夏の前の挽歌 6
『いやいや、無理無理無理。私運動神経悪いし、銃も撃ったことないし』
食事を終えた後に暫し談笑していた雲雀達だったが、時間的に客入りが多くなってきたことで、一先ず解散となった。といっても、流と織芽も寮生活をしているらしいので、店で別れたのは有だけだったのだが。
風呂に入る前の食休みにと"カフ"を充電ケーブルに挿したまま操作した雲雀は、室内のエアディスプレイにニュース番組を流しながらベッドに横になり、連絡先から碧羽を選択してコールした。大会出場に必要な、あと一人の部員を確保する為だ。
「銃の撃ち方なら私が教える。興味無い?」
『ん-、正直微妙、かなぁ。というか、ちょっと怖い。怪我とかするんでしょ?』
「フィールドオブジェクトの破片とかは、BCMDの機能で防御できる。それを使うと戦闘不能判定になるけど、基本的に他のスポーツよりも圧倒的に危険、ということは………あまり無い」
『え、あまり?絶対じゃなくて?』
「この世に絶対だけは絶対に無いらしい」
疑似近代戦闘は様々なフィールドで試合が行われる。しかし開けた平野だけで構成されるステージは存在しない為、最悪足を踏み外して高所から落下、ということもあり得る。実際、疑似近代戦闘の公式大会での最も新しい事故はこれだった。落下した選手は骨折だけで済んだものの、打ち所が悪ければ死んでいてもおかしくない。
それを聞いた碧羽が、うーんと唸る。
『やっぱり怖いなぁ。てか、雲雀は大丈夫なの?危ないんでしょ?』
「運動神経はそれなりにある。それにパルクールもできるから、他の人よりは安全」
『パルクールって、あの何かビルとか跳ぶやつ?』
「うん」
これは祖父に教わった技術ではなく、単純に雲雀が趣味で始めたことだ。生みの親との縁は既に半ば切れていたとはいえ、束縛の強い性格だった為に、東京に越した後も疑似近代戦闘には触れさせてもらえなかった。そこで、射撃だけでは少々単調だと思っていた中学一年の秋に、アクロバティックな動きができたら格好が付くのでは………と、パルクールを始めたのだ。
「無理強いはしない。危険があるのも事実。でも、少しでも興味が湧いたら部室に来てほしい。体験入部だけでもいいし、一試合だけ試しにやってみるのでもいい」
折角出来た友人だ。無理に誘って早々に関係を悪化させたくないのだろう。友人作りに積極的というのは、人との繋がりを求めているということだ。雲雀は表情の変化に乏しい為に知る者は少ないが、実はかなりの寂しがり屋なのである。
『一応考えてはみるけど………。雲雀も怪我とかしないでね』
「最大限注意する。私も試合はしたことないから」
『顔に傷とか付いたら、お嫁に行けなくなっちゃうからね』
「そもそも貰い手もいないと思う」
『美少女が言うと嫌味だよ、それ』
「碧羽も可愛い」
なんて他愛無い雑談を少し交わしてから、互いに課題を終わらせなければと思い出して通話を切る。
課題の前に風呂に入るか………と体を起こしたところで、"カフ"が着信を知らせる音を鳴らした。
雲雀がひょいと画面をみると、そこには『イライザ』と表示されている。
「数日振り、イライザ」
『数日振りー。結構元気そ?』
「うん、元気」
イライザは愛称で、彼女の本名は
『そっちどんな感じ?海見える?』
「寮の目の前が海。最上階だから、防風林に遮られずに葉山港まで見える」
『マジ?ビデオ通話できる?』
声の調子を上げたイライザに応えて、雲雀がヘッドボードに置いた"カフ"から充電ケーブルを引き抜き、腕に着けて、エアディスプレイを操作する。宙に現れた画面に映ったのは、明るい茶髪をお下げにした少女だった。
「ちょっと待ってて」
画面を頭の高さに移動させて位置固定設定をオンにしてから、雲雀がベランダへと出る。そして画面の向きを海へと変えると、イライザが声を上げた。
『おおー、ホントに海だ。でも曇ってて台無しだし、思ったより綺麗じゃないな』
「東京湾よりはマシ」
『確かに』
"カフ"のビデオ通話は、数十年前までのものとは全く違う。エアディスプレイの大半はナノマシンによって形作られているが、その技術の根幹となったのは疑似近代戦闘に必要な装備の一つ、BCMDの力場と呼ばれる機能だ。
BCMDとは、
BCMDの主機能である
EDFiGの力場は一定以上の運動エネルギーを持ったニューペクター弾の弾頭に作用し、発生させた力場によってペイント弾を液状化させる。この力場は元は装着者の生体磁気で、ナノマシンがそれを増幅しているのだ。
エアディスプレイの多くや"カフ"のビデオ通話は、これらを応用したものである。BCMDとEDFiGは元は医療用計測器として開発されたが、疑似近代戦闘に使用される様になってからは、様々な分野でこの技術が使われることになった。
"カフ"のビデオ通話は、このナノマシンが大気中の光の屈折や空気の振動を感知することによって、空中に浮かぶエアディスプレイをカメラとして機能させることができるのだ。それだけでなく、大気中の水分を利用した通称"水レンズ"と呼ばれる技術を合わせることによって、高い画質も備えている。
『そっちはどう?CSできそ?』
「CS部には入った。でも試合に出るには一人足りない」
『ありゃ、じゃあまず部員探しって感じか』
「イライザが転校してきて入部するといい」
『無茶言わないでよ~』
笑い合う二人の声が、相模湾の波の音に包まれて消える。雲雀が下に視線を移して134号線を見ると、歩いていた数人がこみや食堂に入っていくのが見えた。
『元気そうで安心した。………色々大変だったからさ』
イライザがはにかみながら言う。色々というのは、雲雀の祖父が急逝したことだけではない。その前にも後にも、生家から何度も「戻ってこい」としつこく連絡があったのだ。
「………お爺ちゃん」
相模湾を見つめて、雲雀が呟く。
『大丈夫。雲雀のお爺ちゃん、めっちゃ雲雀思いだったから。多分相模湾から見守ってるよ』
イライザの言葉に頷いて、雲雀は少し、視線を西へと移す。その目には披露山と、その影の向こうの大崎公園が映っていた。
『夏休み、遊びに行くからさ。美味しいお店とか行って、そんで教えてよ』
雲雀は画面の向こうの親友の気遣いに胸の中で感謝をしつつ、美味しい店ならばと一つ名前を上げる。
「いい店なら一つ知ってる。寮の隣にある大衆食堂は美味しい」
『え、早くない?引っ越してまだ二日でしょ?』
「部員の実家がやってる店。今日行った。ハンバーグ定食美味しかった」
『いいなー、ハンバーグ。私今ダイエット中だからなー』
夏に向けて気合を入れているのだろう。しかし、それならば夏本番も多少食事制限をすべきなのではないだろうか。
「豆腐ハンバーグなら大丈夫」
『残念、今日は春雨入りの野菜スープなのだ』
「それも美味しそう」
話を続けながら、雲雀がBCMDを撫でる。
彼女の祖父の死は実際のところ、全くの突然という訳でもない。雲雀の幼少期には既に心臓を悪くしていたからだ。
容態が急変するという様なことはそれまでなかったのだが、中学を卒業した春休み、イライザ含めた数名で遊びに出かけた雲雀が帰ると祖父が倒れていて、その時にはもう冷たくなってしまっていた。
自分が家にいれば、或いは助かった可能性もあったのでは────と、祖父の亡骸の前で、雲雀は泣き崩れた。
雲雀にとっては、祖父だけが家族だった。
浜松の生家は古臭く、祖母も両親も頭の固い人間で、幼少期の雲雀に自由は殆ど無かったと言っていい。そんな中、祖父のオルフェオだけが優しく接し、それがきっかけで銃と疑似近代戦闘に興味を抱いた。祖父が愛した競技に惹かれたのだ。
雲雀が銃に興味を持つ様になってから、それまでも良好ではなかった祖父と他の三人の関係は、悪化の一途を辿った。そして雲雀は僅か六歳で両親からいないものの様に扱われ、逆に祖母からの干渉は増えた。
雲雀の実家は祖父と過ごした練馬のアパートの一室で、浜松の生家は思い出すのも苦痛な檻でしかない。祖母も両親も、火葬にすら立ち会わなかったのだ。最低限の手配だけして、後のことは全て雲雀に押し付けて、にも拘わらず、電話越しで祖父の遺産は受け取って当然だという口調を取る。雲雀が関わりたくないと考えるのは当然だろう。
『その部屋、寮の最上階だっけ?』
「うん」
『潮風気持ちよさそー』
「髪に悪いし、髪型崩れやすいけど」
『あー、それは最悪だわ』
「こっちに来る時は覚悟しておくといい」
雲の切れ目から橙色の光が差し込み、夕日が相模湾の向こうへと沈んでいくのが見える。それを眺めながら、二人の会話は続く。
漸く通話が終わる頃には既に日は完全に落ちきっていて、空は都会の光を反射する雨雲に覆われていた。
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