夏の前の挽歌 13

 八十年前と違い、現在は伊勢山トンネルの南側に階段が設置されている。バス停がある為か多少山肌も削られていて、細いながらも歩道まで出来ていた。

 車が来ないタイミングを見計らって道の反対側へと移動した雲雀は、その伊勢山トンネルの南にある階段を上って、芝生の先にある小さな売店の前で足を止める。

 "カフ"の画面を表示し、自販機で抹茶ラテを三本購入した雲雀は、三本ともショルダーバッグへと仕舞い込んで売店の横を抜け、遊歩道へと向かい園内を歩く。

 元々然程人が来る公園ではないが、日曜の夕方にしては雲雀以外に人影は無い。

 泉鏡花文学碑を左手に、そこから少し進んだ先で彼女は足を西に向け、六十年程前は無かったという大崎浜の上に続く小道へと入る。そして小道から外れて木々が生い茂る斜面に立つと、少し平坦になっている場所に移動して"カフ"で時刻を表示し、周囲の木々よりも若干太い樹木の幹に体を預けた。

 大崎浜には洞窟が掘られている。しかし海面が上昇した現在では、その小さな砂浜は干潮時ですら殆どが海面の下である。一応歩いて渡れる程度の深さではあるものの、波に足を取られれば水死体となることはほぼ間違いない。

 木の幹に体を預けたまま、雲雀は十分、二十分と海を眺め続ける。特に何かを待っているという訳ではないのだが、自分の今後を決めるのであれば日暮れの時刻が相応しい、と考えていた。

 三十分近くが経過してから漸く雲雀は体を動かして、ショルダーバッグから抹茶ラテの缶を二本取り出す。その口を開けると二本とも右手で持って、今まで体を預けていた木の根元にその中身を掛けた。

 一つ風が吹き、同時に雲雀の背後で木々や木の葉が擦れる音がする。そちらに視線を送った雲雀だが、彼女はすぐに海へと顔の向きを戻した為、そこにいた三人は安堵して胸を撫で下ろした。

(雲母さんから聞いて探しに来たけど………良かった。思い詰めて海へ………とかじゃなくて)

(でも、何してるのかしら。木にジュース掛けてたみたいだけど)

(暑くなってきたからー、水分ほきゅー)

(木に?)

(木にー)

 木々の影に隠れて雲雀の様子を伺う流、織芽、有の三人。よく見ると、三人とも額にうっすらと汗を浮かべていた。

 三人はいつ雲雀に声を掛けようか、とタイミングを計っている様子だ。各々木の影から出ようとしたり、口を開こうとしたりして、結局機を掴めずに足踏みをしている。

 雲雀が小さなビニール袋を取り出し、空になった二本の缶を入れて、口を縛ってバッグに戻す。そして、少しずつ、少しずつ、相模湾の向こうへと落ちていく太陽を見ながら、再度背後に目をやる。

 視線を海に戻した彼女は、残った一本の抹茶ラテを取り出して一口飲むと、少し大きな声で────流達に聞こえるくらいの声量で、言葉を発した。

「………ここからじゃ見えないかもしれないけど。あっちの沖の方で、お爺ちゃんの遺骨を海に還したんだ。小坪でボートを出してもらって。………もう二か月前になるかな」

 がさり、と音がして、三人が姿を現す。

 雲雀の祖父は、葬式も墓も要らない、骨は海に還してほしい────と、生前よく口にしていた。自分がもう長くないと感じていたのだろう。だから急逝したにも拘らず遺言書があったし、結果として雲雀が相続した遺産は一部だったが、全てを雲雀が相続できるようにと手を尽くしていた。

「き、気付かれちゃったかー。………あ、あのねヒバりん、」

 頭を掻く流を遮って、雲雀が続ける。

「私の生まれた家は浜松で呉服屋をやってて、皆お爺ちゃんがCSやってるのを良く思ってなかった。私が六歳の誕生日の前に銃が欲しいって言ってからは酷くなって、お爺ちゃんは家を追い出されて、私はあの家の三人がご飯食べてるのを見てるだけで………」

 雲雀に味方をする者がいなかった訳ではない。家政婦………と言って良いか分からないが、雑事を任されていた人物が家にいる際は食べることができたし、雲雀が育児放棄を受けていると知った祖父は頻繁に戻って来ては外食に連れ出したりしていた。

「ここは大事な人が好きだった場所だから、自分が死んだら、ここから見える相模湾に骨を撒いてほしい………って。連れてきてもらったのはその時一回だけだったけど、碧羽達の話を聞いて、何となく分かった」

 しかし、何が分かったのかは言わずに、抹茶ラテの缶を呷る。

 もっと一緒にいたかったのにな………と、雲雀は瞳の中に落ちる太陽を映しながら呟いた。

 雲雀が大人になったら、どこかの店か、家の居間でもいい。向かい合って酒を飲みたいものだ────と言っていた祖父の姿を思い出す。そして表情を見せないままはなを啜って、もう半分程しか見えなくなっている夕日を背に、三人に体を向ける。

「無理に私に付き合う必要は無い。沖ノ鳥島に行けないのは残念だけど、今年じゃなくても来年か、再来年か………大学とかでも、選手を目指すのは遅くない」

 雲雀はそれを祖父に伝えに来たのだろう。高校にいる間は無理に祖父の道を辿らなくとも、感情に温度差があろうとも、同好会的な雰囲気で銃に触れることはできる、と。

「皆には迷惑を掛けた。悩ませてごめんなさい」

 頭を下げる雲雀に、流達は互いに顔を見合わせる。確かに、彼女と自分達では認識が大きく違うらしい。特に、今この場では。

「沖ノ鳥島かぁ。そっか、今年からだっけ。一般開放」

「わたしはあそこ、ちょっと怖いけどね。波とか台風とか」

「台風の時は、十六メートル級の津波が来るらしーよー。だから主要施設はー、全部海山内部の発電施設の周りに造られてるんだってー」

 真面目な話をしていたと思ったのだが………と、今更小学生でも知っているようなことを話す目の前の三人に、雲雀はぽかんと口を開ける。

 それを見た三人が、目を細めて少し口元を緩ませる。そして有がとととっと雲雀の隣に移動して、夕日を見ながら言った。

「あたしねー、捨て子だったんだー。葉山の施設で育って、九歳の時におとーさんとおかーさんに引き取られて、こっちに来たの。小学校の時とかは家のこととか、施設のこととかで色々あって、友達も出来なかったんだけどー………」

 雲雀の方を向いて、ふっと笑みを浮かべる。

「だから、ひーちゃんが"日数は関係無い"って言ってくれて、すごく嬉しかった」

 初めて会った日の様に、有が雲雀に抱き着く。あれからまだ一週間と経っていないが、有のこの抱き着き癖は幼少期の寂しさに起因するものなのだろう、と察するには今の話だけで十分だった。

「ヒバりん」

 流と織芽も並んで夕日を眺める。

「まだ知らなかったと思うけど、私と織芽、戸籍上だと今は苗字同じなんだよ。どっちも女川」

 流の隣で肩を竦ませて、織芽が流の言葉の続きを受け取る。

「わたし達幼馴染で、家が隣でね。家族ぐるみで旅行とか行ってたんだけど………。二年前だったかな、ウチの父親と流の母親が不倫してて、それで離婚したの」

「そしたらさ、丁度一年くらい前に残った親同士で再婚したの。そりゃ今までもお互い泊まったり泊まりに行ったりしてたけど、いきなり一つ屋根の下よ。慣れるまでちょっと時間かかったなー」

「わたしなんて、まだ慣れないから赤松姓名乗ってるし」

 浮気して消えた方の親の苗字とはいえ、十数年使っていたものの方が楽なのだろう。

 二人は軽い調子で話しているが、近所や同級生からどう見られていたのかなど想像するまでもない。鎌倉から態々閑静なこの町に二人で来た、というのも、そういう視線から逃れる為だったのかもしれない。

 何故今身の上話を………と思った雲雀だが、すぐに彼女達がどこに会話を着地させようとしているのかを理解した。

 生家で育児放棄を受け祖父と養子縁組をして東京へ、祖父の死後に一人残された雲雀。

 親に捨てられ、その身の上から周囲に溶け込めずにいた有。

 消えた親の浮気や残った親の再婚の早さから、恐らくは白い目で見られる様になっていたであろう流と織芽。

 組み合わせとしては悪くない、と雲雀は目を伏せて、少し口角を上げてみる。

「私達あれだよ、あれ。ほら、えっと………グッドフェローズ的な?」

 黒くなっていく海の波間に祖父の遺骨を探しながら、雲雀が首の向きを変えて、珍しくはにかみながら流に言葉を返す。

「それ、男友達とか男仲間って意味があるらしい」

「え、ホントに?ええ~、じゃあ何だろ、フェロウソルジャー?」

「グッドフェローズの後ろ半分と、フェロウソルジャーの前半分が同じ」

「どっちも変わんないってこと?何だよもー、カッコつけたのに恥ずいなぁ」

 織芽がくすりと笑う。

「友達とか仲間って意味もあるわよ、ちゃんと」

「そう?ん-、でもなぁ」

 他に適当な言葉はないものか、と腕を組んで頭を捻る流が、ふと雲雀の手の中の缶を指して問う。

「それ、まだ残ってる?」

「残ってる。飲む?」

「ううん。それ、売店の自販機にある?」

「ある。そこで買った」

 雲雀がそう答えると、流はくるりと体の向きを変えて、木々の隙間を抜けようとする。

「ちょっと、ちょ~っと待ってて!すぐに戻るから!」

 残った三人で首を傾げて待っていると、夕日がもう見えなくなる頃になって、漸く流が戻る。彼女は背負っている小さなリュックサックから雲雀が飲んでいるものと同じ缶を三つ取り出すと、二つを織芽と有に手渡して、缶を開けてそれを一口飲んだ。

 そして缶を雲雀の方に差し出す。受け取れと言っている訳ではない。

 流がそのままの姿勢で、にっと笑う。

「しようぜ、優勝」

 流の缶に自分の缶を軽く当てながら、雲雀が答える。

「………なら、まずは部員を増やさないと」

 二人を見ながら織芽と有も缶を開けて、同じ様にこつんと軽くぶつけてから、四人で一気に中身を飲み干す。

 明日から忙しくなるぞ、と流が気合いを入れ、拳を上に突き出す。そして流に続いて有が、織芽が、そして小さく雲雀が、倣う様にして同じ姿勢を取る。

 西の空も藍色に包まれる頃になって、四人は遊歩道へと体を戻す。月はまだ出ておらず、天蓋には目を細めなければ見えない程に淡い星の光が散っていた。その下で、流はチームのエンブレムには夕日を入れよう、と考える。部員専用の迷彩服を発注して、そのエンブレムをワッペンして付けるのも良い案だ。

 灯りが殆ど無い園内を進まなければならない、と彼女達が気付いたのは、その数秒後のことだった。

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