第一章 三十二話 問答
「――――ああ何となく事情は分かりました。俺がどの程度力になれるか分からないですけど、相談に乗るくらいなら全然大丈夫っすよ。」
「申し訳ないけどよろしくね。……久遠さん、ということで相談のアレコレは一旦トッキ―に聞いてみて。トッキ―も球種は多い方だからさ。一応釘を刺しておくけど、相談は良いけど
持つべきものは面倒見の良い後輩だった。
昨日久遠さんの野球ノートの内容を見た時に近いうちに何かしらの相談が来ると何となく思った。きっと沢井さんも同じことを考えたのだと思う。だからこそ直へ声を掛けてくれた。……僕を面白がりたいってだけではないと信じたい。
良いタイミングで来てくれたとは思う。とは言えこの
まぁ、直に振り回されるのも癪だし、放っておこう。
「じゃあ、皆それぞれウォーミングアップ、始めようか。アップ終わったら今日の紅白戦のアレコレについて説明するから。」
「「はい!!」」
ここに来る途中で出た懸念点、久遠さんの肩への負担と
「で、久遠さんと上原君はその間にトッキ―に相談しちゃおう。」
「わかりました。」
「了解っす。」
「で、暇なのに使えない
「ふはは。分からん奴だなぁ。俺が素直にいう事聞くわけないだろうに。当然、面白そうなところに行かせてもらうがな!」
「はいはい。勝手にどーぞ。」
思わず心の中で舌打ちしてしまうくらいには鬱陶しい。まぁ直の言う通り、こっちが言うことは聞かないのだから構うだけ無駄なんだけど、何せ図体だけはデカいから自由に動かれるとそれはそれで邪魔。
……本当に何しに来たんだこいつ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「で、変化球覚えたいって話だけど、具体的には何かこれっていうやつがあるの?」
アップする皆の邪魔にならないようにベンチ裏に設置されているブルペン辺りで久遠さん、上原君、トッキ―、僕が車座になる中、トッキ―が話を切り出した。ちなみに僕はオブザーバーみたいな立ち位置で居るつもりだ。一応僕自身も変化球を投げられない訳じゃない。でも餅は餅屋という言葉の通り僕には投手としての微妙な感覚に疎い、ということでトッキ―に任せようと思う。
「それが無くて。」
「無い?」
トッキ―はそう答えた久遠さんの返事に訝し気な表情を浮かべた。変化球を覚えたいっていう相談だから何かしら球種に当りは付けていても良さそうなものだけど。
「正確に言えば何が投げれるんだろうってところです。」
「あー扇コーチには昨日チラっと話しましたけど、久遠は一通りの球種は練習してるんすよ。それこそカーブ系、スライダー系、落ち球系。いわゆる基本って言われそうな球は大筋。」
ああそういう事か。上原君の説明を聞いて合点がいった。久遠さんの相談内容としては『この変化球が投げたいので教えてください』って言うよりも『どうやったら変化球って投げられますか』が近い感じか。
「……もしかして久遠ちゃんって不器用系?」
「はい……。極めて壊滅的に。」
「………………。」
トッキ―が茶化すと久遠さんはうんざりとした表情で答えた。その表情には何というか実感が籠っていて切実さが垣間見える。
そしてそんな二人のやり取りを車座の外から遠巻きに無言で見つめる巨漢の男が居た。
「んー変化球ねぇ。ぶっちゃけ、俺はそこまで覚えるのに苦労したことないからなぁ。何となく捻ったらカーブは曲がるし、ツーシームは握りだけ意識して投げる感覚は
「な、何となく?握りだけ?」
「おーい、久遠生きてるかぁ?」
トッキ―の何気ない一言が久遠さんに止めを刺したみたいだ。……そりゃあ自分が苦労しても出来ないことを『何となく~』みたいな言い方をされたらショックだろう。
実際、こればかりは個人の感覚がモノを言う感覚があると思う。自転車に乗ったことのない人間に自転車を漕いで転ばない感覚を言うことに近いかもしれない。僕自身、何球種か投げれるけど感覚的にはトッキ―のそれに近い。
「逆に久遠ちゃんは何が分からない感じ?」
「えっと、私の場合、
スポーツ全般に言えるのかもしれないけれど、これなんだ。一番難しいところは。言葉と同じで人によって受け取り方、感受性みたいなものが千差万別で、人によっては強く印象に残る言葉も別の人にとってはそうではない。身体の感覚についても同じことが言える。
「なら、捻りも指先の弾きも要らない、握りだけ弄って
「それも試したんですけど、何故か上手くいかなくて……。ち、ちなみに時さん昨日チェンジアップ投げてましたよね?それの握り教えてもらっても良いですか?」
「え、良いけど……。」
そう言ってトッキ―が実際に
「……こんな感じかな。人差し指、薬指は縫い目に掛けて、グリップするのはこの二本の指。人差し指は本当に真ん中に添えて置いておくだけ。」
そうやって見せた持ち方はオーソドックスなチェンジアップの持ち方だった。いわゆるスリーピース、人差し指、中指、薬指を立てた状態で
「うーん。やっぱりこの持ち方が基本になりますよね。……同じ握りで投げてたはずなんですけど……。」
「明後日の方角に飛んでったなあの時は。」
「上原君、それ泣きたくなるから言わないで。」
二人の会話の感じ的に相当苦戦してたことが伺える。
さて、どうしたものか。
「……おい、そこの少女よ。グローブを持て。」
そう思った矢先。車座の外から思わぬ声が掛かった。
声が掛かったことに一瞬驚いたけど、後に続いた言葉については予想が付いた。そしてその先に続く会話の流れも。
「というか直、どういう風の吹き回し?面倒なんじゃなかったの?」
「お前ら見てたらじれったくなった。」
こ、こいつは本当に自由人だな。嫌な予感を遮ろうとする僕の問いかけも一蹴された。
「待て待て、直。久遠さんなら今日は
「ムっ!!そうなのか?」
「昨日やった紅白戦で結構球数投げてるから。」
「何球だ?」
「……83球。」
「なんだ、100球いってねえじゃねえか。……大体賢吾に言ってる訳じゃねえ。そこの少女に言っている。どうなんだ?投げらんねぇのか?」
「な、投げられます!!」
当たって欲しくない予想が的中した。直のそんな言葉に前のめりで反応した久遠さんは言い切った後、申し訳なさそうに僕に軽く頭を下げた。
「…………。」
「なぁ賢吾よ。この問答も懐かしい感じがするが、投げたいと思う投手が居て、その投手が投げられると言っている。そうなりゃ、もう止められねぇだろ。」
どう反応すべきか僕が迷っている間の沈黙をマイナスな方向の反応として受け取った直は慣れたようにそう口にする。直の言う通りこの問答は久しぶりだった。
「でも、今の僕はコーチとしてここに居る。曲がりなりにも選手を預かる立場としては無理はさせられない。」
「はっ!!コーチじゃなくてもお前は口煩かったろうがよ。それに昨日今日で100球超えたくらいじゃいきなり壊れたりはしねぇよ。」
確かに直の言うことも正しい。昨日100球に近い球数を投げて、翌日数十球投げたくらいではいきなり蓄積による怪我をするということはないだろう。けれどそのような積み重ねが将来的にいわゆる『野球肘』に繋がることもまた事実。
『野球肘』は筋肉の酷使による筋肉痛や
実際にプロ野球選手でも長年の酷使によって肘関節が完全に曲がり切らなくなった選手もいる。
現役の頃は同じプレイヤーの立場としてその辺の意識が薄かった直に注意を促すだけだったけど、今は状況が違う。そんな理由もあって僕も引くわけにはいかない。
「大体お前はいつもそうだったな。理屈っぽいというか頭でっかちっつーか、変化球覚えたいって言ってんのに何で話してるだけなんだよ。投げなきゃ始まらんだろ。」
「あたまでっかち?直が自分の感覚を言語化出来ない残念な頭してるだけでしょ?それに投げなくても握りの確認とかリリースの感覚とか細かい部分で投げなくても伝えられることだってあるから!」
「お、扇さん?」
「あーこの感じマジで懐かしいなぁ。」
ああ言えばこう言うってこんな感じだろうか。互いに主張を譲らないそんな様子を見て久遠さんは少し驚き、トッキ―は変に懐かしんでいた。
「じゃあ何か?本人の意思を無視して投げさせないつもりか?」
「それ、は。」
基本馬鹿の癖して付き合いの長さ故か、痛いところを付いてくる。久遠さんを指差しながら言い放ったその一言は僕が言われたくない、そんな一言だった。指を刺された当人に視線を移すとその綺麗な瞳でこちらをじっと見つめていた。
そしてその瞳には既視感があった。
ああ、あの駐車場でのキャッチボール。あの時と同じだ。
「…………はぁ、肩温まってから30球。これ以上はダメだからね。」
あの瞳を見て僕が出来たことは絞るような声で妥協案として投球数に制限を設けることだけだった。
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