M2092/SR-Be1

夏の前の挽歌 1

 百年前はどうやら、今より少し涼しかったらしい────と、朝の光の中を雲雀は歩く。

 二〇九二年五月二十日。火曜日。

 天気予報士は、夜には雨になると言っていた。

(明日の夜は晴れてほしいけど)

 明日の夜は満月だ。自分の名が鳥に因むものである以上、花と月にはそれなりに関心を持つべきである、と雲雀は思う。

 そこに風が入っていないのは、彼女が年頃の少女だからだろう。時間をかけてセットした髪型が風に吹かれて崩れれば、雲雀でなくとも自然現象に殺意を覚えるものだ。

 寮と学園は徒歩数分の距離にある。屋敷通りを挟んで北が学校の敷地で、南が学生寮だ。

「昨日見た時も思ったけど………大きいな、この学校」

 運動場が第三まであり、道幅は狭いが敷地内に市道が走っている………と言えば、その広さが想像できるだろうか。改めてそれを目にした雲雀は、つい先日まで通っていた高校との違いに目を丸くした。

 この弘海学園の建物の歴史は古く、補修や改装、改築が繰り返されているものの、二百年前に建てられた。当時は中高一貫の男子校だったが、第三次世界大戦後に一度女子高へと変わり、現在は共学化している………という、少々ややこしい歴史を辿っている学校だ。

 その所為か、正面玄関付近の歩道も高校とは思えない煉瓦張りで、知らずに周囲を歩けば図書館か何かに見えるだろう。

 実際、雲雀は一日前にそういう感想を抱いた。

 午前八時。

 他の生徒はもう殆ど登校済みで、それぞれのクラスで友人と談笑していたり、本を読んでいたり、睡魔に負けていたりするだろう。

 しかし雲雀は大きなリュックサックを背負ったまま、第二職員室へと足を向ける。彼女がクラスに入るのは、ホームルームが始まってからだ。

 横開きの扉をノックし、ガラガラと音を立てて滑らせる。

「おー、来たか転入生」

「おはようございます」

 挨拶をする雲雀に、その女性教師────安斎あんざい真里奈まりなが手招きをする。

「寮はどうだ?つっても、まだ一日じゃ分かんないか」

「葉山港が見えるので、割と気に入ってます。広さも十分だし」

「荷物多かったもんなぁ。あれ全部、実家から持ってきたのか?」

「売れる物は売ったので、あれでも随分減ったんですけど」

 祖父が急逝したことで、雲雀は唯一家族と呼べる相手を失った。戸籍上は祖父が義父だったことと遺言書もあり、遺産は全て雲雀が相続することになっていたのだが、面倒事になると考え祖父の私物と幾許かの金だけを相続し、荷物を纏めて一人東京から移ってきたのだ。

 服や日用品、雑貨、箪笥に机、椅子、家電類、そして祖父の遺した銃。実家にあった雲雀の私物と祖父の私物、その殆どとなると大荷物どころではない。

「あれ、左手のそれってBCMD?」

 真里奈が雲雀の左手首に視線を向け、そこに装着されている腕輪型電子機器の名を口にする。

 BCMDとは、疑似近代戦闘C S競技者が必ず装着するデバイスのことだ。といっても、学生の殆どは私物としてではなく、部費で購入された物を使っている。

「珍しいな、学生でBCMD持ってるの。青地球バッジもだけどさ」

 真里奈が雲雀のブラウスの左襟に目をやる。そこには、黒の下地に地球を模した青い丸とそれを囲む複数色の銃弾がデザインされたピンバッジが付けられていた。

「CSやって長いのか?」

「射撃経験はありますけど、競技はやったことないです」

 雲雀が手に付けているBCMDも祖父の形見だ。登録者名義の変更はしてあるが、起動させたのはまだその一度のみである。

 そっかそっか、と真里奈はデスクの上のカップを手に取り、中身を呷る。

「あ、そうだ、一つ確認しないといけないことがあった」

「確認?」

「ああ。お前、自衛用火器とか持ってるか?免許制だったのは昔の話とはいえ、流石に校内に持ち込むなら手続きが必要でな」

 異次元の多国籍化の波により、日本の治安は悪化した。最早安全な国ではなくなったのだ。

 その中で特に増加した犯罪は、強盗と強姦である。

 世界から戦争が消え、殺傷を目的とした銃が消えても、人が変わる訳ではない。寧ろ銃を使った犯罪が消えた分、刃物による強盗や恐喝などは増えているのが現状だ。

 当然、若い女にとっては危険なことこの上ない。その為、一般人でも特殊催涙弾を使用する個人防衛火器や催涙スプレーの所持が認められているのだ。

 催涙スプレー程度であれば校内に持ち込んでも問題にはならないが、火器となると話は変わる。

「じゃあその手続きと、あとこっちもお願いします」

 雲雀はそう言うと、リュックサックを下ろして口を開き、中身を真里奈に見せた。

「銃ばっかだな。CS未経験って言ってたけど、入部希望ってことでいいのか?あ、私CS部の顧問やってんだよ。入部希望なら、後で"カフ"に入部届送るな」

 雲雀が頷き、左手首に付けているBCMDとは別の腕輪型装置を操作する。すると空中にエアディスプレイが現れて、そこを弄って銃所持の許可証ライセンスのページを表示すると、そのページを真里奈の腕輪型装置────"カフ"と呼ばれるそれに向けて、空中で弾く様にして移動させた。

「ほいほいっと。発行日は………十年前の八月か。ってことは、射撃経験も十年?結構長いのな………って、多いなおい!」

 許可証には、所持している銃とその銃の購入日、或いは所有者となった日時が記録されている。

 いくらBCMDを持っているからといって、学生の雲雀が所持している銃など多くて数丁程度だろう────と、そう思っていた真里奈が驚いて声を上げた。

(競技用は一、二、三………二十四丁?総額いくらだよ、実家が太いのか?うわ、コルトのネイビー持ってる女子高生とか変態じゃねぇか。パーカッション式とか面倒なモンをよくもまぁ………)

 許可証が必要とはいえ、BCMDを所持していれば大して審査に時間は掛からない。その上雲雀は青地球バッジまで持っているのだ。祖父の急逝から二か月しか経っていないが、銃の引継ぎは他より優先的に行われた筈である。

 しかし、これが祖父の遺品だと知らない真里奈からすれば、雲雀はどこかのボンボン嬢ちゃんにでも見えるだろう。

 雲雀が部屋から此処まで運んできた銃は、自衛用の物も含めて五丁。

「自衛用は………コルト・ノンリーサルSDP3 T081tbか。ニューペクター製特殊催涙弾はマガジン内ので全部。んで、残りが部活で使う用ってことだな?」

「はい。………あ、これも」

 雲雀が徐にスカートの裾をたくし上げる。慌てて止めようとする真里奈だが、雲雀は別にストリップショーをしたかった訳ではない。太腿の小さなホルスターから銃を取り出しただけだ。

「競技用の銃を日常生活で秘匿携帯コンシールドキャリーすな。タイムスリップしてきた暗殺者かお前は」

 そう言いつつ、真里奈は許可証と睨めっこを始める。

「えーっと、ハイスタンダード・デリンジャーのDM-101。ベレッタの93R………初期型か。それにワルサーP38の………え、これゲシュタポ?と、Vz 61スコーピオン。93Rのストック、ゴーグルにグローブ、イヤーマフ………それと、練習用白色ニューペクター弾が三種類。9x19mmーNが二百、.32ACPーNが二百、.22マグナムNが十。マガジンとチャンバーの確認をするけどいいよな?」

「お願いします」

 真里奈が自衛用も含めた五丁をデスクに並べ、一丁ずつ、順番にチェックしていく。

「あ、ハイスタも装填はしてないのか。良かった、ギリ常識あって」

「昨日の今日で凄く失礼」

「ん、一番撃ってるのって93Rか?お気に入りだったりする?」

「ハイスタの次くらいには」

「………良し、おっけ。えっと、自衛用火器所持の………あったあった。ほい、これ」

 真里奈が引き出しを開け、中から白無地デザインのピンバッジを取り出す。自衛用火器所持の手続きが終わるまでの、仮の許可を示すものだ。

 それを地球バッジの隣に取り付け、雲雀は五丁の銃をリュックサックに戻す。

 真里奈は知らないが、この雲雀のリュックサックは、四十年程前に疑似近代戦闘競技者の一部が使っていた物である。これも祖父の形見の一つだ。

「重くないか、それ」

 真里奈が雲雀に言う。

「時代の重み?です」

 それに雲雀は適当に返す。

 雲雀の言葉に「随分物騒な時代だな」と皮肉ろうとして、真里奈はそれが皮肉でも何でもない、ただの事実であることを思い出す。

 第三次世界大戦終結後、新世界連ニューペクターは殺傷を目的とした銃器類や兵器の製造と流通を禁止した。それで世界が良くなったかと言えば、全く以て逆である。寧ろ犯罪率は、世界的に増加傾向にあるのだ。

 世界中から表向き戦争が消えたところで、それは平和が訪れるということではない。

 現在の日本で最も問題視されているのはレイプ被害で、性別に拘らず十人に一人は生涯で性的被害を受けると言われている。しかしそれと同時に、男女平等を掲げて女尊男卑を貫く女性が、自衛用火器などで無差別に男性を攻撃する事件も増えていた。

 真里奈の担当教科は歴史だ。故に彼女はこう思う。

 銃が人殺しの道具であった時代の方が、恐らく今よりは平和という言葉が似合っていたのだろう、と。

 少なくとも、現在の日本に於いては間違い無くそうだ。

 正に物騒な時代の重み、である。

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