第一章 十二話 神主
アップメニューがつつがなく終わり、選手たちは打撃練習の準備をしている。先ほど宮代先生が説明してくれたようにロングティを行うようだ。準備と言ってもスーパーの買い物かごに大量のボールが入ったものをマウンド近くに運ぶくらいなんだけど。
最初に打つのは新山さん。それ以外の選手はボール拾いの為に外野に散っている。トスを上げてくれるのは宮代先生だ。部員が少ないとこの辺りのやり繰りが大変だ。その分一人一人の練習時間が多くなるのはメリットだけど。
「よしっ!!バシバシ打ってくからねー!!」
「れなー!!調子に乗らない!!」
新山さんは左打席に入りながらバットで円を描くようにぐるぐると身体の前で回し、遠くに響く朗らかな声でそう言うと、すぐさま久遠さんからツッコミが入る。
そこから気持ちを切り替えたのか、すぅ……と息を深く吸って構える。遠目から見ても彼女を取り巻く空気が変わったのが分かる。
野球の投法、打法は千差万別だ。人の体格、体型、利き手などのあらゆる要素によって、その在り方は変わる。そんな中でも彼女の構えは異彩を放っていた。
その構えは神職が罪、不浄、穢れを払う際の神事の所作に似ていることから名づけられた。その名も――
ファミレスでトスバッティングの様子を動画で見せてもらった時にも驚いたけれど、生で見るとやはり驚くというか、中学生がこの打ち方をしていることに衝撃を覚える。何より慣れたように自然体でこの打ち方をしている。単なるモノマネでは出せない雰囲気がある。
アマチュアでこの打ち方を生で観るのは初めてだ。何故ならどちらかというと熟練者向けの打法。まず、野球を初めてやる小学生などには絶対に教えない構えだ。
この打法のメリットとしては上体の力を抜くことで、打つ瞬間のみに最大限の力を発揮できる点にある。一方で打法最大のデメリットは投球に対して振り遅れやすい点にある。構えの最大の特徴である、リラックスするために十時方向に傾いたバット。これが投球動作に合わせて打者が投球を待ち構える体勢――トップを作るのを遅らせる原因になり、速球タイプや緩急を付けるタイプの投手に対して振り遅れを引き起こし易いと言われている。
宮代先生がゆっくりとトス動作に入ると、それに合わせ打撃動作が始動する。始動からトップの位置にバットが落ち着くまでの間、流れるように淀みなく動作が行われる。
傍から見ると軽くスイングしているように見えた。けれど乾いた金属音と共に打球が鋭いライナー性の軌道を描き、
彼女の身長は久遠さんより小さい。160cmくらいだろうか。体型もスレンダーと表現しても良いくらいに細い。それなのにも関わらず、打球は中々鋭い。
二球目、三球目と次々に黙々と打っていく。すると徐々に
三十球を超えた辺りで完全にバテたのが分かる。打球の勢いがなくなり、ボテボテの凡打が増えた。
「だ、だめだぁ……。」
一度打席を外すと弱弱しい声でそう呟きながら天を仰ぐ。……時刻ももうすぐ十一時を回り、真上からの日差しは少し厳しい。
「お、扇コーチィ~。へるぷ~。」
……打席に入って十分。開始時の真剣な表情から打って変わって、ビックリするほどの情けない顔、弱弱しい声でお呼びが掛かった。僕は苦笑いを浮かべながらベンチを出て彼女のもとに向かう。
「……お疲れ様。最初は良い感じで打ててたね。」
「そうなんですよ!!いつも最初の五球くらいは良い感じで打球が飛ぶんですけど、後半がこんな感じになるんです。どこか打ち方でおかしいところありますか?単純に女だから力が足りないんですか……?」
「序盤は力強い打球が飛んでいたんだから力不足ってことは無いんじゃないかな?……少しバット借りても良い?」
口で説明するよりも観てもらった方がイメージもし易いだろう。そう言って新山さんからバットを受け取る。長さは少し短めだろうか。重さは特に重すぎる感じもない。ジャージのポケットから愛用の白い打撃用手袋を取り出し、装着する。受け取ったバットを軽く一、二度振って感触を確かめる。
「……さっきの新山さんの良い時のスイングがこんな感じ。」
一度新山さんのフォームを真似て振って見せる。特に意識するのは構えからトップを作るところ。それとスイングした時の両足の重心バランス。
「で、後半の打ち方はこんな感じになってた。」
もう一度振る。今度は意識的に構えからトップに移る際の腕の位置を投手よりに、スイング時の両足の重心バランスを投手側の足――つまり軸足と逆の方の足に寄せた状態で振ってみた。
「……う~ん。二回目の方が上半身が投手寄りに動きながらスイングしてる?」
「一つは正解。多分振った時に軸足に重心が残っていないからピッチャー側に身体が流れちゃってるんだと思う。それでもう一つの違いは球を待つときの体勢、これを『トップを作る』って言ったりするんだけど、これが作れてない。……例えるなら力を溜める動作が十分でないって感じかな。」
借りていたバットを新山さんに返すと「……溜めをしっかり作る。後ろ足に重心を残す。……」、と僕の言ったことを反復しながら再度打席に入る。
『溜めをしっかり作る』、これはきっと連続して打つ間に一球一球の
「…………ふっ!!」
短く息を強く吐き出すと共に強く叩かれた打球は、右中間を鋭く破った。散っていた守備陣も追いつけないくらいの速い打球。
腕力があれば確かに打球は飛ぶ。けれど腕力のない人間がそれを技術でカバーして戦うことが出来る。これが野球の良いところだ。
結局、新山さんはその後、四〇球程度打ち込みを行い。所々打ち損じによるバットの芯を外した鈍い辺りはあったものの、コンスタントに強い打球を飛ばせるようになった。
「――……扇さん!!凄いです!!言われた通りにしたらこう……グッて来た
ヘルメットを外し、額の汗を拭いながら目をキラキラさせながら新山さんが言う。……というかこの子擬音多いな。
「基本的に
「そうなんですね……。というかこの打ち方って
「結構、独特な打ち方だと思うけど、昔からこの打ち方だったの?」
「いえ、昔は普通の打ち方だったんですけど、野球の動画観てたらこの打ち方をやっている選手が居て、格好良くてこの打ち方に変えました!!夏波も『れなはせっかちだから、
なるほど……そう言う理由だったのか。本人の
「コツを掴めばもっと飛ばせるようになるよ!!今日の感覚忘れないようにしよう!!」
「はい!!」
そんなやり取りをすると元気よくグローブを持って守備位置に走っていった。ここまでのチーム内での会話の様子を見て、彼女は明るくムードメーカー的な立ち位置にいることが分かった。こういうタイプの選手が一人いると全体の士気が上がる。チームが悪い状況にあるときにそれを断ち切ってくれる。貴重な資質だ。
新山さんが一番手で躊躇なく僕にアドバイスを求めてくれたこともあって、他の選手も積極的にアドバイスを聞きに来てくれた。ロングティではあるけれど、皆力強いスイング、そして打球を飛ばしていた。飛び抜けてセンスのある子は居ないけど、平均六〇点くらいと言った印象。
その後、チーム全員が打ち終わった段階で昼食を挟むことになった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――……ぷはぁ~。あぁ……この冷えたスポドリが美味いんだよねぇ……。」
「……れな、その言い方、おじさんっぽいよ。」
河川敷の土手の傾斜に陣取るユニフォーム姿の一団。私たちは午前中の練習を終え、チーム皆で昼休憩を取っていた。日差しは相変わらず強いけれど、土手の少し高いところに居るからか、地上付近より風があり、今はそれが心地よい。
「……それにしても扇さん、凄かったね。」
そう口にするのは私の親友の一人、
「ほんと!!ほんと!!何ていうかアドバイスが的確?な感じだよね。顔も結構格好いいし、優しそうな感じだし!!」
テンション高く、そう言うのはもう一人の親友、
午前中、いつも通りの練習メニューをこなした。いつもと違うのはその中心に
扇さんは朝のミーティングの通り、自分から口を出すことはせず、私たちが声を掛けた時にだけアドバイスをしてくれた。れなも言っていたけれど、そのアドバイスがこの上なく的確なように感じた。朝のミーティングも手伝ってチーム全体の雰囲気も良く、そのおかげで皆の動きが良かっただけなのかもしれないけど、いずれにしても扇さんが居なければ、こうなっていなかったと思う。
「まったく……本当にれなはそう言う話好きだよね……。」
「えぇーだってさぁ。実際カッコ良くない?えりはどう思う?」
「……ノーコメント。」
「あ、ずるい!!」
「ま、まぁ、私の好みは置いておいて、でも実際に凄いよね。都立板東って甲子園行ってるんでしょ?それに凄く活躍したらしいし。」
「ユーリョー物件ってやつだね。」
えりが野菜ジュースをストローで飲みながら、スマホ片手に言うと、れなが相槌を打ちながらそう返す。
「改めてそれ聞くと今回の件、良く引き受けてくれたよね。甲子園で活躍したってことはこの先の進路のことで忙しそうなのに。」
それは確かに私も今になって思う。頼んだ時は自分のことで精一杯だったけれど、彼は今高校三年。本来なら進路のことで精一杯なはずだ。昨日ファミレスでも沢井さんが『先輩何やってるんですか。受験生なのに』、というようなことを言っていた気がする。
「……引き受けた理由、聞いてみたんだけど『何かが引っ掛かった』って言ってたんだけど、良くわからなかったんだよね。」
「それは理由なんて一つでしょ。……こーんな可愛くてスタイルの良い歳の近い女の子がお願いしてるんだから、断る方がおかしい!!」
そう言うや否や、れなが手をワキワキさせながらにじり寄って来た。……れなは良くスキンシップと称してお痛をするので、被害に合う前に逃げる。……この子はやることが偶におじさんになる。
「おーい!!そろそろ練習再開するってさ!!遊んでないで集合!!」
「「「はーい!!」」」
そんなことをしていたら上原君がベンチから大声で呼んでいるのが聞こえた。……恥ずかしいところを見られてしまった。後でれなには反省してもらうとして、私たちは声を揃えて返事をして急いでベンチに走り出した。
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