夏の前の挽歌 9

 湯船に浸かって浴室内に鼻歌を響かせながら、有は今朝の出来事を思い出していた。第三部室棟の裏、疑似近代戦闘部の練習場が市営の駐車場となった後、部員達の手によって整備された簡易的な練習場で、雲雀と流の間で交わされた会話を。

(五人分で三百二十五ニュードルかー。ひーちゃん本気だったなー)

 流曰く寮生活三か月分、有の小遣い換算では八か月分の、高校生としてはあまりにも多過ぎる金額。しかし雲雀はそれを「貯蓄ならある」と全て出すと言ったのだ。

(どーしよー。バイトすると部活の時間無くなるしー。でもひーちゃんに全部出してもらうのは、流石に友達として最低過ぎるしなー)

 ちゃぷちゃぷと湯船の縁に出した足を遊ばせながら、有は口元を湯に浸ける。

("日数は関係無い"………って、ひーちゃん言ってたなー)

 雲雀が流に言った言葉を思い出して、むふふと顔を緩ませる有。

 有は逗子市の生まれではない。この町に来たのは九歳の誕生日の少し後────七年前の八月のことだ。

 人当たりは良いがのんびりとした性格の有は、初めての土地ということもあって、当時あまり周囲に馴染めずにいた。

 小学生という年齢は、女子であれ男子であれ、ある程度活発でなければ中々相手にされないものである。今でこそ普通に友人付き合いをしている有も、中学までは一人でいる時間の方が多かったのだ。

 高校進学後、中学時代に射撃を経験していたことで体重維持の為にと疑似近代戦闘部の扉を叩き、その後すぐに流や織芽と仲良くなれたのは、その二人が色眼鏡で有を見なかったことが最大の要因だろう。

 そんな有にとって雲雀の「日数は関係無い」という発言は、信頼を置くに足るものだったに違いない。こみや食堂を切り盛りする夫婦との良好な関係も、二人が有に対して、出会ってからの日数以上の愛情を注いだからに他ならないのだ。

(バイトが無理なら、家の手伝いをしてお給料もらうのはどーかなー。寝不足で練習に身が入らないのはひーちゃんにも悪いし、朝の仕込みは無理かもだけどー………。夜の間なら元気だしー)

 ぶくぶくぶく、と口元を泡立たせて、有が唸る。それと同時に、脇に置いていた"カフ"から着信音が鳴った。"カフ"は完全防水だから、と有は入浴時も常に手元に置いているのだ。

 通話を掛けてきているのは、どうやら流らしい。画面を操作し、ビデオ通話機能をオフにしてロックを掛け、有は通話に出る。

「はいはーい。こみや食堂看板娘の有ちゃんですー。お弁当のご予約は店の番号にお願いしまーす」

『弁当の予約じゃないよ、ゆっち』

「あははー。分かってるよー」

 あひるの玩具を手に取り、それを鳴らしつつ流に要件を問う。

『んとね、大事な話があって。………朝の話、ゆっちも聞いてた?』

 部室棟裏でのやり取りのことを指しているのだろう。有はそれを肯定して、再度あひるの玩具を鳴らした。

『そっか、やっぱ聞いて………え、何の音これ』

「あひるの玩具ー。カエルもあるよー」

『あの、結構真面目な話なんですけども………』

「だいじょーぶ、ちゃんと聞いてるよー」

 本当かなぁ、と呆れる流。しかし彼女は『まぁいいや』と気持ちを切り替え、本題へと移る。

『あのね。私、ヒバりんと一緒に試合に出ようと思うんだ。私は別にプロになりたいとは思ってないんだけど、高校の間はCS辞める気もないし………。ヒバりんが弘海うちでやりたいって言ってくれるなら、一緒に出たいんだ、大会。だからさ、えっと………』

 そこで言葉を切る流に、有はらしくないなーとあひるの玩具を置いて続きを待つ。

 有がそんなことを思っていると、通話の向こうで流が誰かに話し掛けられて、若干声が遠のく。やり取りから察するに、どうやらシャワーブースにいるらしい織芽が流を呼んでいるらしい。

『えー?何ー?ごめんもうちょい大きい声で言ってー?………バスタオル?何で持ってってないのさ』

 二人が距離が近いだけの幼馴染で親友、と知っている有も、今の会話を聞いて何ともインモラルだと苦笑する。妙な方向に想像を膨らませる性格の者が聞けば、行為後だと勘違いをするところだ。

 "カフ"の前に戻ってきた流が、話の続きをする。

『っとと………ごめんごめん、話止めちゃって。それで、その、ゆっちも一緒に、大会に出てほしいなって』

 神妙な話かと若干身構えていた有だったが、そんなことかと肩の力を抜いた。今更言われずとも、有も部を辞めるという選択肢を取るつもりは無い。

 何よりも、有自身かなり人との関わりを欲する性格をしているから分かる。雲雀も自分と同じ様な、所謂寂しがり屋なのだと。

 その雲雀が、自分達部員との関係性に「日数は関係無い」と言ってくれた以上、応えるのが道理というものだろう。

「あたしは最初からそのつもりだよー。でも演習場使うお金全部出してもらうのは悪いからー、すぐには無理かもだけど、家の手伝いとかして、ひーちゃんに返していこーかなーって」

『ええっと………ホントにいいの?ヒバりんは"この貸しは優勝で返してもらう"って言ってたけど、ぶっちゃけ可能性激薄だよ?』

「いーじゃん、無名校が破竹の勢いでゆーしょー。かっこいーと思うなー」

『んな適当な………いや、そりゃ私達も本気でやるけどさ』

 有は簡単に言っているが、実際のところ、部員が五人程度では優勝は難しいだろう。いや、ほぼ不可能に近いと言っていい。新人戦を除けば、現在の部員の中に疑似近代戦闘の経験者はいない。高校進学より前に射撃を経験しているのも、雲雀と有の二人だけだ。

 全ての校が最大人数である十五人で出場する訳ではない。しかし、一個分隊相当の部員だけしか在籍していない様な無名校は、そもそも出場すらしないのだ。対戦校は二個分隊以上………つまり、最低でも雲雀達の倍の人数がいることになる。それは有も理解しているし、その人数差で勝利を重ねていくことがどれ程困難かも分かっている。新人戦でも数に圧されて敗北を喫したのだ。

 有が湯船の縁に置いてあるカエルの玩具を手に取り、パフパフと鳴らす。

「あたしねー………友達は大事にしたいんだー。一人なのは寂しーし。ひーちゃんも多分そーだと思うから、するよ。ゆーしょー」

 お得意さんだしねー、と通話相手に茶化してみせる有。友人だからという理由だけでなく、雲雀の身の上に何かしら感じる部分があるのだろう。

『そっか。じゃあ、明日の朝練でヒバりんと話そう!それで、木曜までに部員を増やす!寝坊しないでよー?』

「頑張りまーす」

 おやすみ!と流が通話を切る。

 暫し湯船に体を預けていた有が、ふと"カフ"を操作して時刻を表示する。バイトの件を両親に相談するのであれば、閉店後が良いだろう。

 こみや食堂の閉店時間は午後十時だ。その後の作業も含めると、両親の体が空くのは十時半頃になる。二人の入浴前に話をするのであれば、そろそろ風呂から上がっておいた方が良い。

「八時半過ぎかー………。甘い物ほしいなー」

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