2 歪み

 私はおかしいのだろうか。私は歪んでいるのだろうか。そんなことを考えたことが、誰だってあるはずだ。思うに、誰しもが歪んでいるのだろう。誰かが変わっているだとか気味が悪いだとかいうのは、きっとその歪み方の違いだ。職人が丁寧にこねたパン生地を子供がまたこねなおせば、当然いびつな形になる。それをこぞって変わっているだの適当なことを並べ立てて馬鹿にしているのだろう。当然職人が作ったものが完全に同じものというわけでもない。しかしそのいびつな形というものにも種類が、おおまか同じといえるようなくくりがあるのだろう。どんぐりが背比べをしているところに木の苗がいたら当然論外だ。背比べという話にすらならない。たとえ木の苗にいくら優れた効能があっても、そもそもどんぐりですらないのだ。いくら背が高くとも。どこかでその木の苗になりたかった自分がいた。「他人とは違う」自分。ただ、自分はどんぐりという枠から外れることはなかった。思い切る勇気がなかったのだろうか。違う。きっと私は「少し変わった形のどんぐり」のあたりで満足してしまったのだ。ほんの少し「自分」というものの輪郭を歪めただけで満足して、そのためのノミを、金づちをどこかに置いてきてしまったのだ。これ以上歪めて自分が保てなくなるのが怖かったのかもしれない。「もう私は他人とは違う、オリジナルの自分になれたんだ」そんな言葉が免罪符になる気がして。そしてしばらくして気づくのだ。変わったと思っても所詮はこんなものだと。結局自分は一般人の域を出ることができない。不完全な挑戦。

 視界が歪んで見えることがある。何も病気というわけではない。寝ぼけて目の焦点が合わないだけだ。その歪んだ光景を見て自分も歪んだ気になって、数秒後に目の焦点が合って正気に戻る。自分語りをしているときにも同じ感覚になることがある。語っている間は自分がすごい人間のように思えても、話し終わってしばらくすると正気に戻って、結局同じ感想に至るのだ。「ああ、何を考えていたんだろう、馬鹿馬鹿しいな」

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