オペレーション:ポッシビリティ 2
さっき屋上にいた人だ、と魅明が顔を伏せる。それを特に気にする様子もなく、雲雀は彼女に話し掛けた。
「急に出てきてごめん。怪我してない?」
変化の無い表情と、あまり抑揚が感じられない声。しかし何故か無感情とは程遠く、それに魅明は、小動物の様だ────と、お決まりの感想を抱いた。
「い、いえ、大丈夫です。ごめんなさい」
「謝るのはこっち。立てる?」
差し出された手を顔を伏せたままに握り返し、引かれるままに立ち上がる。近くで雲雀を見た魅明は、女子のメイクや髪型とは本来こうあるべきなのか、と暫し目の前の少女の顔を、穴が開く程に見つめていた。
「どうかした?」
「いえ何でも!メ、メイク、お上手ですね」
「?ありがとう」
魅明は慣れない言葉を口にしながら、この見慣れない少女はどの学年のどのクラスなのだろう、と記憶を漁る。しかし入学から現在まで数える程しか他人と会話をしていない彼女には、雲雀の学年やクラスを想像しても無意味でしかなかった。
てとてと、と雲雀が足を動かして、先程まで座っていた場所へと向かう。そしてベンチからホルスターを回収して、出入り口まで戻ってくる。どうやら、自衛用火器の携帯に慣れていないことで、食事前に外してそのまま忘れていたらしい。
(催涙銃?だっけ。持ってるんだ)
そう思ってふと雲雀のブラウスの左襟に視線を送った魅明は、二つのピンバッジを見て首を傾げた。
白無地デザインには多少見覚えがあったものの、もう一つの地球を模したデザインのバッジは記憶に無い。いや、厳密にはどこかで見た気はするものの、それが校内でないことだけは確かだ。
それじゃあ、と階段を降りようとする雲雀を、魅明は無意識に引き留めていた。特に話があったという訳でもないのだが、と数秒前の自分を呪いつつ、引き留めた手前黙っているのも失礼だと言葉を探す。
「何?」
「あ、いえ、その………じゅ、銃って、そんなにいいものなんですかね?」
しかし結局、何が言いたいのか分からない、更に言えば魅明自身全く興味の無い話題しか出てこなかった。
それに雲雀は、
「人による」
と簡潔に答える。魅明も内心「確かに」と頷くが、それが表に出ることはない。その代わりに癖になってしまっている謝罪の言葉が口から漏れて、それを聞いた雲雀がこてんと首を傾ける。
「謝る必要は無い」
「ご、ごめんなさい。気を悪くしたかなって………。私みたいなのが銃とか、口にするのもダメですよね」
魅明のことを全く知らない雲雀には、彼女が何を言っているのかを理解することはできない。銃に何かトラウマでもあるのかな、と想像するのが精々だ。
「よく分からないけど、銃って言葉を聞いただけで憤慨する様な輩は、どっちにしろ禄な奴じゃない。だから謝る必要も無い」
しかし魅明はもじもじと手を弄りながら、どこか自嘲気味に言う。
「でも、私は、その………敗戦国の、血が入ってますし」
魅明の曽祖父は第三次世界大戦の敗戦国の一つ、中国の生まれだ。一般人ならばまだ良かったのかもしれないが、一兵卒として戦場に出ていたことを理由に、幼少期に近所の老人連中から罵声を浴びせられた経験がある。それが彼女の人格形成に影響を与え、内気な性格になったことは言うまでもない。
魅明の名前を知らない雲雀は、容姿から「北か中国かな」と彼女の血筋を想像する。そして、そのどちらでも、或いはどちらでなくとも、大して興味は無いと口を開く。
「国同士の諍いは、国民には無関係であるべき。君が言う程、戦勝国にも敗戦国にも意味は無い。その二つはただの言葉で、それ以上でも以下でもない」
世界から表向き、戦争は消えた。平和な時代になったと皆が言う。しかしそれだけだ。世界が良くなった訳でも、これから良くなる訳でもない。
それに、日本もある意味では敗戦国だ。国としての形態を辛うじて維持出来ているのはアメリカと大韓民共和国の支援あってのもので、文化の一部と基本通貨は既に日本固有のものではない。第一言語を日本語以外にしている者もいるくらいだ。
ならばやはり、第三次世界大戦の結果など意味は無い。
人間の歴史は戦争の歴史だ。勝った負けたを繰り返し、利権を奪って奪われる。平和が次の戦争の為の準備期間であるならば、戦勝国だろうと敗戦国だろうと、それはただの単語に成り下がる。
アインシュタインは、第四次世界大戦では石と棍棒が使われるなどと言ったらしい。だが、と雲雀はそれを否定する。人間の歴史は戦争の歴史で、戦争の歴史は科学の歴史だからだ。例え世界が滅ぶ様な大戦が起こったとしても、人間が残っているのならばその規模は拡大し続けるだろう。
何十年後か何百年後かは分からないが、第四次世界大戦が起こったのならば、また新たに戦勝国と敗戦国が生まれる。それだけのことだ。
「私、東雲雲雀。君は?」
唐突に雲雀が自己紹介を始め、魅明は数秒言葉を詰まらせる。
「えと、い、猪ノ口魅明、です」
「そう。じゃあ魅明、明日の昼食は一緒に食べよう」
へ、と間の抜けた声を出す魅明の顔の前に自身の"カフ"の画面を見せ、雲雀が続ける。
「連絡先、教えて」
ぐいぐい来るなぁ………と勢いに負けて、魅明は雲雀と連絡先を交換する。人の輪の中心にいる様な人物とは話すことすら稀だというのに、これは哀れみか何かだろうか、と自虐を膨らませた魅明は、雲雀の顔色を伺う様に上目遣いでちらと見た。
昼休みが終わる五分前の予鈴が響く。慌てて階段を下りた二人はそれぞれの教室へと向かい、雲雀の背を見送ってから教室へと入った魅明が教材用デバイスを取り出して、食事後の勉強は眠くなるから嫌いだと窓の外に目をやった。
珍しく授業開始直前に戻ってきた魅明を見た流は、制服にソースか何か溢したのかな………と、ウェットティッシュを取り出す。しかし、昼休み中に行った部への勧誘スピーチが失敗に終わったことで、その表情は少々暗い。いや、暗いというよりは、
それに気付く筈もない魅明は、窓際の席で一人、「凄い子だったな」と呟き、"カフ"を操作して、新たに連絡先に登録された名前を表示する。
雲雀と魅明は、傍から見ても真逆の人間だ。片や常に人に囲まれている雲雀と、片や基本的に一人でいる魅明。魅明にとっての雲雀は、本来であれば関わりたくない人種である。
真面目だけが取り柄、などと自分に言い聞かせている魅明は、分を弁えて隅で大人しく学生生活を送るべきだと考える。敗戦国の血が入っているから、という理由もあるだろう。悪目立ちして自分だけが非難の対象となるならまだしも、家族にまでその視線が向くのは避けなければならない、と。
明らかにカースト上位の雲雀との接点は、魅明には恐怖ですらある。普段の彼女であれば、連絡先を交換することは無かっただろう。
しかし、と屋上での雲雀の発言を思い出す。国同士の諍いは国民には無関係であるべきだ、という彼女の言葉を。
そして魅明は、ふっと小さく笑う。
「────………一回くらいは、いいのかな」
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