オペレーション:ポッシビリティ 4
「お母さーん………」
リビングのソファの上で全身をだらしなく伸ばしていた碧羽が、台所に立つ母を呼ぶ。娘の方を見ないままに返事をした母に、碧羽は数秒黙ってから、相談するならやはり母が適任だろうと口を開く。
「友達が何かに本気になってて、自分が手伝ったらもしかしたら………って状況で、でも自分はそれに興味が無かったら、お母さんならどうする?」
「ものによるわ」
「ざっくりだね」
相談するにしても、背を押してほしいのか引き留めてほしいのか、碧羽自身が分かっていない。これでは相談というよりは、ただの愚痴だ。
「興味無いのに手伝っても邪魔になるだけでしょ。応援くらいはするかもしれないけど。分を弁えてる人間程、一線を引くものよ」
そういうもんかな、と気のない返事をしながら、碧羽は分を弁えるというのは具体的にどういうことか、と考える。
その言葉の意味するとこは非常に単純だ。要は"出しゃばるな"、ただそれだけのことである。
身の程を弁えて、適当に当たり障りのない応援でもしていれば良い。どれだけ親しい相手だろうと、結局は他人だ。その相手に肩入れし過ぎても益は無い。まして関心の無い事柄に対して中途半端に手を出しても、何かを得るどころか時間を無駄に浪費するだけだ。碧羽の母はそう言いたいらしい。
母の言葉に納得しつつも、しかし碧羽は、天井を眺めながらどこか不満げな表情をしている。
『────………今月の二十五日に神奈川県鎌倉市の相模湾海岸跡公園由比ガ浜海岸地区にて発生した事件を受け、自衛用火器の所持を再度免許制にすべきでは、との声が増えています。同様の事件は今年に入って既に三十件以上発生しており、自衛目的外での使用とそれによる被害件数は、年々増加の一途を辿っています────』
ニュース番組の男性アナウンサーが、三日前に雲雀達が居合わせた事件を取り上げる。
雲雀曰く、東京にいれば月に一度は目にする光景らしいが、碧羽が実際にその場面を目にするのは初めてだった。しかし頻繁に話題に上る問題である為か、彼女は特に興味無さそうにしている。
犯罪発生率が増加を続けているとはいっても、被害者となった経験の無い者にとっては対岸の火事だ。誰が何処で殺傷能力の無い銃を手に暴れていようと、刃物を片手に人を襲っていようと、それが自分の方向へと向いていない限り、大抵の人間は無関心を貫ける。
だから、この時碧羽が思い出していたのは、あのテラス席から見下ろしていた光景ではなく、寧ろその後の雲雀達の会話の方だった。
愛乃が「生き辛い」と言って、雲雀はそれに「何千年も前から皆そう思っている」と返した。あの光景を"行き過ぎたフェミニズムと行き過ぎたマスキュリズムの衝突"と鼻で笑った雲雀も、生き辛い世界だと感じていたのだろう。
誰もが己の分を弁え、一線を引いて生きて死ぬ。
愛乃はそれを、退屈だと吐き捨てた。
では、自分はどうだろう────と、碧羽はニュース番組が映っている画面に目を向ける。しかし、内容は既に別の事件へと切り替わっていた。
分を弁えて一線を引いた友人関係。それは間違い無く、雲雀が求めるものとは違うだろう。
「でも、若い内に考えることじゃないかな」
碧羽の母が、先程の自分の言葉を補足するかの様な口調で言う。
「人生なんて結局、無意味なものの方が多いから。その時の経験がいつか役に立つかもしれない、なんて言う人もいるけど、普通に生きてればまずそんなことは起きないわ。全部無意味なら、判断基準は一つだけ」
ソファの上で体を起こした碧羽が、その判断基準とは何かを母に問う。
碧羽の母は作業の手を止めて肩越しに振り返ると、ウィンクを飛ばして答える。
「碧羽の年齢なら、青春っぽいかどうか。これに尽きるわ」
適当だなぁ、と再びソファに体を沈めて、碧羽は「他の年齢なら?」と母に聞き返す。
「基本的には楽しいかどうかとか、やりたいかどうかでいいんじゃないかな。子供が出来ると優先順位は変わるけど、それはそれで悪くないものよ」
自分にはまだ分からない感覚の話だ、と碧羽は適当な相槌を打つ。そして、青春っぽさとは如何なるものか、と頭を捻るが、小恥ずかしい絵面しか想像できずに悶える。
そんな碧羽に向かって、台所の母は意地悪でもしているかの様な声色で、
「大いに青春を楽しみ給へ、娘よ」
と、背を押しているのかそうでないのか分からない言葉を投げかける。
人生に強い刺激や情動を求める人間と、そうでない人間。両者の差は、過去の経験によるところが大きい。
自分が好意的に受け止められる経験をすれば刺激を求め、そうでないならば波風立たない人生を望む様になる。前者に当て嵌まるのが雲雀で、後者に当て嵌まるのが魅明だ。
しかしその境界は曖昧で、波風立たない人生だからこそ刺激を求める場合も当然多い。
寝転んだ姿勢のまま右上を天井へと突き出した碧羽は、そのまま指で銃の形を作ってみる。
銃にも疑似近代戦闘にも興味は無い。銃声を心地良いと思える程染まってはいないし、運動神経が悪いからか体を動かすこと自体あまり好きではない。特別な刺激を求めてもいないし、今の自分を変えようとも思わない。
そんな碧羽が一つだけ頷くことができるのは、生き辛い世界だという一言に対してのみだ。
いや、個人個人が生き辛くしているだけかもしれない。人の社会は制約が多く動き辛いが、その場その場で一日を終えるだけならば、そう悪いものでもないだろう。
しかし、それだけでは退屈が過ぎて窮屈で卑屈に歪んでいくから、生き辛くなる様な思考で自己を確立させるしか手段が無くなる。
退屈を厭うことで生き辛さが生まれるならば、刺激を求めていない人間までもが生き辛いのは、きっともう手の施し様の無い程に卑屈に歪んだ後だからなのだろう。歪んだ人間にとって生き易い世界があったとすれば、それは歪んでいない人間にとっては生き辛いことこの上ない世界に違いない。
(どっちにしても生き辛いのか。そりゃ犯罪も増える訳だ)
ぱたり、と手を下ろして、碧羽は大きく息を吸う。数秒息を止めてから吐き出した碧羽は、ゆっくりと起き上がると二階の自室へと足を向けた。
「あ、お父さんと小鳩呼んできて。もうすぐご飯出来るから」
階段を上って父と妹にそれぞれ声を掛け、碧羽は自室のベッドサイドテーブルの前で腰を屈める。"カフ"から充電ケーブルを抜いた彼女は、画面を操作して弘海学園職員室の通話機器の番号を選択し、コールした。
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