夏の前の挽歌 8

 午後七時十分を過ぎる頃になって、雲雀達は寮の前に到着した。

 一言二言交わしてから有がこみや食堂へと足の向きを変えて、残された三人は雲雀と流の間に微妙な距離感があるままにエレベーターに乗る。その後三階に着くと挨拶を交わして、流と織芽が廊下へと出た。

 流と織芽はエレベーターを降りると左側へと足を向け、『302』の部屋番号と『女川』の文字だけが浮かんでいる表札ディスプレイの下で足を止める。ここが彼女達の部屋だ。

 弘海学園学生寮は六階建てで、二つの棟に分かれている。西棟が男子寮、東棟が女子寮だ。一階は五部屋、二階より上は六部屋あり、各棟三十五部屋の計七十部屋が入っている。部屋番号は東棟、つまりは女子棟から始まる様になっていた。

 雲雀が唯一残っていた空き部屋に入った為、空室は一つもない。しかし相部屋は可能で、現在寮で生活をしている生徒数は八十人を超えている。流と織芽が生活している部屋の隣、303号室も相部屋らしく、表札ディスプレイには『フォンティーヌ』と『有栖坂』の名が浮かんでいた。

 間取りは101号室と106号室を除いて二部屋毎に鏡合わせとなっており、流と織芽が生活する302号室を例に出すと、まず玄関に入り上がり框の右手に洗面台のあるシャワーブース、その奥に洗濯機スペースとトイレが続く。左手には備え付けの玄関収納があり、靴や傘などを入れることができる。

 短い廊下を進んで扉を抜けると右手にキッチンスペースが、左奥にはオープンクローゼットがある。その隣にはベランダへと続くガラス扉が立っていて、東向きのこの部屋ならば朝にはカーテンの隙間から日の光が差し込むだろう。

 食器類の収納も、キッチン下の棚と吊戸棚を使えば一人二人ならば問題無い。エアコンも設置されている為、勉学に励むには丁度良い設備であると言える。

 最上階にはこれに加えてロフトもあるのだが、三階のこの部屋はこれで全てだ。

 流と織芽は居室の右奥に二段ベッドを縦に置いていて、キッチン前にダイニングセットが、中央に二人で使うには少々大き目なリビングセットが見える。リビングセットの正面には小さめのオープンラックがあり、その右横で買ってきたらしいクローゼットの背中がオープンクローゼットを隠している。

 他にもドレッサーや棚、観葉植物、雑貨類、クッションや縫い包みなどが見えるが、掃除が行き届いているらしく乱雑な印象は受けない。恐らく、織芽が管理しているのだろう。

 そのリビングセットのソファに身を投げ出して、流が大きく息を吐いた。

「ちょっと、まずは着替えなさいっていつも言ってるでしょ。それかさっさとシャワーを浴びる!」

 二つのクローゼットの間、どうやら着替えスペースとなっているらしいそこで織芽が着崩したブレザーを脱ぎ、ハンガーにかけつつ流を叱る。織芽はクローゼットの間に通した棒の端からカーテンを摘まんで着替えスペースを隠すと、その中で部屋着に着替え、脱いだブラウスとスカートを片手にカーテンを開いて、洗濯機スペースへと向った。

 ブラウスとスカートをネットに入れて、靴下と一緒に洗濯籠に放り込んだ彼女は、ソファで俯せになっている流に声を飛ばす。

「流も制服出してよ。明日の朝回すんだから」

「ん-、分かってるー」

 しかし一向に動く気配を見せない流に、織芽は近付いてその頭を小突く。

「ほら、きびきび動く。ご飯作るから、先にシャワー浴びてきて」

「ん-………」

 L字型のソファに寝たまま生返事をする流。彼女の頭の方────短く折れ曲がっている方のソファに腰を下した織芽は、流の様子が少しいつもと違うな、と首を傾げた。

「どうしたの?」

「別に。何でもない」

「何でもなくないでしょ」

 大方、今朝の雲雀との会話を気にしているのだろう。先ほどまでの練習中も、雲雀の方は兎も角として、流は無意識に雲雀との会話を避けていた様に見えた。

「雲雀のことでしょ?朝練の時の」

「………覗き魔」

「はいはい、覗き魔でごめんなさいね」

 適当なあしらいにむすっと頬を膨らませる流。

 流と織芽は幼馴染である。家が近かったことで幼少から交流があり、互いに知らないことは無いと言える程の時間を共に過ごしてきた。中学三年の初め頃には家庭の事情で一つ屋根の下で暮らすことになっていた為、こうして同じ部屋での寮生活にも大して苦痛を感じない。

 子供の頃から活発だった流と、それに付き合う織芽。誕生日は流の方が半年程早いが、姉気質な織芽が流の愚痴を聞くという光景は昔からの日常となっていた。

 それ故か、こういう時の流は初めこそ意地を張るものの、して間を置かずに織芽に相談を始めるのだ。

「なんかさー、ヒバりんの話聞いてたら、分かんなくなっちゃって。私って本当にCSやりたいのかなとか、本気でやるってどういうことかなーとか」

 流が疑似近代戦闘に興味を持ったのは、ただの偶然である。

 中学一年の夏休み。女川家と赤松家が家族ぐるみで計画した短期旅行で東京に行った際、丁度疑似近代戦闘の夏季高校生大会決勝が行われていて、興味本位でフィールドとは別の場所に設置されている観覧席に入った流は、その迫力に目を奪われたのだ。

「取り合えず、メイクでクッションが汚れるから仰向けになりなさい」

「真面目な話してるのに」

「わたしも真面目に聞いてるわ」

 流は剥れながらも、織芽の言う通りに姿勢を変える。

 流とは逆に、織芽はそこまで疑似近代戦闘に興味があった訳ではない。ただ、流は熱が入ると何を言っても聞かない質であることを誰よりも理解している織芽は、流の話に毎日のように付き合う様になり、結局高校入学と同時に共に疑似近代戦闘を始めることになったのだ。

 だがそれは二人にとって、高校生活を退屈なものにしない為の方法の一つでしかなかった。明確に将来を見据えている雲雀と違って、二人は卒業後も競技者でありたいとは思っていないのだ。

「温度差があるのは別にいいんだよ。そういうのは関係無いと思うし、将来どうこうとかじゃなくて、学生の間は一緒に試合に出たいなーとは考えてるんだ。でも………」

「でも?」

「ヒバりんと違って、私は多分、敗北前提の記念出場でも満足できるんだ。実際、新人戦では初戦で敗けたけど、普通に悔しいだけで引き摺ったりとかしなかったし」

 流にとっての疑似近代戦闘と雲雀にとってのそれは、全く違う意味を持っている。それ自体に思うところはなくとも、雲雀の芯に触れた自分が、どういう感情で疑似近代戦闘に向き合うべきなのか、取り組むべきなのかが分からない────と、流は言う。

 雲雀がただ単純に、憧れだけで有名な選手になることを目指していたのであれば、話はそう難しくない。静止状態であれば、雲雀の射撃技術は高校生としてはそれなりに高い部類だろう。ならば、今からでも疑似近代戦闘に力を入れている学校に移れば良い。

 しかし、この地が祖父との思い出の場所で、周囲から理解されなかった祖父の人生は間違っていなかったと証明する為に、弘海学園の生徒として出場し、いずれはプロの選手になる────というのであれば。

「悪い意味じゃないんだけどさ。………ちょっと、重いなって」

 流は常に向上心を胸に勝利を目指すのではなく、同好会的な雰囲気で銃を撃てればそれで満足できる。しかしその雲雀との意識の差は、同じチームでいるには致命的な擦れ違いとなるだろう。

「そんな風に考えてたらさ。私って、なんか────………薄いなー、って」

 天井を見つめる流の隣で、織芽は内心、少し意外だなと彼女の横顔を観察していた。

 織芽の知る流であれば、雲雀の言葉で更に火が付くところである。しかし、義務教育課程も終わりが見えてきた高校一年生という時期が影響しているのか、自分の将来を考えて"何に本気になるべきなのか"という取捨選択を始めたのだろう。そして、捨てるべき感情の中に、将来役に立たないであろう本気で取り組むべきでないものの中に、今まで自分が憧れていた世界を入れるべきなのかどうかを悩んでいる。

 織芽は一度ソファから立ち上がり、流の前に立つと、彼女の頭を手で支えて少し上げて、その下に座る。そして、幼馴染に膝枕をしながら、くすりと笑った。

「流、将来に不安とか感じるタイプだったのね。意外だわ」

「酷くない?私だってそりゃ悩むよ。やりたいこととか特にないし」

 疑似近代戦闘は飽くまで趣味であって、それで食べていこうとは考えていない。

 それを知っている織芽は、なればこそ尚更ない………と、ソファに寝ころんだことで乱れている流の髪に軽く触れる。

「どうせ結局進学するんだから、三年くらい無駄にしてもいいじゃない。銃とかに興味無かったわたしを入部させたんだから、とっくにその覚悟はあるものだと思っていたんだけど」

 織芽にも将来の展望は無いが、高校生活くらいは無意味に過ごしても良いと考えている。決して楽天的な性格だからではない。学業を疎かにするつもりはないし、将来から目を背けている訳でもない。しかし、結局のところ、将来のことを今からあれやこれやと考えていても成るように成るし、成るようにしか成らないのだ。

 ならば、と珍しく気分が落ち込んでいる幼馴染の背を押すつもりで、織芽は言う。

「たった三年くらい雲雀に付き合っても、その程度で終わる程人生は短くないわ。その三年が雲雀にとって有意義で、わたし達にとっては無意義でも、所詮の差よ。それで全てが決まる訳ないじゃない」

 将来のことは、その時に考えれば良い。それまでに最低限の準備だけをしておけば、数年程度の時間の浪費など、人生を通してみれば誤差にも入らない。

 聞く者次第では「刹那主義は人生を棒に振る」と憤慨するかもしれないが、織芽はこの自分の考え方を気に入っている。棒手振りで売り払える程自分は安い人間ではない、と誇りを持っているからだ。

 十数秒の沈黙の後に、流が体を起こす。そして背中越しに少し横顔を見せて、しかしその視線は曖昧に織芽の方へと向けるだけで、織芽に視線は合わせない。

 数秒口元をもごもごとさせていた流が、意を決した様に────といっても呟く様な声音で、舌の上で転がしていた言葉を室内の空気に乗せた。

「じゃあ、その………えっと。………これからも付き合ってくれる?」

 織芽に相談していても、元々流に疑似近代戦闘部を辞めるという選択肢は無かっただろう。だから、この結論も初めから出ていた筈だ。ただ、という不安が流とその結論との間に浮かんでいて、それを如何にかしたくて、織芽に背を押してもらおうと話した。

 やはりそれもお見通しであるらしい織芽は、少し座る位置を流の方へと寄せて、彼女に見えているかは分からないが、姉の様に微笑んでみせた。

「今更ね。じゃなきゃここにはいないわよ」

「そっか。うん、そうだよね。ありがと」

 流が勢いよく立ち上がる。そしてパシン!と自分の頬を両手で叩いて、腕に着けたままの"カフ"を操作して雲雀を呼び出す。

 しかしシャワーを浴びている最中なのか、呼び出し音が続く。明日は土曜で、朝練も九時からと少し遅い。二、三時間経ってから再度連絡しても問題は無いだろう。

「メイク落としてくる!」

 そう言って洗面台へと小走りで向かう流の背を見つめて、織芽は「手のかかる幼馴染ね」とまた微笑んだ。

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