第一章 十話 「僕がここに来た理由」

「――さて、皆さんにとっては急な話だと思います。こうなった経緯はさっき宮代先生の説明の通りなんだけれど、それだけだと事情を飲み込み切れないとも思っています。……なのでここまでの話で僕への質問含め、何か聞きたい事とかあったりしますか?」


 日に焼け、色落ちしたプラスチック製のベンチに一列で座る彼ら彼女らに向けて問いかける。宮代先生からの紹介から少し場所を移し、腰を据えて話をするために僕たちは三塁側ベンチに向かい合って座っていた。


 先生から説明をいただいたものの、話が急すぎてついて飲み込めていない子もいるだろう。総勢七名で少なくない時間を共に過ごしている。そんな彼ら、彼女らにとって今の僕は異物でしかないだろうし、何より重要な試合の直前で環境が変わるわけだから、皆が納得した上で事を進めないとそれは単なる押し付けになってしまう。そこで練習開始の前にミーティングをする時間を少しもらうことになった。


「「…………。」」


 長い沈黙。目を瞑って何かを考えている風な子もいれば、周りを伺うように左右をキョロキョロと見回している子もいる。……まぁそうなるよね。僕の斜め向かいに座る、僕がここにいるきっかけとなった子――久遠 夏波くおん みなみに目を向けると、僕とチームメイトを交互に見て、心配そうな顔をしていた。


「…………う~~ん……――はいっ!!」


 質問をしたものの、皆の反応があまり芳しくなく、フォローを入れようと思っていた矢先。久遠さんの横に座る、黒色というよりは明るく、茶髪というよりは暗い色をしたショートカットの子が唸っていたかと思っていたら、急に明るい声とともに勢いよく手を挙げる。


「っ……!はい。えぇ…と新山……さん……で合っているかな?――どうぞ。」


「……扇さん?……扇コーチって呼んだ方が良いですかね?」


 顎に手を添え、首を傾げる彼女に「どちらでもどうぞ」と言って本題を促す。


「じゃあ扇コーチで!………というか、何であたしの名前を知っているですか?」


「あぁ……そのことか。事前に久遠さんとはチームのメンバーのこと聞いていたんだよ。その時に一通りね。……確か新山さんのポジションはセンターだったよね?久遠さんに動画見せてもらったけど、上手いね。経験者の動きだった。」


 そう言うと照れたように「えへへ」と頬を掻く。


「そ、それで扇コーチは夏波の彼氏さんですか?」


「……――っれな!」


「「……っ!!」」


 唐突に投げかけられた質問に慌てた様子の久遠さんと男子部員たち。……あぁ……似たようなやり取りを昨日もした気がする。女子中高生はこう言う話題本当に好きだよなぁ。それにしても、男子部員は久遠さんに釣られて入部したのか。思いがけず変なことを知ってしまった。男子部員の名誉のために久遠さんには黙っておこう。


「違う違う。大体、久遠さんと初めて会ったのって一昨日だから。」


 そう言うと「なんだぁ……。」とつまらなそうに呟く新山さん。


「……じゃあ何でコーチを引き受けてくれたんですか?……それに事前に夏波と打ち合わせしてからコーチになったってことは、このチームに勝算があるってことですよね?……一か月で急に何かが変わるとは思えませんが……。」


 頭の高い位置でその綺麗な長い黒髪を結っている長身美人が落ち着いた口調でそう言う。……確か彼女は漆原うるしはら えりさん。ポジションは二塁手。至極真っ当な疑問だと思った。


「……コーチを引き受けた理由は……ま、一言で言うなら久遠さんの熱量に負けたっていうのが大きいかな。」


 それは大きな理由の一つだと思うけれど、それが理由の全部でもない。ただ、それ以外の理由は僕個人の理由になるから、少なくとも今言うことではないだろう。


「で、勝算についてだけど――、質問に質問で返すようで申し訳ないけれど、皆がそこをどう思っているのか知りたい。と言うより、そこが今日僕がここに来た理由その①なんだよね。」


「どうかな?」そう僕が皆に問うと、さっきまで明るい表情をしていた新山さんも含め、皆一様に押し黙り、俯いてしまう。


「……難しいと思います……。自分たちでも勝てるように色々やってきた結果が今の現状なので……。」


 言葉尻に悔しさを滲ませ、ぽつぽつと言葉を零すみたいに話す。


「……じゃあ質問を少し変えるね。……勝算じゃなくて勝ちたいという気持ちならどうだろう?」


「……っそれはあります!私だけじゃなくて皆も持っているはずです。」


 漆原さんが食い気味にそう言うと、他の周りの部員たちもそれを肯定するように頷いている。……その言葉が聞けて良かった。


「……うん。なら大丈夫。君たちはきっと勝てるよ。残り一か月、その気持ちだけ無くさないように維持してほしい。君たちは勝算を考えなくて良い。それを考えるのは僕の役目だから。……挨拶の時も言ったでしょ?『勝たせる為に最善を尽くす』って。」


 遠回りな聞き方をしてしまったけれど、ここからが知りたい事その②だ。


「……本題に戻って、勝算の話だけれど、簡単に言うと『格好悪く勝つ』ってことを目指す事になると思う。」


「格好悪く……ですか?それって泥臭く勝つ的な意味合いですか?それって結構……」


「うん、そう、泥臭く勝つとも言い換えても良い。でもそれって抽象的って言うか、精神論に聞こえるよね。」


 長身、細身でスポーツマンらしく半袖の露出部分がこんがり日焼けした上原 和正うえはら かずまさ君が落ち着いたトーンで質問を返してくれる。話始めと打って変わって、少しずつ輪に加わってくれる。……良い傾向だと思う。


「……でも、精神論って大事なんだよ?あ、もちろん一昔前の『水を飲むな』とか『一日中ランニングして足腰を鍛えろ』みたいなことは言わないから安心してほしい。……だけど選手はもう少しスポーツにおけるメンタルを大事にした方が良い思う。」


 皆の様子を見るとあまりピンと来ていないみたいだ。


「……そうだなぁ……。じゃあ寺原 貴樹てらはら たかき君。例えば君は、学校の発表とかで大勢の前で話すの得意だったりするかな?」


「……あまり得意な方ではない……と思います。良く緊張して発表内容とか飛びます。」


 突然の名指しに寺原君はガタイの良い肩を少し揺らしながらも、実際の場面を思い出しながら答える。


「そう!!それ!!普段は当たり前のように出来ることが突然出来なくなったりする。――つまり、精神状況が身体に何らかの影響を与えているわけだ。」


 野球に限らずスポーツは自身の身体をいかに上手に操れるかを競う。先ほど挙げた例などは『緊張する』という精神的な結果が、『話をする』という行動を阻害する事象に結びついていることを表している。心技体とは良く言ったもので、このこと良く表している標語だ。


「……野球にメンタル面が大事ってことは何となく分かったスけど、それが『格好悪く勝つ』、『泥臭く勝つ』にどう繋がるんスか?」


「またまた質問で返すけれど、岩貞 朋浩いわさだ ともひろ君。泥臭い野球、格好悪い勝ち方ってどんなだと思う?」


「……う~ん……完全なイメージっスけど、内野安打で取った得点とかエラー絡みの得点が決勝点で勝つとかっス」


「あたしは内野安打で一塁にヘッドスライディングでセーフ、その間に一点!!みたいなケースが思い付くかなぁ……。まさに泥にまみれた点ってやつ?結構好きだけどね~。」


 ……うん……良い感じに議論出来てる。質問に質問で返すのが僕の悪い癖だと思う。だけれど答えを与えるだけじゃ、意味がない。ボールを投げる。打つだけが野球じゃない。野球は一球毎に間を取るスポーツだ。だからこそ、ここぞという場面で考える力が生きる。なのに学生野球は技術、力の向上ばかりが先行しがちだと思う。もちろん、どれが欠けてもダメなんだけど。


「二人とも正解。どれも綺麗な勝ち方とは言えないよね。だけど今回はそういうプレイを狙ってやる。だから結果的にそういう勝ち方になると思ってる。」


「……扇コーチの勝算とやらは分かりました。でもそういうプレイって狙って出来るものだとは思えないんですが……。」


「いや、狙える。……さっき例え話で『発表会での緊張』のケースで考えたけれど、緊張だけが身体に作用するわけじゃない。……う~ん……漆原さんは二塁手セカンドだから覚えがあると思うんだけど、守っていて打者がボテボテの当たりを打ったりすると嫌だったりしない?」


「……確かに……正面の打球なんかはまだ大丈夫ですけど、二遊間に来る弱い打球は焦りますね。特に足の速い打者の場合は特に…………あっ!。」


 漆原さんはまだピンと来ていない風だったのでイメージがし易いように、彼女のポジションを例に例えると合点がいった様子だ。


 ――そう。『焦り』もれっきとした感情だ。良く勝負の世界では『相手の嫌がることをしろ』なんて格言めいたことは言われるけれど、どうすれば相手が嫌がるのか、それを考える際には自分がやられると嫌なことを反転させてやれば良い。考え方はシンプルで誰にも思い付きそうだけれど、いざ自分がそれを実行する立場にいると中々気づけない盲点だと思う。


「――……さっきれなと岩貞君が話していた状況は『焦り』を伴うプレイだったってことですね。」


 僕に自分の行きついた一つの答えを確認するように聞く漆原さんに対して、僕はゆっくり頷くことで答える。今挙げた例だと足の速い選手でしか通用しないように思えるけれど、そうではないと思っている。もちろん、速いに越したことはないけれど、凡打で諦めてしまうよりは相手に与えるプレッシャーも大きくなる。


「……さっき『勝ちたい気持ちはあるか』って言うようなことを聞いたけれど、そこには『どういう方法を取ってでも勝ちたいか』って意味も含まれるんだ。……久遠さんから皆が中学の三年間勝てていないって事情は聞いている。皆の求める勝ち方が、今まで話してきたような手段ではなく、綺麗な、――それこそ投打に渡って相手を圧倒する、そういうものであるなら、正直に言って今回、僕に出来ることはあまり多くない。……だけど――」


 そこまで言って向かいに座る彼ら彼女らを見渡す。一様に真剣に聞いてくれている。そして、そんな皆の中央に座るキャプテンに視線を向けると、同じタイミングでこちらに視線を向けていた彼女と視線が交差する。


「皆がこの三年間で培ってきたモノをどんな手段であれ、勝利という形で残したいと思うなら、僕に全力で皆のサポートをさせて欲しい――これが今日僕がここに来た理由その②だ。」


 チームとしてどうしたいか。その結論を僕は皆に求めた。ここからは彼女の番だろう。


「……わ、私は小学校から野球をしてきて、中学でも同じように野球をやりたくてこの部活に入りました。最初の頃は練習という形で野球が出来るだけで嬉しかったし、満足していたと思います。」


「だけど――」と思い起こすように、軌跡を辿るように目を瞑り、一音一音言葉を紡ぐ、鈴のような優しい声色で、けれどそこには確かな芯があるように感じる。


「途中からえりたちも入部してくれて、助っ人を借りながらでも試合が出来るようになって、ボロ負けして、また沢山練習して……でもどうしても勝てなくて、しんどい思いも結構あったと思います。……でも、気づいたら、このメンバーで、どうしても勝ってみたくなっていました。……もし、皆が私とやってきたことが楽しくて、良い思い出だったと言ってくれるなら、あと少し私に力を貸してくれませんか?」


 ……初めて久遠さんと会った時は楚々とした大人しい子という印象を持った。まだ会って二日だけれど、その印象は少しづつ変わっているのを感じる。そんなことを僕の横に並び、共に戦ってきた仲間に語り掛ける彼女を見て思った。能力のある、自信に満ち溢れた人間が引っ張る組織はグングン道を切り拓き、皆の行く先を力強く照らすのだろう。……そんなステレオタイプなリーダー像とは異なるけれど、きっとこの子は共に戦う仲間と横並びで、同じ速度で歩み、その行く先を優しく照らすのだろう。それもまた一つのリーダーの在り方なのだろう。


「……はぁ……今更この子は何を言ってるんだか……。そんなもん決まってるでしょ、夏波。」


「まったく……れなの言う通りよ、夏波。……それにわざわざバレー部辞めてまで、夏波の誘いに乗ったのに一度も勝てないで終わるとか、そっちの方が格好悪いしね。」


 ため息をつきながら何を今更と言わんばかりに親友に慣れたように文句を言う新山さん。苦笑いしながらそれに同調する漆原さん。彼女たちを筆頭に、言葉は違えど、皆口々に「勝ち」への思いを口にする。


「…………扇さん、改めて板東二中野球部キャプテンとして、お願いします。……――どうか、私たちに勝てる野球を教えてください!!」


 そんな皆の――チームとしての相違を聞いて、感極まり、目尻に大粒の涙が溜まる。それをアンダーシャツで拭いながらチームのリーダーとして僕に改めて向き直りそう口にする。……初めて会ったその日の様に。


「……全力で頑張る!!協力して皆で勝ちに行こう!!」

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