夏の前の挽歌 5

 雲雀を強引に連れ出した三人が向かったのは、弘海学園学生寮の方角だった。

 学園正門が面するシンボルロードと屋敷通りを繋ぐ道を西へ進み、屋敷通りをほんの数メートル南へ。右手に見える小道────学生寮から屋敷通りへと出るその小道に入る。

 今朝雲雀が通った道でもあるが、三人は寮ではなくその少し手前で方向を変えて、ここから134号線に繋がる小道へと足を進めた。

(事務所じゃなくて、普通の定食屋だ)

 国道134号線に面した土地。弘海学園学生寮の東隣に、昔ながらの暖簾が掛けられた大衆食堂があった。

「こみや食堂………こみや?」

 店名を見た雲雀が、有の方を見る。

「あたしの家ー」

「結構美味しいから期待していいよ、ヒバりん」

 時刻は午後五時少し前。駐車場が無い為客の数は分からないが、時間的にはまだ席は空いているだろう。

「ただいまー」

 有がガラガラと扉を開き、間延びした声で厨房の方へと帰宅を報告する。

 この店は有の実家と一つになっているらしいが、普通家の人間は店の入り口から帰宅しないものなのではなかろうか、と雲雀が呆れていると、案の定店の奥から女の声が飛んできた。

「店の方から入らないでっていつも言ってるでしょ。………って、流ちゃんと織芽ちゃん。いらっしゃい」

「お邪魔しまーす」

「お邪魔します」

「します」

 有、流、織芽に続いて店内へと入る雲雀。

「あら、その可愛い子はどちら様?」

 有の母が三人に問う。それに答えたのは、大仰な仕草で雲雀を一歩前に出した流だった。

「新入部員のヒバりんです。我らの救世主ヒバりんをどうぞよろしくお願いいたします」

「東雲雲雀です。初めまして」

 ぺこり、と頭を下げる雲雀を見て、有の母は口元に手を当てて微笑む。

「雲雀ちゃんね。名前も可愛いわー。ゆっくりしていってね」

 有の母を見ながら、雲雀は「あまり似てない親子だな」と思った。その雲雀の背中を流がぐいぐいと押して、四人は右奥のテーブル席に座る。

 個人の店にしては珍しくテーブル席には全て仕切りが取り付けられており、半個室の様になっていた。有がこの店を事務所と呼んだのは恐らく、日常的に他の二人が食事をしに来ていて、その際に部活の打合せなどを行っているからなのだろう。

 雲雀の隣に座った有がメニュー表を差し出す。今時ラミネート加工された紙のメニュー表とは珍しい、と店内を見回した雲雀は、少し古風な店内に一抹の懐かしさと苦い記憶を思い出した。

「今日は歓迎会だから、雲雀ちゃんはあたしの奢りー」

「私達は?」

「沢山お金落としていってねー」

 メニューは和食が中心だが、カレーなどもあるらしい。暫くメニュー表と睨みあっていた雲雀は、結局無難にハンバーグ定食を注文することにした。

「私、激辛カレー」

「わたしは卵焼き定食」

「あたし五目うどんー」

 有の母が厨房に向かって注文内容を伝えて、そちらから男の声が返ってくる。有の父だろう。

 再度メニュー表に目を落とした雲雀は、予約注文限定で弁当の販売もしていることに若干目を輝かせる。

 比較的料理は得意な雲雀だが、毎日自分で三食用意するのは流石に手間だ。今日の昼は学食で済ませたが、寮の隣にあるこの店なら登校時に寄っても時間は取られない。ハンバーグ定食が好みの味ならば、明日からの昼食はこの店の弁当、というのも悪くないだろう。

「二人はよく来るの?」

 雲雀が流と織芽に問う。

「先月からね。実家が鎌倉だから、こっちに来たの三月末なんだ」

「転勤?」

「二人で来たの。寮のある学校なら、未成年だけでも手続きは簡単だし」

 高校が義務教育課程に組み込まれたのは、今から六十年も前のことである。現在は受験と言えば私立校への入学か、或いは大学進学時のどちらかしかない。公立高校の生徒は中学までと同じでその地域の子供だが、二人の様に実家から離れた高校へ通う、というのも少ない話ではない。

「ヒバりんは?この時期に転校って珍しいけど………」

「前の学校にCS部は無かったから。あと色々あって」

 色々あった、という言葉で追及すべきでないと判断したのか、流はそれ以上何かを聞く素振りは見せない。誰にでも、どの家庭にも、言えないことや言いたくないことの一つや二つあるものだ、と納得したらしい。

「じゃあ、前の学校にCS部が無かったことに感謝しないとね。お蔭で廃部にならずに済むよ。改めて、ようこそCS部へ!」

 運ばれてきたお茶の入ったガラスのコップを掲げる流。流と同じ姿勢を取る織芽と有に釣られて雲雀もコップを掲げ、四人で乾杯をする。

「ヒバりんは夏の大会に出たいんだよね?」

 部室に来た際に雲雀が口にしていたことを思い出して、流が問う。

「うん。だから、あと一人部員が必要」

 新人大会には最低人数の制限は無いが、夏季・冬季の全国大会とその予選である地区予選、ブロック予選では、最低人数が五人と決まっている。高校生の場合最大人数は十五人で、日本疑似近代戦闘連盟は五人を一分隊と定めている為、基本的に三個分隊を前提とした作戦立案が求められるのだ。

 部員数が四人では、夏の地区予選にすら出ることができない。しかし、流達は新たに入部してくれそうな人物に心当たりがなかった。

「わたし達も、できることなら大会に出たいけど………。正直、夏は諦めるしかないかもしれないわ」

 夏季地区予選は六月の第一金曜日に始まるが、出場校は一週間前までに各自治体に参加を申し込む必要がある。今年の夏季大会申し込み締切日は五月三十日、丁度十日後だ。

 その間に新たな部員を獲得し、未経験者ならば最低限の射撃訓練も行わなければならない。

 雲雀は運動神経は高いが、疑似近代戦闘に関しては素人と言っていい。祖父の試合映像や高校生大会などを中継で見たことはあるが、試合に出場するとなると雲雀の練習時間も考える必要がある。

 となると、実質的に部員探しに使えるのは精々数日………可能ならば今週中に、といったところだろうか。

「帰宅部の友達に声をかけてみる」

「え、転校初日でしょ?もう部活誘える程仲いい友達ができたの?」

「どれくらい仲がいいかは分からない。でもそれは私が気にすることじゃない。寮に戻ったら連絡してみる」

「連絡先も交換してるのね」

「コミュ力高い………」

 雲雀がこの場で電話をかけなかったのは、一応歓迎会の主役として連れてこられたという自覚があるからだろう。

「朝練はしてるの?」

「一応ねー。でもー、先月半ばに私達が復活させるまでは廃部だったからー。処分前の銃に慣れるだけで精一杯だったよー」

 おや?と首を傾げる雲雀。部の復活には四人必要な筈だが、あと一人はどこだろうと疑問に感じたらしい。

 しかし即座に、退部した一人がその人物なのだろうと予想する。

「先週退部した一人を入れて、四人で復活させた?」

「おお、よく知ってるね。私と同じE組の子なんだけど、新人戦までって約束で入ってもらったんだよ。結局初戦敗退だったけど」

 高校と大学の夏季・冬季大会の地区予選は、他で言うところの県大会も含まれる。まずは市内の学校同士で試合が組まれ、その後市の代表校同士が戦うことになるのだ。

 新人戦も、規模こそ劣るもののほぼ同じ筈なのだが………

「逗子には高校が三つしかない。なのに、弘海学園は出場した年はほぼ毎回初戦で敗けてる」

「逗子高は割と強いし、池政ちせいも鎌倉に近いからってそこそこ力入れてるからねー。ほら、県立鎌倉女子学院。あそこはブロック戦でも割と上位に入ること多いでしょ?小中高一貫で、非公式戦の経験者もいるしさ。横須賀とかも地区予選決勝まで残ったり」

「他の二校の部には他の市への対抗意識があるのよ。逗子高は県立っていうのもあるだろうけど。その点、うちは生徒数も平均かやや少ないくらいだし、逗子でCSをやるなら逗子高、って考えるのは自然よね」

「おまけに弘海うちは設備も少ないしー、部員数が少ないと当然部費も減るから、新しい銃も買えないんだよねー。昔一回だけ、全国行ったことあるらしいんだけどー」

 成程、と相槌を打つ雲雀。入部しても禄な設備が無いのでは、確かに別の高校に行こうと考えるのが普通だろう。

 余談だが、この時代の高校は半数以上が学生寮を備えている。これは他国の人間が多く流入した影響だが、高校受験の無い時代で家から離れた学校に通う生徒がそれなりにいるのは、この学生寮が多いというのも理由の一つとなっていた。

「皆、お待たせ」

 有の母が料理を載せたお盆を手に現れ、四人の前に皿を置いていく。

 雲雀はイタリア料理が好みだが、祖父の存命中にはよく近所の大衆食堂や町の小さな中華料理屋にも通ったものだ。

 懐かしさを感じながら、運ばれてきたハンバーグ定食に目を落とす雲雀。白米、豆腐の入った味噌汁、大皿にデミグラスソースのかかったハンバーグとナポリタン、糸の様に細く切られた大根や人参のサラダ、皮付きのフライドポテト。小皿には白菜の浅漬けがちょこんと座っている。

 メニュー表の写真よりも美味しそうだ、と涎が垂れそうになるのを乙女の尊厳で我慢した雲雀が、他の三人と同時に手を合わせる。

 箸でハンバーグを一欠片切り離し、白米が装われた茶碗を左手に持って、ソースが垂れない様に口へと運ぶ。

 その横で雲雀を見ていた有が、父の味はどうかと言いたげな表情をする。

「凄く美味しい。とても気に入った。これからは週三くらいで、昼食にここの弁当を買うことにする」

 おおー、と目を輝かせて、有が雲雀に抱き着く。

「常連さんゲットー。ねーねー、ひーちゃんって呼んでいいー

?」

「問題無い」

「ひーちゃん、連絡先交換しよー」

 有の提案で互いに箸を置いて、"カフ"を操作する。有の連絡先を登録した雲雀は流と織芽の方を向いて、変わらぬ表情でこてんと小首を傾げる仕草をした。

「二人もする?」

「するする、是非しよう!」

「わたしも」

 一日で七人と連絡先を交換するとは、中々に社交的な娘である。

 もぐもぐと口を動かしながら、雲雀は早速、明日の昼食となる弁当を何にしようかと考える。やはり定番の唐揚げ弁当か、エビフライ弁当、チキン南蛮弁当、ハンバーグ弁当も良いし、日替わり弁当も気になる。唐揚げ付きの高菜チャーハン弁当というのもあるらしい。カレー弁当は休日の方が良いだろう………と、他の三人に見られていることに気が付く。

「ヒバりん、食べ方綺麗だね。お嬢様みたい」

 何気ない流の質問に若干生家のことを思い出すも、彼女に深い意図はないだろうとすぐにその記憶を追い払う。

「お嬢様ではありませんわ」

「いやお嬢様じゃん」

「お黙りになってくださいまし」

「それお嬢様が言うやつじゃん」

「いい加減にしていただきたいものですわ」

「お嬢様が若干キレ気味の時のやつだ」

「セバスチャン、この方を摘み出してくださる?」

「もうお嬢様の権化でしかないよヒバりん」

「おほほほほーほけきょ」

「梅に鶯」

「北極海」

「お嬢様が溶ける………」

 淡々とした口調で分かり辛いが、どうやらこの少女はかなりノリの良い性格らしい………と、三人は思った。

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