夏の前の挽歌 7

 朝の静けさを漂わせる第三グラウンドの隅から、銃声が響く。

 単発で少し間隔を空けて二回、間を置かずに三回、三点バーストが五回。計二十回の発砲音が聞こえた三秒後、更に単発で二回、三点バーストが六回。

 弘海学園女子疑似近代戦闘部は、部員数四名の弱小部である。故に強豪校の様な専用の練習場などは無く、以前使われていた土地も現在は市営の駐車場となっていた。

 今銃声が鳴ったのは、第三部室棟の裏に置かれた簡易的な練習場である。

「やっぱいいね93R。後期型のガスポートより断然こっちだよねぇ」

 そこに集まった三人の少女の内、茶髪を一つ結びにした人物────流が、赤毛を三つ編みにして肩から垂らした雲雀に近付く。

 93Rから弾倉マガジンを抜き、遊底止めスライドストップのレバーを下げて遊底スライドを戻し引き金トリガーを引いて、薬室チャンバー内に弾薬アモが残っていないことを確認した雲雀が、安全装置セーフティをかけつつ流の感想に頷いて言う。

「私もそう思う。ベレッタスタイルは当時は近未来的に映ったかもしれないけど、スライド部分からバレルが見えてるのは無骨とも言える。外観は殆ど92と同じでも、フォアグリップと言ってしまえば折り畳めるただの棒なストックがそのある種の無骨さに拍車をかけている。そこにSFチックな菱形ガスポートはミスマッチ」

「分かるー。いやー、いい部員が入ってくれて嬉しいよ。38も撃たせてもらっちゃったし、ハイスタの射撃を間近で見れる日が来るなんて思わなかったからなぁ」

 その二人の会話を聞きながら、金髪ショートボブの少女────織芽が"カフ"で時刻を確認する。

 五月二十三日、金曜日。午前六時五十七分。

 夏季大会参加申し込み締め切り日まで、あと一週間となった朝。

 部員集めは進まず、雲雀達は練習場の狭さから実践的な訓練もできずにいた。

「全く。あの子、毎日遅刻してくるわね。朝に弱いのは知ってるけど、大会に出るなら早起きしてもらわないと」

 新人大会前の朝練でも、有はほぼ毎回寝坊していたらしい。しかし、雲雀は今週は毎朝、彼女の両親の店に予約した弁当を受け取りに行き、それを昼食にしていた。その為、あまり強く遅刻を咎める気になれない。

 朝練に参加しないという訳ではないし、聞くところによれば彼女の得意分野は狙撃だというから、この狭い練習場ではあまりすることもないのだろう。

「市営の演習場を使えればいいんだけどねぇ」

「逗子の市営演習場って、桜山の?」

「桜山大山、ね。正確には市営二子山山系演習場」

 二子山山系は、逗子市の南に隣接する葉山町との間に跨る山地である。桜山大山は、逗子市南部────桜山大山がある為この表現が正確かは分からないが、そこにある桜山の飛地だ。その市営二子山山系演習場はこの桜山大山にあり、神奈川県内ではそれなりの知名度の演習場となっている。通称"桜山演習場"だ。

「学生でも使えるの?」

「強豪校ならね。忖度とかよりも、弱小校は金銭的な面で使う機会は殆どないわ」

 まして部員数がたったの四人、公式大会出場の最低人数にも達していないとなれば、使用許可など下りる筈もない。

玩具銃トイガンのフィールドは駄目なの?」

「玩具銃と競技銃は別物だから。ニューペクター弾は………特に対物ライフル用の弾とかはフィールドオブジェクトを破壊するし、グレネードもある。BCMDを付けていない非競技者には、最悪命の危険もあるわ。許可以前の問題ね」

 BCMDに内蔵されているEDFiGには、瓦礫などの破片や崩落から装着者を守る機能が搭載されている。力場のエネルギーを発生させているナノマシンを使った防御機構で、大抵の衝撃は無効化、でなくとも大部分を軽減することができる。

 といってもこの機能は、装着者が能動的に起動させる必要がある。その為、不慮の事故────例えば高所からの落下などでパニックに陥った際には、咄嗟に使われることはあまりない。

 当然、これの使用は戦闘不能判定となる。BCMDを装着していなければ死んでいた可能性が高いということだからだ。

 特殊ペイント弾であるニューペクター弾でさえ、BCMDを身に着けていない人間にとっては脅威となり得る。ニューペクター弾はただのペイント弾ではなく、一定以上の運動エネルギーを持つ場合に着弾箇所に合わせて硬度を変える、衝撃吸収型特殊ペイント弾なのだ。EDFiGの力場に反応しなければ、物によってはコンクリートの壁すら破壊する威力を持つ。疑似近代戦闘は、正にこの時代の銃撃戦そのものなのだ。

 織芽の言う通り、非競技者が遊戯として行うサバイバルゲームで使われるのは競技銃とはまるで違う。

 空気圧を利用して"ダーツ"と呼ばれる弾を打ち出し、そのダーツは専用のベストに張り付く性質を持つ比較的柔らかい材質で出来ている。銃本体を含めて玩具であることを強調する派手なカラーリングをしており、SF的な外観が更に競技銃との区別化に一役買っているという、であることを前面に押し出した商品となっているのだ。

 雲雀からすれば、銃擬きの軽量化プラスチックの塊での様な棒切れをパスパスと垂らしながらのたのた走り回る輩は、祖父への冒涜に感じるだろう。

「玩具銃なんてただのプラスチックの塊。邪道。フィールドも私達に使われた方が絶対に喜ぶ」

「重量感がないとね、やっぱり。引き金トリガーの重み、射撃時の反動リコイル、鼓膜を破るみたいな発砲音。手に持って安全装置セーフティーを操作するだけで湧き出る快楽物質ドーパミン!おもちゃ程度じゃ出せないよー、これは」

「分解と組み立て、整備、カスタムも忘れるべからず」

「同じ銃でも、バレル変えるだけで雰囲気全然違うもんねぇ。美容室に行った後みたいな」

「美容室で喩えるなら側板グリップパネルの交換にすべき。バレルは寧ろジム通いと言った方が適切」

「あ、確かに」

 二人の会話を聞いていた織芽が頭を抱える。彼女は流と幼馴染ではあるが、疑似近代戦闘部に入るつもりは無かったのだ。しかし流の勢いに敗けて、今や立派な苦労人である。

「おはよー………」

 建物の影からふらふらとした足取りで黒髪ロングを揺らす有が現れ、大きく欠伸をしてから織芽に寄り掛かる。

「ちょっと有、殆どすっぴんじゃない」

「だってー。眠いし、ご飯美味しかったしー」

「はいはい、ご飯美味しくて良かったわね。こっち来なさい、メイクしてあげるから」

「ん-」

 成程、これが弘海学園の母か………と、雲雀が頷く。

 しかし、やはりこの部室棟裏だけでは練習にならない。何か妙案は無いものだろうか。

「流」

「ん?」

「演習場は個人でも使えるかな」

「どうだろ、地球バッジ持ってる人が代表になれば大丈夫だろうけど………未成年はどうかなぁ」

 どちらにせよ、演習場を使うとなると大人の同伴は必要か。ならば、真里奈が地球バッジを持っていることに期待しよう。持っておらずとも、地球バッジを持っている雲雀がいれば問題はないだろう。

 雲雀は"カフ"を操作して、桜山演習場の公式ホームページを表示する。画面をスクロールしたりタップしたりした彼女は、使用料のページを開いてそこを見つめた。

「六十五ニューN Cドルかぁ。CS部の部費は他の部より多いとはいえ、部員が四人だと安くないなぁ。練習弾買うお金とか無くなるし………」

 六十五ニュードルをかつての日本円のレートで換算すると、凡そ九千六百円程度となる。高校生の身分ではおいそれと出せる金額ではない。

 しかし、ふむと一つ頷いた雲雀は、流にこう提案した。

「来週の木曜までに部員を増やせたら、私の奢りで桜山演習場に行こう」

「奢りって………六十五ニュードルだよ?五人分で三百二十五。寮生活三か月分だよ?」

「貯蓄はある。先行投資と思えば安い。借りは返してもらう」

「いやいやいや、流石に頷けないって。仲良くなってまだ数日だし、お金の問題ってデリケートだし」

 それは雲雀自身がよく知っている。本来十年は暮らせる筈の祖父の遺産────祖父が雲雀の為にと遺したそれを、親族とのトラブルを避ける為にと一年分だけを手にして縁を切ってきたのだ。寮生活であれば数年は保つだろうが、それでも雲雀が相続した遺産は、祖父の遺言通りとはいかなかった。

 現在、雲雀が使える金額の上限は一万四千七十三ニュードル。公共施設などの利用以外であれば、今や希少過ぎて逆に価値が無いとまで言われている日本円も多少は持っている。

「日数は関係無い。お金の問題がデリケートなのも知ってる。でも大会に出るには、やっぱり一度ちゃんとした場所で練習する必要がある」

 有の得意分野が狙撃だというのなら、尚更広いフィールドでの練習は欠かせない。部員全員での作戦行動訓練も必要だ。この部室棟裏の狭い空間でできることだけでは、初戦敗退は目に見えている。

「敗北前提の記念出場は好みじゃない。皆へのお金の貸しは優勝で返してもらう。その為の先行投資」

 流は元々、雲雀の言うところの記念出場程度の心持ちでいた。銃は好きだし疑似近代戦闘の試合もよく見ているが、実際に自分がやるとなると、才能以前に向上心が欠如していることに気が付いたのだ。

 そもそも、本気で疑似近代戦闘に打ち込みたいのであれば、こんな廃部間近な弱小校に入学するべきではない。市内であれば県立逗子高校一択だ。

 しかし、記念に出場するだけならば………と、適当に入学先を決めて、そして来たのが弘海学園だった。弱小校ならば弱小校らしく、記念に出場するに留めるのが分というものだと考えている。

 だから流は、雲雀がここまで自分達に肩入れする理由が分からない。

「期待してくれるのは嬉しいけど………。そんなに本気でやりたいなら、何で強い学校に行かなかったの………?」

 そう言葉にしてから、流はしまったと口を塞いだ。これではまるで、雲雀との温度差に辟易している様に聞こえてしまう。

 慌てて訂正しようとする流だったが、雲雀の言葉でそれは遮られた。

「大崎公園は思い出の場所だから。CSをやるなら、ここしかないと思った」

 この先を言うべきか、雲雀は少し迷う。身の上話など聞かせたところで、それは雲雀以外の人間には全く関係の無いことだ。それに、同情から協力されても結果は出ないだろう。

 しかし、と雲雀は言葉を続ける。中途半端は好みではない。ここまで話したのなら、全て伝えておくのが道理というものだろう。

「………私のお爺ちゃんは社会人チームの選手で………でも無名で、私以外の血縁者からは理解されなくて。私とお爺ちゃんはずっと二人だけで、でもお爺ちゃんは私のことを育ててくれた。………お爺ちゃんが家から追い出されたのは、私が銃に興味を持った所為なのに。私のせいで家族に嫌われたのに、そんなことないよって。だから、私は────」

 体の向きを変えて正対する雲雀の視線に、流は一瞬だけ、身動ぎができなくなる。表情が変わらないだけで陽気な性格をしている少女だと思っていた相手の瞳の奥には、まだ十五歳とは思えない程に深く暗い影と、どろりとした何かを抑え込む強い意志が溜まっていたからだ。

「────私は絶対に、有名な選手になる。それで、お爺ちゃんは何も間違ってなかったって、証明する」


 ────その、雲雀と流が会話をする様子を見ている人物が、二人。それぞれ別の場所で、しかし朝の静けさの中では辛うじて声が聞き取れる程の距離で。

 一人は部室棟の影で壁に背中を預けて、もう一人は部室棟の背後の林の木の陰で立っている。

「………もしかして、貴女が雲母さん?」

 突然声を掛けられ肩を跳ねさせる碧羽の口を、有が手で押さえる。雲雀と流の会話は、織芽と有にも聞こえていたのだろう。このタイミングで飛び出すのは得策ではない、と言いたいらしかった。

 教室でも顔を合わせ、まだ数日とはいえかなり親交が深まった相手の身の上事情を、こんな形で盗み聞きしてしまうとは。雲雀の口から祖父の名は偶に出てくるが、碧羽はまさか故人だとは思っていなかったらしい。

 いや、転校初日の放課後、大崎公園の話をしていた時に、雲雀は「祖父との思い出の場所だ」と言っていた。普通に考えれば、それは故人を偲んでの発言だ。気が付かない方がどうかしている。

「雲雀が貴女を誘ったって聞いたけど………確か、雲母さんは帰宅部よね。朝練もないのに、こんな朝早くに返事をしに来てくれたの?」

 それに頷こうとして、碧羽は躊躇する。

「そのつもり、だったんだけど。銃の話してる時の雲雀は楽しそうだから、覗いてみるくらいならいいかなって。でも………」

 建物の影から雲雀と流を覗き、二人の間に気不味い沈黙が流れている様子を眺めてから、碧羽は呟いた。

「………ちょっと、背負える気がしないや」

 一方、木の影に隠れている人物は、ただの近道として第三グラウンド脇を通っていた。特に部活には入っていないが登校の早い生徒で、この数日は雲雀達の朝練風景を横目に歩いていたのだ。

 その女子生徒が、肩から下げた鞄の中に仕舞ったに視線を落とす。

(社会人チームの、無名選手。………訊いた方がいい、よな。絶対)

 鞄のチャックを空けて、その女子生徒────田中島妙子が、一丁のパーカッション式リボルバーを取り出す。その銃の持ち手グリップには、二人の人名がハイフンで繋がれて彫られていた。

 この銃は三年前、妙子がとある中古銃器店のホームページを見ていた際に出会い、物の価値を知らない店の主人が安値で売り払おうとしていた為、それならばと購入した物だ。

(これ、私が持ってちゃ駄目なやつかもしれないし………)

 刻まれている人名の片方には、こうある。

 『Orfeo Shinonome』、と。

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