OPEN-FIRE

来国アカン子

XM2092

グッド・バード・ワイヤレス




 ありきたりな実況も。

 会場を包む熱気と歓声も。

 その中に混じる罵倒ですらも。

 きっと永遠に、記憶から消えることはないのだろう。

 その日、彼女達は。

 確かに世界を撃ち抜いた。







 神奈川県と言えば、真先に浮かぶ地名は三つ程度だろう。横浜、鎌倉、そして横須賀だ。

 人によっては横須賀が消えて川崎が入ったり、相模原が追加されたり、旅好きであれば海老名を挙げる者もいるかもしれない。箱根が神奈川にあると知っているのなら、それも加わるだろう。藤沢とか茅ヶ崎とか江の島とか由比ガ浜とか、地味に有名所がかなり多い県だ。

 その内の一つである鎌倉市────の、南東の町の一角。

 JR逗子駅から逗子銀座通りを南下し、鎌倉葉山線と横須賀逗子線が重なる交差点を南へ。シンボルロードに入って西に進み、国道134号線を少し北へ戻る。

 かつては海水浴場だったらしい国道の向こう側に砂浜は無く、防風林と美しいとは言い難い海が続いている。

 オーシャンビューと言えば聞こえは良いが、百年前より海面が一メートルも上昇している現代では、海沿い物件のアピールポイントにはならないだろう。

「………あれが葉山港かな。確か、相模さがみが泊まるんだっけ」

 数十年前までは海洋教育センターとして使用されていた、逗子市立弘海ひろみ学園学生寮の最上階。

 その角部屋のベランダで、朝焼けの様な赤毛を三つ編みにして肩から垂らした少女────東雲しののめ雲雀ひばりは、南の沿岸部に視線を向けて呟いた。

 雲雀の言う相模とは、同名の戦艦の外観を模して造られた商船のことである。

 第三次世界大戦では戦艦は主戦力として数えられず、建造数自体も少なかった。"人類史上初の核戦争"では、海を渡って攻撃するよりも大陸間弾道ミサイルI C B Mなどを撃った方が早かったのだ。

 扶壁パラペットに体を預けた雲雀が、左手首の腕輪を弄る。その腕輪が朝日を反射して、持ち主の目を細めさせた。

 網戸の向こう、室内に設置されたスピーカーが、エアディスプレイと連動して音声を放つ。画面に映っているのは、午前七時に始まったニュース番組だ。

『────………通算八度目の提出となる日本円完全廃止に関する法案は否決されましたが、一部の老舗料亭などでしか使われていない通貨を発行し続けることに疑問を感じる、と答える人は、年々増え続けています。日本の基本通貨となったNCドルに関しては────』

 第三次世界大戦終結から、来年で八十年。

 日本は、アメリカと大韓民共和国の援助がなければ疾うに消滅していた弱小国である────と言われていた。

 一応戦勝国に数えられてはいるものの、戦時中の支援要請を全て断ったという事実は、終戦後の国際社会での日本の地位を落とすには十分過ぎるものだったらしい。統合幕僚長の独断による中露軍との戦闘………国内米軍基地との連携が無ければ、この国は既に消えていたことだろう。

 弱小国の烙印は、何も国際社会での立場だけを指して押されたものではない。

 戦後に押し寄せた更なる多国籍化の波と、それによる純粋な日本人の減少。

 様々な通貨が入り乱れた結果日本円の価値が高騰と暴落を繰り返し、最終的に仮想通貨であるNCドルが主流となった。

 政府の意向で日本円の発行は続いているが、アメリカドルのレートを基準にした仮想通貨を除けば、紙幣として使われているのはアメリカドルとウォンばかりだ。

 人口は一億三百万人だが、その内の四千万人程度は日本国籍を取得した移住者だったりその子や孫だったりで、純粋な日本人────つまり大和民族は六千万人強しか残っていない。今の日本は、アメリカやフランスと同じ様な多民族国家なのだ。

 雲雀もその一人で、イタリア人の祖父がいた。

 ベランダに置いた白い椅子に腰を下ろした雲雀が、手の中で私物の拳銃を弄る。

 彼女のお気に入りで祖父の形見の一つでもある、ベレッタM93R。

 それに実銃かと問う者など、この時代にはいない。というよりも、その問いに答えるのは難しいのだ。

 実銃とも言えるし、違うとも言える。八十年前に使用されていた金属製の弾頭を持つ実包が手に入れば殺傷武器として使えるが、特殊なペイント弾であるニューペクター弾でも、BCMDを着けていない人間にとっては脅威にはなる。

 しかし、実銃という言葉が殺傷を目的とした銃を指すのであれば、これは間違いなくではない。この時代にそんな物は存在しない。

 第三次世界大戦後に発足した新世界平和連盟条約機構、略称NeWPeCTOrニューペクターにより、この八十年で世界から実銃は消えた。

 防衛手段の一つとして開発されている火器類も殺傷能力は限りなく低いし、ニューペクター発足以前の銃火器や兵器類は全て、ニューペクターによって処分された。

 少なくとも表面上は、世界から戦争が消えたのである。

 そんな時代に、とある競技が注目を浴びていた。

 は、かつての戦争を過去のものとしない為、そして未来に目を向ける為にと始まったものだ。

 旧時代の銃火器から殺傷能力を取り除き、新たな技術で更に安全性を高められ、戦闘行為ではなくスポーツとして昇華した。

 様々なフィールドで行われる、疑似的な戦闘体験競技────疑似近代戦闘Combat Simulation

 CSやComSimコンシムなどとも略されるそれは、今やオリンピックと並ぶ知名度を誇っていた。

 戦争の無くなった世界で、人々は日常的に銃器を目にする。

 ある者は直接それに触れ、ある者は足繁く試合会場へと通う。

 サッカーや野球と同じく、死者が出たこともあった。しかしスポーツには危険がつきものだと皆が納得し、それもすぐに忘れられる。

 かつて人を殺す道具だった銃は、競技で使う道具でしかなくなった。

 世界総人口七十九億人の内、三億人以上が競技銃による射撃を経験している時代。

 一時は九十億人を記録し、世界的なパンデミックで二十億人以上が死亡し、戦争が消えただけで犯罪率は上がった時代。

 日本という国が半ば消滅しかけ、それでも瀬戸際で存続している時代。

 二十一世紀も終わりに近付いた、二〇九二年。

 これは、この年の五月から翌年の十月までの、とある少女達の活動記録。

 その少女達の名が、世界に刻まれるまでの物語である。

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