夏の前の挽歌 2
雲雀が編入するクラスは1ーBで、教室は北館の二階にある。雲雀と真里奈が話をしていた第二職員室も北館一階の部屋である為、階段を上って廊下を東へ向かえばすぐに辿り着く。
弘海学園の生徒数は六百三十七人。一学年は二百十人程度だ。
1-Bは三十三人で、雲雀を入れて三十四人となる。
男子校から女子高へ、そして共学化という道を辿ってきた弘海学園は、現在では女子生徒の方が圧倒的に人数が多い。割合としては女子生徒が七割、男子生徒が三割といったところである。
「お前ら席に着けー。おい本村瀬、先週の課題今日までだからな」
「うちらの名前一緒に呼ぶなし、マリリン」
「提出日延ばしてよマリリン」
「マリリン言うな。今日の放課後までに出せ」
雲雀を廊下に残し、真里奈が教室へと入る。
この時代の高等学校は、義務教育課程に組み込まれている。故に授業を抜け出そうと仮題を提出しなかろうと、進級や卒業自体に響くことは少ない。
「ホームルーム始める前に転入生紹介すんぞ。結構な美少女だから、数少ない男子共はしっかり盛り上がれー」
沸き立つ男子生徒の声が廊下にまで届く。
雲雀は自身の容姿を特別優れていると思ってはいないが、愛され体質であることは自覚している。
表情に乏しいが感情表現は豊かだし、他より身長は低めだが子供体形ではない。親から愛を受けずに育った反動か友人作りには割と積極的で、コミュニケーション能力も人並みにある。前の高校でも中学でも小学校でも、周囲との関係は良好だった。
とはいえ、基本的に趣味人間である。中学時代にはグラウンドの隅で93Rの射撃を行い謹慎処分を受けたり、文化祭期間中に廊下で
「東雲、入っていいぞ」
真里奈の声で教室の扉を開き、室内へと入る。
八十年前の日本であれば、雲雀の赤毛と灰色がかった青い瞳は目立っていたことだろう。髪を染めるな、カラーコンタクトを入れるなと言い掛かりをつけられたかもしれない。
しかし、教室内にいる生徒は様々な髪や瞳、肌色をしている。染めている者もいるだろうし、明らかにエクステを付けている女子生徒や、ピアスを空けている生徒も多い。服装も基本制服ではあるものの、アレンジされていたり、着崩されていたり、パーカーや柄物のシャツを着込んでいたりと様々だ。赤毛青目でメイクをしているだけの雲雀が悪目立ちする様な時代ではない。そもそも、校則で外見を縛った程度で学力が向上し風紀が正されるのであれば、初めからそうなっているだろう。
三つ編みに垂らした赤毛を揺らして、雲雀が教壇の前に立つ。その後ろで真里奈がスクリーンに『東雲雲雀』の名を映し出し、生徒達に向き直った。
「東雲雲雀だ。
勝手に生徒の個人情報を暴露するのは教師としてどうなのだ、と呆れつつ、雲雀は田中島と呼ばれた女子生徒を見る。
彼女の左襟には二つのバッジが付けてあった。一つは雲雀の青地球バッジと色違いで、競技用銃の所持を許可するもの────通称"黄色地球バッジ"。もう一つは恐らく、自衛用火器を校内に持ち込む手続きを正式に終えたことを示すバッジだ。弘海学園の校章を青と白で、その中央に紅色の椿の花が置かれているデザインで、真里奈曰く"椿丘バッジ"である。
田中島は興味無さそうに、ふいと廊下側の窓へと視線を外す。その田中島を含めて教室内の男女数人が、左襟に"椿丘バッジ"を付けている。しかし"地球バッジ"を持っているのは雲雀と田中島の二人のみらしい。
(地球バッジを付けてる学生の方が少数派なのは、どこも一緒か)
公式大会出場経験校の疑似近代戦闘部員でも、このバッジを所持している生徒は多くない。白地球バッジであれば見掛けることはあるが、雲雀の付けている青地球バッジは普通、社会人が取得するものなのだ。
真里奈が雲雀の背中を軽く叩く。自己紹介をしろという合図だろう。
「東雲雲雀です。よろしく」
リュックサックを背負ったまま腰を折る。
「………簡潔過ぎないか?」
真里奈の駄目出しに口を尖らせる雲雀。どうせ休み時間には質問攻めが待っているのだから、これ以上言うべきことは何もない。
しかし真里奈は目の奥で「早く何か言え」と圧を掛けている。公務員に無意味な喧嘩を売る趣味は、雲雀は持ち合わせていなかった。
「………好きな食べ物はみたらし団子とカルボナーラ、あとチーズがいっぱい入ったマルゲリータ。餡子はこしあん派。きのことか貝とかタコとかイカとか、ギニャギニャしたものは嫌い。最近は抹茶味のアイスにハマってる」
「食べ物ばっかだな」
「他に何を言えと」
早く座って休みたい、と徐々に目が死んでいく雲雀。しかしそれを許すまいと、早くも質問攻めが始まる。
「好きな動物は?」
「エゾオコジョ」
「どこから来たの?」
「東京の練馬」
「好きなアイドルっている?」
「ニュースくらいしか見ないから分からない」
「好きなタイプは?」
「雑食だけどポリマーフレームはあまり好きじゃない」
「そのリュック何入ってるの?」
「銃」
「ご趣味は?」
「射撃」
「彼氏いますか?」
「強いて言うならハイスタがそう」
「行ってみたい場所は?」
「今年は沖ノ鳥島」
「下の名前で呼んでいい?あ、私も
「分かった、桃子」
「甘党?辛党?」
「多分中間。どっちも好きだけど甘過ぎるのも辛過ぎるのも無理」
「お茶しない?」
「茶道の心得はない」
「その辺にしとけお前ら。………てか何だ、エゾオコジョって。よく知ってんな」
幼少期に絶滅動物図鑑でエゾオコジョを見た雲雀は、その愛らしさと意外に獰猛であるという気性に心を奪われた。現在も寮のベッド付近には実家から持って来たエゾオコジョグッズが置いてあり、大きめの縫い包みが眠りに就く雲雀を見下ろしている。
他にも色々と言いたいことはあるが、と真里奈は手を叩いて注目を集める。
「続きは休み時間にしろ。東雲の席はあそこな」
廊下側から三列目の一番奥、そこに誰も座っていない席があり、その隣で黒髪の女子生徒が手を振っている。雲雀に甘党か辛党かと質問した少女だ。
「私、
「うん、よろしく」
リュックサックを下ろして着席した雲雀が、机の上に置かれている教材用デバイスを起動する。"カフ"と通信させて、正常に動作しているかを確認する為だ。
「んじゃ、あんま時間無いけどホームルーム始めんぞ」
真里奈が連絡事項などを読み上げる。その裏で、雲雀より少し前に座る女子生徒────
(東雲………)
二人の間に面識は無い。間違い無く、今日が初対面だ。
妙子が、どこかで聞いた苗字だと肩越しに雲雀を見る。単純に珍しい苗字だからだろうか。だが、珍しい苗字と言えば雲母も同じだし、そもそも多民族国家となった現代の日本では、難読苗字や珍苗字は少なくはない。その中で東雲だけが気になる、というのも妙な話である。
しかしそれは雲雀のリュックサックの中身に対する疑問によって、間を置かずに書き換えられた。
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