週木曜の放課後に職員会議が行われる。その為授業は五限までしかなく、帰宅部の生徒は午後二時を過ぎれば帰路に就くのが普通だ。
といっても、教室に残って談笑している生徒も少なくない。
基本的にこの日は部活動も休みになるのだが、青地球バッジを所持している雲雀がいる為、女子疑似近代戦闘部にはあまり関係の無い話だった。
「再入部の話をしに来たの?」
「あ、は、はい。まぁ、その、そうですね」
碧羽の質問に、魅明は頬を掻きながら答える。魅明は碧羽の用事の方に興味がある様子だが、他者とのコミュニケーションに慣れていないからか、自分から訊ねることはしない。
コンコンコン、と碧羽が扉を叩いて、第二職員室へと入る。その後ろに隠れる様にして魅明も続き、二人は室内を見回して、目当ての人物の下へと近付いていく。
「雲母か。昨夜の件だよな?………と、猪ノ口も一緒か」
おや、と魅明は碧羽の方を見て首を傾げる。女子疑似近代戦闘部への再入部の件で話がある自分は兎も角、碧羽が真里奈にどの様な用事があるのだろう、と疑問に思ったらしい。
しかし、そういえば碧羽は真里奈が担任を務めているB組の生徒だったな、と思い出す。
魅明は半分程碧羽の体に隠れながらも、碧羽が担任に悩み相談を持ち掛けに来たのであれば、自分の要件を先に伝えて退散しよう………と、真里奈に再入部の件を口にする。
「あ、あの。えっと」
「ん?どうした?」
「えっと、その………。さ、再入部、してみようかな、なんて………」
魅明の意外な言葉に、真里奈は取り出そうとしていた煙草の箱を落としそうになる。四十年程前と違って現在は規制が緩和されたとはいえ、生徒の前で煙草を嗜もうとするのは教師として如何なものだろう。銘柄がジタンというのも、嫁に行き遅れた女にしては気合いが入り過ぎている。
「CS部に再入部したい、ってことか?」
「え、あ、えと、はい」
「猪ノ口はCS好きじゃなかっただろ。急にどうした?」
真里奈は責める様な口調ではなかったが、元々あまり女性的な話し方ではない。故に普段通りに話していても、時折誤解を生むことがある。魅明の様な気の弱い人間には尚更だ。
「ご、ごめんなさい。勝手に辞めて、また入りたいって………。む、無責任、ですよね」
ふむ、と真里奈はジタンの箱を机の上に置き、まずは教職者としての意見を口にする。
「確かに、少し無責任かもな。どういう経緯で女川がお前を誘ったかは知らないけど、入部を決めたのは猪ノ口自身だ。一度入部したら辞めるなとは言わないが、辞めた後になって『やっぱりやります』じゃ責任感に欠ける」
縮こまる魅明に今度は優し気に笑い掛け、真里奈は続ける。
「だが、部活なんて結局、大半は趣味だ。趣味に取り組むのも興味を持つのも自由で、それには気分の波がある。勿論、気が乗らないからやりません、気分がいいのでやります………ってのは論外だが、短い学生生活で何に力を入れるかも自由だ」
吸っていいか?とジタンの箱を二人に見せた真里奈は、許可を得ると一本取り出してフィルターの底を数回机に叩きつける。ジタンを口に銜えるとポケットから二十本入りのブックマッチを取り出して、ジタンに火を付け、マッチの火を蓋の部分で弾く様にして消した彼女は、一吸いすると満足そうな表情を浮かべた。
「普通のライターじゃないんですね。コンビニとかで買えるやつ」
父が喫煙者である碧羽が、ブックマッチで火を付けた真里奈に何気無しに聞く。
すると真里奈は、ゆっくりとジタンをもう一口吸って煙を吐き出し、鼻を鳴らして答える。
「私はな、使い捨てライターでタバコに火を付ける人間を信用しない。どうせ吸うのも、マルボロとかJPとかセッタとかマイセ………いや、メビウスとかだろうしな。浪漫も拘りも無い人間にはなりたくない」
「そんなだから行き遅れるんですよ」
「よし、お前だけ夏休みの課題を倍にしよう」
真里奈が笑顔のまま額に青筋を浮かべる。
彼女は今年で二十九歳だ。そろそろ本気で婚活を始めないとやばいなー、と既に行き遅れた身でありながら、日夜婚活サイトを覗いている。
一時は平均結婚年齢が三十五歳前後にまで上がった日本だが、現在は男が二十七歳、女は二十四歳程度にまで下がっている。つまり、真里奈はその平均結婚年齢から考えても、完全に行き遅れた状態と言えた。
こほん、と咳払いをした真里奈が話を戻す。
「まぁ、要するにだ。無責任かもしれないけど、別に兎や角言う程でもない。子供の多少の無責任に逐一説教垂れる程、私は大人の自覚に欠けちゃいないしな」
「面倒な拘りはあるのに、大人の自覚は欠けてない………?」
「バッカお前、世間の荒波に揉まれに揉まれた大人だからこそ、自分にはコレっていう拘りを持つもんなんだよ」
だとしたら大人にはなりたくないな、と碧羽と魅明は口には出さずに同じことを思い、望まぬ形で将来に不安を覚えた。
「最低限の筋を通せば、私から言うことは無いよ。"カフ"出してくれ。空の入部届送るから」
最低限の筋、というのは、流達への謝罪を指しているのだろう。それに魅明が頷くのを見てから、真里奈は自身の"カフ"を操作して、まだ何も記入されていない入部届のデータを魅明の"カフ"へと送信した。
「んで、雲母は?」
魅明が入部届に学年や名前などを記入している姿を指さして、碧羽は答える。
「昨日の夜に伝えた通りです。CS部に入ろうかなって」
魅明の時程ではないにせよ、真里奈は碧羽の発言を意外に感じていた。入学から約二か月、この時期に態々どこかの部に入るというのは、雲雀の様な転入生でもない限りは中々に珍しい。
驚いたのは魅明も同じらしく、暫しその手が止まる。
「銃に興味がある様には見えないけど………。東雲に誘われたってとこか?」
「はい」
「そっか。仲いいもんな、お前ら」
青春だなぁ、と紫煙を燻らせながら、真里奈は噛み締める様に呟く。自身の学生時代を思い出しているのだろう。
真里奈も高校時代は疑似近代戦闘部に所属していたが、当時の部員や級友達で現在も連絡を取り合っているのは、部の後輩だった一人だけだ。
学生時代から男の気配が無く、教職に就いてからは出会い自体がほぼ皆無。多少の恋愛経験はあれど全て上手くいかず、極々偶に後輩と飲みに行くと同級生のあいつが結婚したとか、どいつの子供が何歳になったとかを聞かされる。
灰色の人生に遠い目をした真里奈は、ふっと諦めた様な笑みを零して、ジタンを灰皿に押し付けて火を消した。
「入部はいいけど、その前に」
顧問として言っておかなければならないことがある、と真里奈は前置きをする。
「部活なんて大半は趣味。さっきはそう言ったし撤回するつもりもないが、CSは他とは違う。野球だろうがサッカーだろうがテニスだろうが、バスケやバレー、ボクシングとか空手とか柔道とか剣道とかでも、体を大きく動かす以上危険はある。
しかし、だ。CSはただのスポーツじゃない。今は技術が発達して昔よりは安全になってるが、それでも大怪我を負う可能性はゼロじゃない」
場合によっては障害が残ったり、死ぬことすらあり得る────と、真里奈は敢えて脅す様に言う。
真里奈は正しい。そもそも、疑似近代戦闘は成り立ちからして、他のスポーツとは違うのだ。
"人類史上初の核戦争"の終結から三十年が経過した、二〇四三年。
ニューペクターは戦争を単なる過去の過ちにしない為に、という名目で、疑似近代戦闘という競技を作った。
禁止された過去の銃器────第三次世界大戦終結までに開発されたそれらを競技用として設計し直し、特殊ペイント弾という新たな実包を開発し、時に数キロ四方にもなる広大なフィールドを世界各地で幾つも用意した。その四十九年の歴史の中では、死者の数は決して少なくはない。
格闘技の成り立ちが戦闘そのものであるならば、疑似近代戦闘は戦争の記憶である。
真里奈はこういったニューペクターの思想を「耳障りの良い綺麗事」と一蹴しているが、綺麗事を綺麗事たらしめるのは時代毎の社会通念だ。表向き戦争が消えた時代では、それはより一層、民衆の鼓膜を優しく撫でる。
「何かあっても、学校側は責任を負えない。国から多少の補助金は出るだろうけど、それだけだ。怪我だって他のスポーツより多い。………それでもいいなら、入部を許可する」
一瞬気圧された碧羽だが、意を決した様に頷く。
碧羽は魅明と違って、特に入部に踏み切った理由がある訳でも、義理がある訳でもない。ただなんとなく、雲雀といれば退屈はしないかな、と思っただけに過ぎなかった。
ある意味では、流や織芽、有と似ているとも言える。学生生活に彩を添える、という程度の心持ちなのだ。
しかし真里奈は、それも悪くないだろう、と碧羽の"カフ"に空の入部届を送信する。
「じゃ、そろそろ会議だから。部室のキーは東雲が持ってったから、多分もう空いてると思うぞ」
第二職員室を後にして、碧羽と魅明は第三部室棟へと向かう。
二人の背を見て微笑んだ真里奈は、ふと先週の土曜日に流から聞いた話を思い出した。
(桜山演習場、か。………うへぇ、高ぇ………)
"カフ"で二子山山系演習場のホームページを見た真里奈が、使用料金を見て唸る。部費で賄えないこともない金額だが、そうすると練習用の弾などが買えなくなってしまう程には安くない。
どうしたものか、と溜め息を吐きつつ、真里奈は流達から聞いた雲雀の将来の展望を頭に、会議室へと向かうのだった。
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