第3話 あらびっくり!
「痛い! その手を離しなさい!」
「お前は誰だ! のぞき見なんてしやがって!」
「覗いたわけじゃない! 声がするから来てみただけよ」
「うるさい! こっちに来い!」
男に引きずられティナリアはぶるぶると震える女性の前に跪かされた。
ティナリアの簡素なワンピースの裾を踏んで逃げられないようにした男が、怯える女性の肩を抱く。
「ああ、泣かないで。大丈夫ですから」
男は手袋を外して、人差し指の先で女性の目元を撫でる。
それを見ていたティナリアは冷静に考えた。
この女性は私の異母姉妹なのだろうと。
意を決して深呼吸したティナリアが声を出した。
「私に名前はティナリア・アントレット、21番目の王女です」
男の肩がビクッと跳ねた。
女性も驚いて目を丸くしている。
「あなたはどなた? お姿から拝察するに私の異母姉妹ではないかしら」
付け焼刃ではあるが、掃除に来るメイドに習った貴族言葉を総動員するティナリア。
掃除や洗濯に通って来ていたメイド達の方がティナリアよりよっぽど貴族子女なのだ。
男はティナリアの顔を覗き込み、王家特有の黒に近い青い瞳を確認し慌てて膝まづいた。
「失礼をお許しください。私はこの宮の主であるサマンサ側妃様のご実家である、隣国のオース伯爵家から派遣されております護衛騎士、ロレンソ・パストと申します。隣国ではございますが騎士爵を賜っております」
ロレンソと名乗った男に踏まれていた靴跡をパンパンと叩きながら、ティナリアは立ち上がった。
足首がかなり痛い……
「そうですか、護衛騎士がなぜ先ほどのような?」
敢えてストレートに突っ込むティナリア。
ここで身分を名乗ってしまったのだから、この宮への就職は諦めるしかない。
もうヤケクソだ!
ティナリアの冷めた態度に、ロレンソは唇を嚙んだ。
「申し訳ございませんでした。まさか王女殿下がこのような裏庭におられるとは思いもせず、大変失礼な態度をとってしまいました。いかようにも罰をお与えください」
ロレンソは潔く剣を鞘ごとティナリアの前に差し出した。
クールな目線で見下ろすティナリア。
(あんたに罰を与えても腹も膨れやしないわよ。それより何か食べさせよ)
絶対に声には出せない要求を心の中で叫びながら俯くロレンソを黙って見下ろす。
(ここにはもう用は無いわ。ちょっと通勤が大変だけど向こうの宮に行くしかないわね)
ティナリアがそう思って踵を返そうとしたとき、震えていたお嬢様が声を出した。
「あ……あの……私の護衛騎士が大変失礼な事を致しました。改めてお詫びしたく存じますので、よろしければ宮へお越しくださいませんか? お見受けするに、足を痛めてしまわれたのでは?」
ティナリアは少し驚いた。
なぜわかった?
「足? なぜですか?」
「先ほどから全く動いておられませんし、わざと左足だけに重心をかけておられるので……出過ぎたことを申しました。お許しください」
ティナリアはゆっくりと首を横に振った。
「お気遣い恐れ入ります。実は少し痛めてしまいました。お招きに感謝します」
ティナリアの言葉にホッと息を吐いたお嬢様が、美しいカーテシーで挨拶をした。
「名乗るのが大変遅くなってしまいました。私はマリアーナ・アントレット、19番目の王女ですわ」
その可憐さから自分より年下だと思っていたティナリアは慌ててカーテシーを返す。
「大変失礼いたしました。あまりにも可憐なお姿に、年下だと思っておりました。お許しください姉上様」
「まあ! 嬉しいですわ。さあロレンソ、ティナリア姫をご案内しなさい」
ロレンソは慌てて立ち上がった。
「暫しお待ちください。先触れして参ります」
ロレンソは、ティナリアを近くにあった椅子に座らせて屋敷に走り去った。
マリアーナがティナリアの前に座る。
「ごめんなさいね。どうぞあの者をお許しください」
走るロレンソの背中を見送りながら、うっとりとした表情を浮かべるマリアーナを見てティナリアは悟った。
「お好きなのですね?」
マリアーナが驚いて顔を向ける。
ハクハクと動く唇から言葉が紡がれる前に、迎えの使用人たちが駆けてきた。
その中に何度か洗濯場で顔を合わせたことがあるメイドもいる。
そのメイドは王女なのに洗濯まで自分でしなくてはいけないティナリアに同情して、何度かお菓子を分けてくれた事がある優しい娘だ。
「まあ!お隣の王女様ではございませんか!」
そのメイドが驚いて声を出した。
ティナリアに手を貸して立たせようとしていた使用人たちが、目が落ちそうなほど見開いて頭のてっぺんから爪先までをゆっくりと見回す。
そんな彼らに温い視線を返しながら、ティナリアはわざとらしい口調で言った。
「ああ……足が痛いわ」
ロレンソが、大急ぎで駆け寄る。
「王女殿下、失礼します」
ティナリアを抱き上げ、歩き出すロレンソ。
人生初のお姫様抱っこに、本当のお姫様になったような気分を味わうティナリア。
いや、本当にお姫様なのだが……
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