第一章 三十三話 差異

「じゃあ、時さんよろしくお願いします!」


「はいよ~。」


 やや気合の入った様子で声を張る久遠さんに対して間延びした返事で応じたのはトッキ―だった。久遠さんはブルペン上に設けられた小高い丘――マウンドに立っていた。ちなみに上原君が突き指をしているから捕手キャッチャー役はトッキ―にお願いした。


「で?賢吾よ。あの少女はどうなんだ?」


 ブルペンの二人が立ち投げの状態で軽めのキャッチボールを始める傍ら、捕手キャッチャーの後ろに陣取った直が唐突に聞いてきた。直の性格的に面白いやつかどうかってことを聞いているんだろうけど。さっきまでやり取りの手前、素直に答えたくない。


「……知らない。見れば分かる。」


「ちっ。じゃあ、そこの少年よ、どうなんだ?」


「ど、どうとは?」


 僕が素っ気無く答えると矛先が上原君に向いてしまった。上原君は少しおっかなビックリといった様子で聞き返す。そりゃそうだ。初対面で直の主語の抜けた質問に答えられるわけがない。


「面白い投手ピッチャーなのか?」


 目をキラキラさせてまさに興味深々といった様子で上原君に食い下がる直を見て思った。

 なんだろう。この既視感は。どこかで見た様な光景だ。……あ、クリスマスプレゼントを前にした小学生だ。


「う、うーん。普通ですかね。あ、でも直球ストレートしか投げられないっていう点で考えればある意味面白い奴かもしれません。」


「普通か。それが一番聞きたくなかった……。」


 そんな返しを聞いた途端に露骨にテンションが下がるのが分かった。

 ……このまま興味なくして帰ってくれないかなぁ。


「あ、でも持ち球、直球ストレートだけなのにこれまで地味に抑えられてたんですよね。……まぁ試合は一回も勝ててないですし、失点もしてるんですけど、バカスカ打たれたって言うのはあんまり記憶にないですね。……唯一昨日はボコボコにされましたけど。」


「ほーん。よぉ分からんな。」


 直に『見ればわかる』と言ったのはムカついていたからというのが半分、もう半分は本当に見れば分かると思ったから。上原君は見慣れてしまっているのと他の投手ピッチャーとの比較できる環境になかったから違和感は覚えても気づけている感じではない。


「時さん、肩、だいぶ温まったので、その……。」


「ん。OK、座るね。……直球ストレート五球!!」


「はいっ!!」


 ここまで近い距離で久遠さんの本気に近い投球を観るのは初めてかもしれない。キャッチボールやバッティング投手ピッチャーでの投球は全力って感じでは投げないし、昨日の紅白戦はベンチに居たからある程度距離があった。


「なぁ、賢吾よ。お前は何でこんなめんど……――――。」


『タァァァン!!』


 直の言葉を遮ったのは乾いた銃声のような響きだった。


「ナ、ナイスボール!!」


 受けたトッキ―も少し驚いた様子で返球した。トッキ―は捕手キャッチャーとしての経験はほぼない。だから意図して捕球音を鳴らしたというよりは偶然グローブのポケットに入った可能性もある、しかしそれ以上に久遠さんのボールに勢いがあった。


「……これは。」


「だから言ったでしょ?見れば分かるって。」


「…………球速はそこまででもない。でも『異常な伸び』がある。回転数スピン馬鹿みたいに多いのか。それに回転軸だな。これがすげぇ綺麗な縦回転だ。」


 ご明察。調子に乗るから口には出さないけど、一球で見抜く辺りは流石だ。


『伸びる球』この言葉はいつから使われ始めたのか分からないくらい、昔から投手の球質を表す言葉として野球界に存在していた。昔は単に比喩表現として使われていたその言葉は現代においては回転数、回転軸から生まれる上昇ホップ成分として再定義され、投手ピッチャーにとっての武器を表す言葉足り得るようになった。


「なるほど、賢吾が目を付けたのも分かるな。良い直球ストレートだ。」


 僕が初めてこの事実に気づいたのはバッティングセンターでのキャッチボールの時だ。軽く投げているはずなのに妙に差し込まれる感覚。まぁそれだけでコーチを引き受けた訳じゃないけど、それは人に言うようなことじゃないからね。


直球ストレート、ラスト!!」


「行きます!!」


 取り敢えず、様子見の為の直球ストレート五球。その最後の一球がトッキ―のミットに吸い込まれていった。


「久遠さん、肩肘は問題なさそう?」


「はい。特に痛みは無いですし、張っているようか感覚も無いです。」


 無理させられないのは変わらないけど、30球くらいなら問題なさそうだ。


「で?直的には何が観たいわけ?」


「変化球が投げられないなら、どういう風に投げられないのか。それを見なけりゃ話が始まらん。」


「ま、それもそうか。じゃあ久遠さんチェンジアップ試してみようか。」


「わ、わかりました。さっき確認した握りで投げてみますね。……時さん、変なところに行ったらすみません!」


「はいよー。遠慮せず投げなね。」


 チェンジアップの肝は腕の振りだ。変化球としての特徴は緩い速度にある。投げ手による回転の掛かり方によっては縦に沈み込んだり、シンカーのように利き手側にスライドしながら沈むこともあるけど、基本的には緩急を付けることを目的とした変化球だ。


 遅い球を投げるために腕の振りを遅くしたんじゃ、腕の振りを見た時点で打者バッターに球種が。故に直球ストレートと同じように強く腕を振り抜き、でも球のスピードが遅くなっていることが求められる。


「じゃ、じゃあ行きます!」


 そう言って久遠さんはゆっくりと左脚を振り上げ、いつもと同じように投球動作モーションに入った。


 ――――そして投じられた投球は、『ボスッ』という情けない音を立てながらトッキ―の遥か斜め上、防球ネットに吸い込まれていった。


「……大リーグボールにもならんな。」


 直が某野球漫画に出てくる魔球を引き合いに出してボソッと呟いた一言はあまりの暴投っぷりに静まり返ったブルペンに響いた。


 確かに捕手キャッチャーですら届かない高さだったから、打者バッター|

 バット目掛けて投げる某魔球よりも酷いコースだと言えた。


「た、確かにこの抜け方はあまり見ないっすね。」


「前回、投げようとした時と同じ感じで飛んでったな。」


 直、トッキ―、上原君それぞれが口々に今の一球を評した。そして当の本人は恥ずかしさからグローブで口元を覆って「すみません、すみません」と頭を下げながら連呼していた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「で?どうなの?何か分かることあった?」


「ああ、確実に分かったことがある。」


 大暴投という形で情けない姿を扇さんに見せてしまった恥ずかしさがまだ残る中、扇さんの問いに対して剛力さんは真顔で言った。


「この少女がヘボPであるってことだ!!」


「……うん。えーと、トッキ―はどう?気づいたことはある?」


 扇さんは慣れたようにスルーを決め込んで時さんに話を振った。

 へ、ヘボP。昨日も確か神場さんにもそう言われた。自分が凄い投手だとは思わないけど、連日言われると流石にちょっと凹む。


「うーん。投球動作フォーム直球ストレートのと比べてもブレてないんで、考えられるとしたら腕振る時に何かしらおかしいんでしょうけど。」


「そうだよな。僕も投球動作フォーム周りには違和感はなかったと思う。久遠さん、投げる瞬間の感覚ってどんな感じ?」


「えっと、いつものリリースポイントよりかなり前ですっぽ抜ける感じですね。というより腕をテイクバックした時点でもうすっぽ抜けそうでした。」


「握りは同じだもんなぁ。俺は抜ける感覚もリリースポイント付近でしか感じないし。」


 私の感覚からすればどうしてこの不安定な握りで投げて捕手キャッチャーまで届くのか、それの方が不思議でならない。


「……………………違う。手のサイズだ。」


「っ、なるほど。」


 話が行き詰ったタイミングで、これまでとは違って芯を突くような剛力さんの言葉が飛んできた。そしてその言葉の意味するところを瞬時に理解できたのはこの場で扇さんだけだった。


「おい、少女よ。お前さん、手ぇパーにしてみろ。」


「パー?」


 剛力さんの言葉の意味するところが理解できず、思わず自分の手のひらを見つめ、オウム返しの様に聞き返した。


「んで、トッキ―よ。少女の手にお前の手を合わせてみな。」


「はぁ……。んじゃあ、ほら。」


 時さんもあまりピンと来ていない様子だけど取り敢えず手のひらをこちらに差し出してくれた。言われるがままに差し出された手に私の手を重ねてみると時さんの手の方が分厚く、そして指の関節一つ分くらい大きかった。


「……合わせましたけど?」


「察し悪りぃな。お前さん、本当に扇の弟子か?」


「す、すみません。」


「別に弟子ってわけじゃないけど。それより久遠さん、ごめん。僕も完全に気が付かなかった。直の言う通り、手のサイズだよ!」


 手のサイズが原因でチェンジアップというか、変化球が投げられないと言う事だろうか。


「変化球ってのは奥が深すぎる。それこそ『七色の変化球』とかそう言うレベルじゃなく、言葉の十人十色だ。」


 多彩な球種を甲子園で操っていた投手が熱を込めて語り続ける。


「同じ性別でさえ身長、体重、骨格、筋量の違いで上手くいかないことが多い。現に俺はカーブ系の球は投げられるが、スライダーとは相性が悪くて投げられねぇ。んで、賢吾は俺の逆でスライダーはイケるがカーブ系が無理だった。……多分これは投球動作フォームの違いから来る特性みたいなもんだと思う。」


「直は無理やりスライダー覚えようとしてカーブの投げ方忘れるくらいだしね。」


「うっせぇ。……そんで、今はその違いプラス性別の差だ。」


 思わず出た言葉がチクりと胸を刺した。


「久遠さん、直は良い、悪いって話をしてるんじゃないからね。その違いを把握しようって意味。」


「は、はい……。」


 私の頭では剛力さんが悪意を持って言っている訳じゃないことは理解していた。けれど、無意識に身構えてしまうその言葉に扇さんはすかさずフォローを入れてくれた。


「んで、今回の場合、お前さんの手が小さ過ぎた。多分それが理由で人差し指と薬指がちゃんと縫い目に掛かってないからあんな感じになったんだろうな。」


 原因は単純なものだった。要は動画や人に聞いて真似たはずの握りが私に合うものではなかった。ただそれだけの話。


「ということは……?」


「普通の握りじゃなく、お前さんに合った握りを見つけなきゃならねぇ!!」

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