第一章 十五話 紅白戦①

「く、久遠さん!?……それに皆も、どうしてここに?」


 よくよく見てみると皆ユニフォームを着ている。


「ごほん……、それについては私から説明しましょう!!」


 そう口にするのは亜麻色の髪をかき上げながらそこそこボリュームのある胸を張る沢井さん。わざとらしい咳払いとドヤ顔に少しイラっとしてしまう。


「お昼に夏波ちゃんたちのチームについてのお話聞いたじゃないですか。……『人が足りない~』とか『練習メニューが~』とか『経験を積ませたい~』とか。」


 確かに言った。


「それで思ったんですよ。そんなのうちの学校だって同じようなもんだって。……だからどうせだったら『一緒に面倒見ちゃえ☆』って感じです。」


「簡単に言うなぁ……。第一、『一緒に面倒見ちゃえ☆』ってそれ面倒見るのは僕なんでしょ?」


「当たり前じゃないですか。」


 さも当然、何言ってんだこいつ、みたいな表情で首を傾げる沢井さん。


「……そもそもどうやって久遠さんと連絡取ったの?」


 沢井さんと久遠さんはファミレスで一度会ったことがあるだけ、昼休みの相談内容からこの件を思い付いたのならそれを連携する手段がないはず。


「そんなの会った日に連絡先交換してるに決まってるじゃないですか。」


 むしろ何で先輩は知らないんですかと言わんばかりのトーンで説明する。


「共に高校野球好きとして今年の甲子園について熱く語り合った仲だもんねー?」


「は、はい!!」


 恐るべし現役JK&JC。まさにコミュ力お化け。本人に直接言うと怖いから言えないけど


「それにうちのメンツの為にもキャプテンに一肌脱いでもらわないと。」


 沢井さんはいつの間にか横一列に並んだ都立板東高校、現野球部を指差し、そう言うと彼らは一斉に「「お願いします!!!!」」と頭を下げた。


 外堀を上手く埋められた形だ。


「……了解。じゃあ一樹かずき、紅白戦の準備任せて良いかな?」


「……わ、わかりました。」


 僕がそう声を掛けると野球部らしからぬ、前髪で右目が覆われている長身の男子部員が控え目な声量で返事をした。

 彼は樋口 一樹ひぐち かずき、高校二年生。簡単に言ってしまえば、僕の後釜だ。守備位置という意味でも、チーム内のキャプテンとしての立ち位置としても、僕の役割を引き継いでくれている。


 まぁ後者については僕がお願いして渋々引き受けた形だけど。

 そんな彼が他の部員たちにまだ慣れない雰囲気で指示出しをしている。


「……これでもマシになった方なんですよ?先輩が引退してすぐの頃なんてテンパりまくってて指示出しどころじゃなかったんで。」


 ジロリとこちらを睨む沢井さん。


「な、慣れだよ慣れ。」


 視野は広く、頭の回転も速い。捕手としては理想的な能力を持っている。それに体格の面で言えば僕より恵まれている。性格は控え目だけれど、自分自身の考えに芯がある。そういう要素を加味してキャプテンに推薦した。これも経験を重ねれば乗り越えられる……はず。


「お、扇さん、沢井さん、私たちはこれからどうすれば?」


「おっと、呼んでおいて話し込んじゃってごめんね、夏波ちゃん。……先輩どうします?」


「とりあえず準備終わるまでアップしててもらって良いかな?グラウンドは好きなところ使っていいから。」


「分かりました。じゃあ左翼レフト付近でアップさせてもらいます。」


「じゃあ皆、準備の邪魔にならないように気を付けてアップするよ!!」


「「はい!!」」


 板東二中野球部の面々は揃えて久遠さんの指示に反応し、僕たちの脇を通り抜けて左翼レフトに小走りで向かった。


「……で、他には?」


「……他って何のことですか?」


 グラウンドでは都立板東高校のメンバーが紅白戦の準備の為に道具や、ラインマーカーで白線を引いている。一方、外野の左翼手レフトの守備位置付近で板東二中の皆がキャッチボールを行っている。

 そんな様子を三塁付近に置かれた簡素なプラスチックベンチの前で、残された沢井さんと僕、二人で眺めながら話し始めた。


「確かにこの体制なら今日沢井さんに相談したことは解決できると思う。でも他にも何か思惑があるんじゃないの?」


 そう。思惑。単に僕を驚かしたかっただけとは思えなかった。

 沢井さんには普段から冗談やからかわれたりすることはあるけれど他の人を巻き込んで冗談を言うことはない。出会って一年と少し。掴みどころのない彼女だけどそのくらいのことは分かる。


「……やっぱり先輩は誤魔化せませんね。」


 そう言って苦笑いを浮かべると話を続ける。


「理由は単純で悔しかったんです。……ほら先輩って引退してから一度も部活に来なかったじゃないですか。それどころか学校ですれ違ってもどこか気が抜けているっていうか上の空っていうか……。」


 そう……だったのだろうか?

 確かにこの一ヵ月、気持ち的に晴れない日は続いていた。それが沢井さんには気が抜けたように見えたのだろうか。


「……私たちも何とか『元気づけたい』、『早く立ち直って欲しい』って思ってたんですけど、方法が思い付かなくて……。そしたら知らない内に夏波ちゃんと会って、少し明るくなったような感じで、こうしてグラウンドに立って……。」


「そこに私たちが関われなかったのが悔しくて、寂しかったんです。……だから多少強引になっても手助けしたいなって…………まぁうちの部活も面倒見てもらえたら助かるっていうのも本当のところですけど。」


 今も外野でキャッチボールを続ける久遠さんを遠目から眺めそう話す沢井さんは少し寂しそうだった。


「そっか……心配かけてごめん。」


「べ、別にこっちが勝手に心配してるだけなので謝らなくても良いですケド。」


 沢井さんはこういう時に良く照れ隠しをする。現に今も少し顔を赤らめて明後日の方向を向いている。


「……まぁこれだけ可愛い後輩にお膳立てしてもらったんだから、どっちのチームにも良いものが残せるよう頑張ってみるよ。」


「――か、かわっ!?」


「さて、僕もちょっと一樹かずきたちの手伝いしてくるかな。……時間もったいないし。」


 丁度用具を運んでいる一樹かずきの元に向かう。


「……さらっとそういうこと言うんだから……。」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


「「な、七対七の紅白戦!?」」


 グラウンド整備と板東二中のアップが終わり、入れ替わりで都立板東のメンバーがアップを始めた。

 さっきは話の流れで細かい事情を説明する余裕がなかった為、今のうちに紅白戦実施の意図を改めて説明する。


「そ、紅白戦。昨日の一日練習を観て、君たちのおおよその技量、課題が分かりました。それでこれからの一ヵ月はその課題を可能な限り克服していくことに専念しようと思っています。」


「課題の克服……。」


 長く艶めく黒髪を後頭部の低い位置でまとめた少女――漆原うるしはらえりが呟くように繰り返す。


「課題は大きく二つ。一つは助っ人の子たちのケア。もう一つは対人戦の駆け引き。前者はまた後日説明するとして、後者についてもう少し細かく説明するね。」


「久遠さんに見せてもらったこれまでの試合のスコアと昨日の練習、この二つを照らした時に感じたんだけど、まず一つチーム打率が低いけど、実力的にはもう少し高くても良いと思う。」


 久遠さん、沢井さんとの作成会議の夜、借りたスコアをもとにチーム打率を計算したところ『一割四分八厘』という結果だった。ちなみに助っ人の打席結果を除外しても一割八分三厘。これはチームとして十打席分攻撃の機会があったとして、約一、二本程度、安打による出塁があったということを表している。


 野球の格言として『打線は水物』という言葉がある。必ずしも打率通りに結果が出るわけではなく、時として結果が出ない場合や打率以上の結果が出る場合もあるということを表現している。

 チーム打率なので助っ人の成績を含めた数字ではあるが、それにしても昨日の練習を観た限り、最低でも二割くらいあっても良いと感じた。


「同じように野選フィルダースチョイスの数も昨日見た守備の印象からすると多すぎる。」


 野選フィルダースチョイス――つまり守備時の判断ミスのことだ。

 例えば一塁に走者ランナーが居て、アウトカウントが0Oノーアウトのケースで打者バッターがゴロを打つ。それを遊撃手ショートが捕球し、一塁走者ファーストランナーをアウトにしようと判断し、二塁へ送球する。その際に遊撃手ショートの予想よりも一塁走者ランナーの脚が速く、アウトが取れなかった時などに、この記録が適用される。


「それが紅白戦とどう繋がるんですか?」


「あくまで今挙げた二つは例だと思って欲しい。まぁ要するに実戦経験が不足してるからそれを補おうってことだね。」


 ダーク寄りの茶色い髪を揺らして首を傾げる少女――新山れなが素直に疑問をぶつけて来たのでそう答える。


 野球はワンプレイ毎に『状況』が遷移する競技だ。ストライク、ボール、アウトカウントや走者、打者、回数イニング数のいずれかがワンプレイで変化する。そのような『状況』変化に応じて攻撃側、守備側で選択する作戦が変わる。

 そしてその『状況』はバリエーションの数がかなり多い。


 所謂強豪と言われ、部員数の多いチームはシート打撃、守備練習、チーム内での紅白戦等であらゆる『状況』を想定し練習を行う。しかし、板東二中は守備位置すら埋まらないチームだ。走者ランナーを配置して練習することが出来ない。


 故に沢井さんが考えた『都立板東高校、板東二中をまとめて面倒見る』という体制は素晴らしい一手だと思う。


「でも扇コーチ、都立板東って今年甲子園出たチームじゃ……」


 ガタイの良い寺原君が見た目と裏腹に自信なさげに言う。


「そこは安心!!甲子園の後、三年が引退して戦力ごそっと抜けたから。」


「よっこいしょ、と」そう言って水分補給用のジャグをベンチまで運んだ沢井さんが親指を立てて言った。


「お、扇コーチ、すげえ美人なこの方は?」


 寺原君が頬を赤らめて言う。


「あぁ……紹介がまだだったね。こちら、都立b」


「都立板東高校野球部マネージャーの沢井です☆」


 紹介しようと思ったところを食い気味に、ウィンク、横ピース付きで僕を押しのけ、自己紹介を始める沢井さん。


 甲子園に出た時にメディアに取り上げられたからだろう。顔だけは見たことがある子もいるようで、「生で見るとヤバいな」とか「可愛すぎる」という囁き声が漏れ聞こえる。


「ちなみに先輩の彼女でーす。」


 そんな様子を知ってか知らずか、板東二中の男子たちを突き落とすような一言が発せられた。一瞬男子勢の表情に影が落ちた。


「はいそこ適当なこと言わない。」


 調子に乗っている後輩は軽く躱すに限る。


「……まぁ今、沢井さんが言ってくれたような相手だ。けれどいつもと違ってチームの人数的なハンデはないから純粋にチームの能力で勝ち負けを競える。」


 都立板東も夏に三年生が引退して部員が七名。ちょうど板東二中と同じだ。


「絶対に勝ちたい試合に勝つ為に、今日ここからあらゆる経験を積み上げていこう!!」


「「はい!!」」


 扇 賢吾、指導者としての一歩が始まる。

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