第一章 二十五話 紅白戦⑪―一回裏― ど真ん中
試合の状況は11対1でこっちが圧倒している。相手が年下だとか女が混じっているとかそんなことは関係なく、やるなら誰が相手でも徹底的に叩き潰す、そう思っている。その結果、大差がついて多少モチベーション的な意味合いで張合いが無くなっていた時、相手
『扇先輩と勝負させてくれ。』
マネージャに向けたその言葉は自然と出てきた。
――――長いタイム明け、さっきまで死に体だった女
(ただ……この人が受けるとなると話は違う。)
俺は自身の立つ左打席の土を均しながら横目に扇先輩の様子を伺う。マスクを被っている為、表情は伺い難いが視線は俯いていて
野球の基本は
「……ま、だからそこ挑戦し甲斐があるんだけどなぁ……。」
扇先輩に聞こえない程度に思わず挑戦的な呟きが零れた。
この女
……初球の入りを見るのも有りか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『――初球、ど真ん中要求するけど表情に出さないようにね。』
『ど、ど真ん中ですか。』
マウンドには私と扇さんだけ。サイン交換の確認の為にさっきまでチーム皆で集まっていた円陣は少し前に解散し、二人だけを残していた。
『……まぁ最悪ストライクならどこのコースでも良い。一番やりたくないのはボールカウントを増やす事だから……あ、もしかしてど真ん中構えられると投げ難かったりする?』
自分が言うのもなんだけど
『い、いえ、そういったことは別にないんですけど、何でわざわざど真ん中なんですか?』
『あ、口隠してね。……
扇さんはミットで口元を覆いながら悪戯っ子がネタ晴らしをするように笑いながら言った。
『なんで……。』
正直、前の打席の結果があるから初球の入り方は大事にセオリー通り
『まぁ、今日が初見の久遠さん達じゃ知らない竜朗の性格とか打席傾向とかの読みもあるけど、一番は
『……それに一球待ってそれがど真ん中だったら………滅茶苦茶ムカつくでしょ。まぁ大穴で、『良いコースだから咄嗟に手が出て振り遅れのファール』もあるかもしれないけど。』
――さっきの作戦会議中そう言われなかったら絶対にサイン交換の時に表情に出ていたと思う。出されたサインは予定通りど真ん中の
やってはいけないことは力んでコースを外す事。だから私は肩の力を抜くことを心掛ける。イメージはあの日バッティングセンターでしたキャッチボール。投手にとって一番怖いボール。それがど真ん中
『――僕は今一時的に区立板東二中野球部のチームメイトだ。』
でもそんな風に怖気づく私の心に思い起こされるのは扇さんの言葉だった。その言葉は思い返すだけで振り上げた脚を踏み出す力になってくれた。
「――――どっっっ真ん中ぁ!!」
大きく吸った息を一気に吐き出し、吠えるように腕を振るう。投じた白球が指先から離れ、一直線の白線となり扇さんの構えたミットに向かう。打席上の四番打者がバットを引きスイングの始動を見せる。あ、やばい。打たれる。
だけど。
「――ッチ!!」
指から伸びた白線は途中で切れることなく、これまで聞いたことのないような破裂音と主に扇さんの真っ黒なミットに収まった。
「み、見逃した……。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
マスク越しに映るこの光景が好きだ。防具を着けているから夏は馬鹿みたいに熱いし、マスクのせいで息はし難い。けれど球場のどこよりも良く野球が見える場所。
何より、僕が思い描いたとおりに
「――よし、イケる。」そう思ったのは久遠さんの指先から球が離れてから約コンマ数秒のことだ。
何千球も球を受けていると経験則によるものなのか、その投球が良い結果になるのか悪い結果になるのか直感することがある。そしてその直感の答え合わせをするかのようにミットに収まる直前、打席に立つ竜朗から舌を打つ音が聞こえた。
ど真ん中ストライク、と言いたいところだけど、若干
「OK!!ナイスボール!!」
僕の言おうとしていた台詞を先取りするように僕の正面、だけど50m程離れた
「――……初球から打ちに行くとは思わなかったンすか。」
「ん~。僕が出てきた時点で竜朗は勘ぐるでしょ?……あと、いつでも打てるくらいに思ってるんじゃないの?」
打席上では竜朗が久遠さんへ視線を向けたまま、けれどはっきりと僕に向かって話しかけてきた。それに対して僕は久遠さんへ返球しながら応じた。
「……あんまりこっちばっかり見てると久遠さんに足下掬われるよ。」
「あのへぼPにはもう勝ったからいい。……俺はあんたに勝ちたい。」
「……」
竜朗はかなり前から僕に対して変なライバル意識を持っているのは知ってたけど、引退してもそこは変わっていないみたいだ。一、二打席の内容だけで久遠さんを攻略した、そう言っている。何が竜朗の琴線に触れて僕を買ってくれるのか分からない。けれど、今の竜朗の言葉は僕には受け入れられなかった。何故だか言葉に出来ないけれど。
野球は一球一球が生き物みたいに変化する。その試合調子の悪かった選手が、調子の悪かった打線がある一球を契機に激変することが起こる。
――それを証明してやる。
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