M2092/SR-Be2
オペレーション:ポッシビリティ 1
弘海学園北館の二階の隅、西階段の踊り場で、流は腰を折り、下げた頭の前で拝む様に手を合わせていた。
彼女の前でおどおどと────というよりあわあわとしているのは、同じE組の女子生徒らしい。目元まで掛かる癖毛気味な黒髪に黒縁眼鏡、特にメイクもしておらず、服装も制服をそのまま着崩すことも無く身に着けている。絵に描いたような地味少女だ。
「勝手なこと言ってるのは分かってるんだけど、お願い!もう一回
その、休み時間には教室の隅で大人しくしているのが日常です、と全身で表現している少女────
「む、無理ですよ。新人戦までって約束だったじゃないですか。あの時も役に立たなかったし、私にCSなんて無理なんです!」
「そこをなんとか!お願い!」
「無理です、絶対無理です!他を当たって下さい!」
そう言ってその場を離れようとする魅明の手を掴み、流が顔を伏せたまま、呪いの言葉でも詠むかの様に一月前の光景を口にする。
「四月十四日月曜日午後五時四十一分、逗子駅前のツヅキヤで同じE組の木村君の────」
わーわーわー!と声を上げつつ流の口を塞ぐ魅明。余程知られたくないことなのか、彼女はそのままの姿勢で周囲に人の気配が無いかを確認する。しかし、ホームルーム前のこの時間に、階段の踊り場に来る様な人物はいない。
「そ、それは言わないって約束じゃないですか!だから怖いのも我慢して試合にも出たのに!」
誰にも言わないで下さいよ!と流に念を押して、魅明は教室に向かおうとする。予鈴は既に鳴っている為、真面目な彼女としては席に着いていたいのだろう。というよりも、本鈴間近に教室に入って注目を集めたくないらしい。
その魅明の背中を、流が引き留める。
「ノグっちゃんがCS苦手なのは知ってるし、こういうやり方は自分でもどうかと思うけど………。でも、他に誘えそうな人がいないんだ。この時期じゃ皆、とっくに部活に入ってるか帰宅部に決めてるかだし」
大崎浜の一件から一夜明けた、五月二十六日。月曜日。午前八時二十六分。
流は大会出場に足りない部員を集める為、先月共に女子疑似近代戦闘部を復活させたクラスメートに声を掛けることにした。その際にも半ば脅迫めいた勧誘で誘ったのだが、流達三人は部さえ復活させられれば、後は新人戦でそれなりの活躍をして部員を獲得できる、と考えていたのだ。だからその時の魅明は、新人戦が終わるまでか、或いは自分を除いて部員が四人以上になった時点で辞める、という条件で入部した。
新人戦一回戦で敗退した後、魅明は銃弾飛び交うフィールドにもう一度立つことを拒否して部を去ってしまったが、結果として雲雀が入部し、一先ず廃部の危機は消えた。当初の目的を果たした筈の今、流が何故また自分を部に勧誘するのか────と、魅明は疑問に思う。
「新人戦の時は遊びみたいな感じで………いや、今も別にそれは変わってないんだけど。でも、今度は優勝したいんだ」
しかし、部員数が四名では公式大会には出られない。かといって、五月も終わりのこの時期に新たな入部希望者などいる筈もない。
故に五人目として、再び魅明に白羽の矢が立ったのだ。
「尚更私じゃ無理です。他の人を誘って下さい」
「いないよ。いないから、ノグっちゃんに頼んでるんだ」
先程の軽い調子とは違い、流が神妙な面持ちで頭を下げる。だが、押しに弱い魅明も、今度ばかりは首を縦に振らない、と決めている様子だ。
「色々あるのは分かってる。………いや、私達じゃ分かんないかもだけど。でも、もう一回だけ、やってくれないかな。今度は条件付きとかそういうのじゃなくて、一緒に」
雲雀と共に優勝を目指すのであれば、今週の木曜日までに部員を一人、獲得しなくてはならない。面識の無い相手を誘えるだけの時間的余裕も、魅明以外の当ても無いのだ。
「どうしても嫌なら諦めるよ。でも、もし少しでも新人戦とかを"悪くないな"って思ってくれてるなら………また、私達を助けてくれないかな」
木曜の放課後まで待つよ────と言い残して、流が教室へと向かう。その途中で一度振り返り、彼女は魅明に「もうすぐ本鈴鳴っちゃうよ」と伝える。
魅明は銃にも、疑似近代戦闘にも興味は無い。しかしやらない理由も、他人から見れば大したものではない。
だがそれは戦勝国民の余裕だ、と彼女は眉の間に薄く皺を作る。
撃つのも怖い。撃たれるのも怖い。やりたくないというのも本心だ。
雲雀達四人が疑似近代戦闘に触れているのは、ある意味で逃避である。将来の展望があるのか単なる趣味かの違いはあれど、四人にとっての疑似近代戦闘は、憂さ晴らしの手段としての一面も持っている。当然、魅明には知る由も無いことではあるが、決定的に空気が異なるのだ。
数十年前ならいざ知らず、現代では彼女の生まれや血筋を気にする者など極少数の年寄りくらいで、家庭環境も平凡そのものである。雲雀達と違って、魅明は憂さ晴らしが必要な程、鬱憤を溜めていない。
それでも教室の隅で目立たない様にと過ごしているのは、やはり老人連中の視線を気にしているからだろうか。
十数年前に生徒が飛び降りた、というありきたりな理由で閉鎖されていた屋上が、今年度から解放されている────と聞いた雲雀は、折角だからとそこで昼食を摂ることにしていた。
碧羽に桃子、クラスが違う苺花と梨果も合わせて、五人でベンチに座る。以前はどうだったか分からないが、現在の屋上は周囲を背の高い強化ガラスで囲われている為、梯子でも使わなければ飛び降り自殺は起きないだろう。
特徴の無い田舎町の学校、というイメージを払拭したいのか、屋上内には花壇や談話スペースが置かれている。南西には第一部室棟の向こうに相模湾を眺められる為、これが放課後であれば、夕日を見ながら菓子の一つでも食べたくなることだろう。
その眺望が良い屋上だが、入学から二か月近く経っていて皆休み時間の定位置が出来ているからか、今は雲雀達を含めて六人だけしかいない。
「愛乃と恵漣も来ればよかったのに」
昨夜の内にこみや食堂に予約し、朝練前に受け取った日替わり弁当を口に運びながら、雲雀が景色を眺める。
「やっぱ、いつもの場所が一番落ち着くんじゃない?」
愛乃と恵漣は普段、北館前の木の下で昼食を摂っている。第一グラウンドよりも数段高い位置にある為、グラウンドを眺められる場所だ。
今朝のホームルーム前に二人と顔を合わせた雲雀は、会話の流れでまだ連絡先を交換していなかったことを思い出し、電話番号とメールアドレスを送りあった。電話でも掛ければ屋上に呼ぶくらいはできるだろうが、雲雀は有程ではないにしてもかなりの食事好きだ。二人の昼食の時間を邪魔する程無粋ではない。
そうして和気藹々と食事を続ける雲雀達から少し離れた屋上の隅で、魅明は一人で黙々と、母が作った弁当を食べていた。
(昼休みが始まって、少し時間を空けてから来たのに………。やっぱり、階段で食べればよかった)
ああいう派手目な女子は苦手だ────と、魅明は雲雀達から見られない様に、屋上出入り口の影に隠れる。
別に虐められている訳ではない。特別親しい相手はいないが、両親との関係は良好だ。ぼっちと呼ばれるような類の人間であることは自覚しているが、それもまた生き方の一つだと割り切っている。
それでも魅明は、幼少期に近所の老人に投げ掛けられた言葉を忘れることが出来ないでいる。
第三次世界大戦の終結から、来年で八十年。戦禍を知る者など殆ど残っていない。だが、当時を知らない八十前後の老人達は、未だに親から聞いた曖昧な知識を基にして、魅明達の様な移住者やその子孫達に強く軽い言葉を放つ。
それは何ということもない、偏屈な老害の耳障りな喚き声に過ぎない。普通であれば爺婆の戯言と聞き流せる程度のそれは、しかし、魅明の様な気の弱い人間が取るに足らないことと吐き捨てるには、少々強過ぎる毒だった。
("悪くないな"なんて………思える訳、ない。だって、日本は一応戦勝国で、私達は────)
魅明の曽祖父は、第三次世界大戦に一兵卒として参加して、そこで命を散らしている。身籠っていた曾祖母は戦後日本に移住することとなり、祖父は千葉で生まれて母を授かり、母はこの町の平凡な会社員の下に嫁いだ。血筋としては殆ど日本人であるとも言える。
しかし、自国と戦争をしていた国の血を引いている人間は、特に頭の固い死に損ないの老害達の糾弾の対象となる。戦禍を知らない老人が、戦禍を知らない子供に八つ当たりをするのだ。見苦しい限りである。
魅明は今の平凡な生活を気に入っている。平凡に生きて平凡に死ぬという人生が送れるならば、それ以上の幸せは無い。実家は駄菓子屋でその手伝いもあるし、学校の課題だってある。それを退屈だなどと思う程、彼女は強い刺激を求めていない。
やはり再入部の件は断ろう、と意志を固め、空になった弁当箱をランチバッグに仕舞う。
雲雀達は既に教室に戻った後らしく、屋上には魅明一人が残されている。息を吐いて安堵した彼女は、ゆっくりと立ち上がると出入り口へと数歩進み────
「あ、ごめん」
────そこで、朝焼けの様な髪を三つ編みにして垂らした、愛らしい少女と目が合う。
咄嗟のことで姿勢を崩した魅明は、そのまま尻餅をついた。
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