夏の前の挽歌 11

「雲雀ちゃん、パッキー食べる?」

「食べる」

「ちょこノッポもあるよ」

「食べる」

「プレッツはいかが?」

「食べる」

 もぐもぐもぐもぐもぐもぐ、と子栗鼠の様に口を動かす雲雀に、桃子、苺花、梨果の三人の顔が緩む。

「もう親戚のおばちゃんじゃん………」

 その様子を見て、碧羽が頬杖を突きながら呆れ声を出す。三人よりも身長が低い雲雀が座らされて、持ち寄った菓子を次から次へと口に放り込まれるその様は、正に長期の休みで実家に帰った親戚の娘を愛でる中年婦人そのものである。

「梨果はいいとして、桃子と苺花は部活はいいの?来週大会でしょ?」

「レギュラー取れなかったし~」

「今日は私達がサポートしなきゃいけないこともないから~」

「「超絶暇人~~~」」

 やけくそだと言わんばかりのテンションで、二人が手を繋いでくるくると回る。

 五月二十五日、日曜日。

 雲雀達が大会に出られるかどうかというタイムリミットまで、あと五日となっていた。

 雲雀達五人がいるのは逗子市内ではなく、その北西にある都市────つまりは鎌倉市の、とある国営公園だ。

 由比ガ浜四丁目。かつて海水浴場として賑わった海辺には防風林が植えられ、テトラポッドが置かれていて、僅かに残っている浜辺が終わる場所にはコンクリートの壁が出来ている。

 それらを一望できる三階建ての建物のテラス────休憩所として利用されるその場所のベンチと机を囲んで、五人は昼下がりの一時を過ごす。

 鎌倉海浜公園由比ガ浜地区改め、相模湾海岸跡公園由比ガ浜海岸地区。通称"由比ガ浜跡公園"。一年通して様々な屋台やキッチンカーが出ているこの公園は、今や鎌倉有数の観光スポットとなっていた。八十年前は落ち着いた住宅街に囲まれていた土地もすっかり開発されて、現在ではビルが立ち並び都市の仲間入りを果たしている。

 横須賀線JR逗子駅から鎌倉駅へ、江ノ島電鉄に乗り換え由比ヶ浜駅で降りると、目の前には人で溢れ返るバスターミナルが見える。そこで由比ガ浜海岸跡公園まで直通のバスに乗れば、数分で此処まで辿り着く。しかし雲雀達は、披露山ハイキングコース前というバス停でバスに乗り、134号線を移動するルートで来ていた。こちらの方が料金が安いのだ。

「甘い物食べたくない?」

「何でもあるよー、ここは」

「雲雀何食べたい?」

「クレープ。キャラメルソースのやつ」

「食べてばっかじゃん。リスか」

 テラスから移動する五人。桃子、苺花、梨果の三人が雲雀を囲んで、碧羽が先頭になって階段へと向かう。

 碧羽はまだ、雲雀の誘いにどう答えるべきかを迷っていた。そして雲雀も雲雀で、このまま弘海学園で疑似近代戦闘に本気で取り組むべきなのか、と悩んでいる。

 結局、昨日の部活は朝の少しの時間以外を休んでしまったし、流達からの着信も無視してしまっている。寮にいると尋ねてくるかもしれないからと、こうして遊びに出掛けている訳だ。

「大崎公園、幽霊いなかったね」

「いる訳ないじゃん。つーか今昼だし」

 披露山ハイキングコース前からバスに乗り、134号線を通って由比ガ浜跡公園まで向かうルートでは、まず初めに大崎公園を通過する。その時の桃子と碧羽は公園の方に顔を向けて、目を皿にして何かを探していた。それが幽霊だったとは、雲雀は想像もしていなかっただろうが。

 そういえば、以前碧羽がそんな話をしていたような………と雲雀が碧羽の方を見ると、彼女はくるりと振り返って目を輝かせ、ずずいっと雲雀に顔を近付けた。

「大崎公園の西の森にね、風の強い夜になると………出るんだって」

「女の幽霊?」

「あれ、知ってたの?」

「知らない。でも幽霊話は大体どれも同じ」

 白い着物姿の女の幽霊というのは、日本に於いては最早マスコット的存在だろう。ラーメン屋のおっちゃんの幽霊というのは聞かないし、やはり髪の長い女の霊、と言った方が怖がられるのだ。

「まぁそっか。そう、髪の長い女の幽霊が、宙に浮かんでてね。"オ………オ………"って呻いてるんだって」

「姿を見ちゃったら、なんか折られるらしいよ」

「折られる?」

「"折る………折る………"って、襲い掛かってくるんだってさ。捕まったら首の骨を折られるって話だよ」

「それは大事件。一面に載る」

 この町でそんな大事件が起きたという話は聞かない。しかし、風の強い夜になると現れる、という部分だけは個性的だ。この手の話は、雨の夜にぼんやりと姿が見える………というような内容が多いと思うのだが。

 そのやり取りを聞いていた梨果が、碧羽の方を向く。

「ああ、何かそれ、違うらしいよ」

「違う?」

「うん。この前第二図書館に行った後にさ、近くに住んでる人達にこの辺の昔の話とか聞いたんよ。部活で使えるかなーって思って。したら、ボートとか貸し出す店?のお兄さんが大崎公園のこと教えてくれてさ」

 恐らく、元小坪漁港でマリンレジャーに訪れた人向けの店を営んでいるのだろう。海面の上昇による防波堤の増築などの影響で漁港としては閉鎖されてしまったが、寧ろ旅行客相手の商売で二十数年前よりは多少栄えている。

「"折る"じゃないんだって。何か多分、人の名前?らしいよ」

「何で分かるの?」

「見たんだって。そのお兄さんのお父さんが小学生だった時に。大崎公園の展望台の西側の森で、当時この辺で結構人気があった弘海うちの生徒が、八月十五日に首を吊ってたって。

 その人すっごい美人だったらしくて、なんかその前の年?の夏休みに東京から来てた赤毛の男と付き合うようになって、実家に彼氏を連れて行ってからちょっと雰囲気変わったとかなんとか………。変になった後は、その彼氏の名前をよく呟いてたんだとさ」

 赤毛、という言葉で、全員が雲雀を見る。しかしそれに雲雀は周囲を見回して、「赤毛なんて珍しくもない」と否定する。

「まぁ兎に角。美人で人気だった女子高生が実家から帰ってくるとちょっと変になってて、そんで昔の終戦記念日に首を吊った、ってのでタブーっぽくなって、それが幽霊話になったんだってさ」

 言い終えた梨果が、「赤毛といえば」と口元に指を当てる。

「ちょっと前に、お兄さんのお父さんが久し振りに沖に出た時、赤毛の女の子を乗せてたって言ってたな。なんか関係あんのかね?」

「彼氏のお孫さんだったりして」

「てか男の方はどうなったの?」

 梨果が聞いた話では、何度か大崎公園に来ていたらしい。しかし、それ以外のことは分からないそうだ。

 それにしても、首吊り死体の第一発見者になってしまうとは、そのレンタルボート店の親父も大変な経験をしたものである。

 五人がキッチンカーでクレープを注文し、テラスに戻ってそれを頬張っていると、不意に声を掛けられた。

「あれ、転校生ちゃん?ちょ~奇遇」

「本村村瀬さん達」

「いやうん、そうだけどそうじゃないっていうか。うち本村ね?」

「あーしが村瀬ね。なんかもうその呼び方定着させようとしてない?てか普通に長くねそれ?」

 本村瀬と纏めて呼ばれなければ大して気にはしないらしいが、しかし今度はその長い呼び名が気になった様子だ。

 ならばと雲雀は、これからは互いに下の名前で呼び合ってはどうかと提案をする。本村と村瀬もそれを快諾し、改めてと自己紹介を始めた。

「うち愛乃アイノね。ひばこって呼んでいい?」

「問題無い」

「あーし恵漣エレン。じゃあひばすけって呼ぶわ」

「すけ………?うん、分かった」

 女三人寄れば姦しい。それが七人ともなれば尚のこと。騒ぎ過ぎない様にと気を配ってはいるらしいが、観光地という賑やかな場所でなければ、誰かに注意くらいされていたかもしれない。

 尤も、誰かが注意をしに来たとして、その興味はすぐに別の方向へと向かっただろうが。

「なんか下、騒がしくね?」

 恵漣がひょいとテラスから下を覗き、全員がそれに続く。

 下には人だかりができていて、その中心には警官に押さえつけられた一組の男女がいた。男女は双方自衛用の銃を手にしており、女が男に銃口を向ける動きをした瞬間、警官がその脇腹にスタンガンを押し当て、女の体がだらりと垂れる。

 それを見た雲雀は、大して珍しくもない、とクレープを口に運ぶ。何ということは無い。東京にいれば月に一度は目にする、行き過ぎたフェミニズムと行き過ぎたマスキュリズムの衝突だ。

 この手の話題は、ネットニュースでも毎日の様に載っている。自衛用火器を再び免許制にすべきでは、という案も出ているくらいだ。

「何が男尊女卑だよ、何が差別だよ!そりゃお前らだろうがクソブス共が!勝手に突っ掛かってきて銃向けんじゃねぇよ、死ね!死ねクソが!!」

 取り押さえられている男の方が、野次馬の女達に血走った眼を向ける。その様子は今頃、野次馬のSNSで拡散されて、ネットの海を泳いでいるだろう。そして数時間と経たない内に、女の方と共に名前と住所と家族構成と職業と出身校と交際相手とその経歴とを晒されて、そうしてまた一人、社会的に死ぬ。

「なんかさー………」

 手錠を嵌められ連行される男女を見下ろしながら、愛乃が感情の乗っていない声を出す。

 小さな口でクレープにはむっと齧り付いた雲雀が彼女を見るのと同時に、愛乃はつまらなさそうに言った。

「生き辛くね?」

 それに雲雀は、クレープを彼女の口元に持っていきながら、呟く様に反応する。

「多分、何千年も前から、皆そう思ってる」

「そうなんかなー………ん、キャラメルソースうまっ」

「あーしも一口もらっていい?」

「うん」

 愛乃に続いて恵漣にも一口クレープを分け、雲雀が残りを食べ切る頃には、由比ガ浜跡公園はいつもの様相を取り戻していた。大騒ぎする程のことではない。ただネットの玩具が増えただけだ、とあの場にいた全員が既に興味を無くしていて、それを見た愛乃は再度、小さく口を開いて言う。

「………なんか、退屈じゃんね」

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