第一章 十四話 「お邪魔してます!!」
(――……う~ん。どうしたものか。)
腕組みをして目の前に広げられたキャンパスノートを見下ろし、今日何度目かの問答を心の中で繰り返す。ノートの上段には先ほどまで書いていた数学教師による板書の内容を書き写した数式が羅列されていた。けれどその数式は途中で途切れ、ノートの中央には野球場を上から見下ろした形のイラストが描かれていた。
そのイラストの所々に人名や書き殴った様なメモが併せて記載されている。腕を組みながら思い返すのは昨日の河川敷での記憶。午前中は打撃練習を、午後は守備練習を近いところから観させてもらっていた。打撃練習中には各選手たちが僕に対して色々質問をしてくれたし、守備練習に関してはノッカーとして最も近い距離で各選手の実力を観ることができた。
――その結果として一つ分かったことがある。それは彼らの能力が決して低くないことだ。もちろん上を見たらキリがない。けれど中学生の野球部として見れば平均的な能力があるように感じた。部員が少ないという条件を加味すれば十分合格点だろう。
だからこそ悩む。今後、僕が彼らの為に何が出来るのか、と。三十点を六十点に引き上げるのと六十点を九十点に引き上げるのでは取るべき手段も難易度も違うだろう。それに部員数が少ない分、数にものを言わせた練習方法が取れない。個々人の練度がある程度担保されていることが分かった今、あの子たちには少しでも実戦形式での経験を積ませたいところが本音だ。
「……輩…………。」
いっその事、助っ人として参加する初心者の子たちに注力すべきか?
いや、ダメだ。現状、相手チームがどのレベルなのか分からない以上、全体としての底上げは必須。もし、それを怠れば相手チームが平均より上位の能力があった場合に一蹴される可能性だってある。一ヵ月で劇的な変化は望めなくても数%で良い、底上げをしてチームとしての手札を増やさなければいけない。
「先……、聞………て……ま…か!!」
考え付いたことをノートにメモしては二重線で消し、また思い付いたように書く。
……あとは、そう、敵情視察も早くやらなければ。そう考えると時間ないなぁ。
そんなことを考えながら思考の海に沈みかけたその時――――バンッッ。
そのあまりにも大きな鈍い音に驚き思わず視線を上げると、そこには僕の机に両手を着いた可愛い後輩が口角を引き攣らせ、怖い笑みを浮かべていた。
「さ、沢井さん?じゅ、授業中に何でここに?」
「はぁ?授業なんてとっくに終わってますから。」
そう言われ、辺りを見回すと弁当箱を広げ、束の間のお昼ご飯を楽しむクラスメートの姿があった。いつの間にか四限目の数学は終わっていたみたいだ。
それにしても沢井さんがそれなりに大きい物音を立てたのにも関わらずこちらを気にする生徒がいない。
……完全に慣れたなぁ。時折聞こえてくる「まーた始まった」だの、「扇の嫁が来た」という冷やかしは当然スルーで。
「はぁ……相変わらず集中力
僕がそんなことを考えていると冷え冷えとした視線をこちらに向けながら、ため息交じりに皮肉を言われてしまった。
「で、今このタイミングでそこまで集中して何か考えてるってことは、夏波ちゃんの件ですか?」
僕の前の空いている席に座り、どこからともなく出してきた小さなお弁当箱を広げながら質問する沢井さん。
相変わらず察し良いな……というかしれっと弁当食べようとしてるし……。
まぁ引退前も弁当食べながら良くミーティングはしていたし、僕自身煮詰まっていたところだから丁度いい。バックから弁当を取り出し沢井さんと同じように机に広げる。
「……まぁそうだけど、昨日、一日練習見て分かった事もあったらから色々と……ね。」
「……ふ~ん…………で、どうでした?」
「どうって何が?」
「夏波ちゃんのチームのことですよ!!
「それを聞きにわざわざうちのクラスに来たの?」
「…………そうですよ!!悪いですか!?さっさと先輩には面倒事終わらせて、うちの手伝いしてもらわないと困るんですー。」
あ、しまった。余計な事を言った。
そう思っても出た言葉は引っ込められない。徐々に頬が赤みを増したかと思ったら一転、二の句も言わせないくらいの早口でまくしたてられた。
「す、すみません。」
「まったく…………それで?何に悩んでいたんですか?」
……正直、煮詰まっていたところなので沢井さんに相談できるのは渡りに船だ。ここは素直に助けてもらおう。
「――実は…………。」
かくかくしかじか。沢井さんにありのまま悩んでいたことを説明する。チームの現状、課題、そして今後の対応方針について。
これもいつものことだけど、こうして僕が相談するといつもの砕けた雰囲気がなりを潜め、至極真面目な表情で聞いてくれる。そういうところもあって、彼女にはいつも遠慮なく何でも相談してしまう。
「……なるほど、難しいですねぇ。」
一通り説明を終えると口元に左手を添え、何かを考えている様子。
「まず、一番は相手チームの偵察じゃないですかね?相手のチームの状態次第でこっちの対策も変わりますし、それだったら先輩じゃなくて私が行っても良いわけですし。」
なるほど、沢井さんがそこを観てくれるのは安心だ。大会前にいつも一緒に相手チームを分析してきただけあって、観るべき点を抑え、しっかりしたデータを持ってきてくれるだろう。
「だから当面、先輩は夏波ちゃんたちの面倒を見る方に注力した方が良いと思います。ネックなのはやはり助っ人の子たちですね。」
「そうだよねぇ……。あと、練習メニューどうするかなぁ。」
「あ、そっちの方は考えがあるのでこの頼れる後輩に任せてください!!」
ふむ……。
にっこりとした聖母のような表情で微笑みながら話すのが若干気にはなるものの、まぁそっちも任せて良いか。
「了解、じゃあ相手チームの偵察と練習メニューの考案は任せるね。こっちは教える方に注力するよ。」
「はーい。偵察の方は今週中に行くとして、先輩
「『先輩
都立板東高校野球部はテスト期間や年末年始等の特別な事情がない限り、基本的に毎日練習がある。その上、板東二中と同じくらい人がいない。特に今年の三年生が引退したばかりの今、秋季大会に出れないくらい部員がいない。だからこっちの手伝いをしてもらう場合、沢井さんはそちらを休むことになる。だから手伝うという話を聞いたときは今、こうしているような相談や一日だけ時間貰うとかそういうものを想像していた。
「まぁまぁ、その辺は考えがあるので心配無用です。なので私も今日から本格参戦しますね☆」
ウィンクしながら横ピース。……可愛いから文句も言えない。
「じゃあ先輩は放課後帰らないで待っててくださいねー」そんなことを言い残し、そそくさと弁当箱を片付け去っていった。
相変わらず忙しない。手伝ってもらうので指摘はできないけど……。
色々気になるけれど、そこは考えがある……はず……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――考えがあるはず。そう思っていた時期が僕にもありました……。
六限目がつつがなく終わり、彼女の言を信じて教室で待つ事三〇分。それが過ぎてからもう一〇分くらいが過ぎた。待てど暮らせど音沙汰がない。
授業が終わって教室に残って談笑するクラスメイトもまばらになってきた。
久遠さんには昨日学校終わり次第、板東二中へ向かうと伝えている。
あんまり遅くなると貴重な練習時間がもったいない。沢井さんの考えとやらはわからないけれど、一言連絡だけ入れて、そろそろ板東二中に向かおう。
そう思ってメッセージアプリを起動したその時、ちょうど沢井さんから『グラウンドにしゅーごーです!!』とのメッセージが届いた。
……?圧倒的な情報不足。グラウンドってうちの学校のだよね?まぁ行けば分かるか。
そう思って校舎の二階にある教室から昇降口に向かう。
昇降口から外靴に履き替え、グランドに歩みを進めると見慣れた、というか着慣れた都立板東高校のユニフォームに袖を通した部員たちとジャージ姿の沢井さんが三塁側ベンチに集っているのが見えた。
ミーティングでもしているのだろうか。そう思いながら彼らの方に足を進めると沢井さんがこちらに気づき、「先輩こっちでーす!!」と声を張り上げた。
……沢井さんに一言、板東二中に向かいたい旨伝えて早く練習に行こう。
そう思った矢先、ベンチ前に出来ていた人だかりが割れ、その中心に何故かいた久遠さんが申し訳なさそうな表情で「――……すみません。お邪魔してます!!」そう頭を下げるのだった。
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