第4話 運の尽き

 客間に通され、フカフカのソファーに降ろしてもらったティナリアは、頬を赤らめ現実逃避したままだった。

 医師が来て、ティナリアの足を丹念に診察している。


「捻挫ですね。それほど酷くはありませんが、三日程度は安静になさってください」


 後ろに控えるメイドに湿布薬と痛み止めの丸薬を渡し医者が出て行く。

 ドアが閉まると同時に、ロレンソが再びティナリアの前に膝まづいた。


「どうか罰してください」


 その姿を見ながらマリアーナがまた泣きそうになっている。


「いいえロレンソ卿、あなたの行動は正しいものでした。罰など必要ありません。それを言うなら私は不法侵入者ですわ」


 マリアーナがティナリアの手を取って礼を言った。

 メイド達がテーブルに紅茶とケーキスタンドを並べていく。

 このスタンドひとつだけで、一週間生き延びる自信があるとティナリアが考えていた時、ドアが開き豪奢なドレスを纏った上品な女性が入ってきた。


「この度は娘と護衛が大変な失礼を働いたとか。申し訳ございませんでした。私はサマンサ・オースと申します。お母様と同じ側妃ですわ」


 揺れるたびに高貴な香りを振りまく扇子で口元を隠しながら、優しそうな笑顔でティナリアを見ている。

 ティナリアは慌てて立ち上がろうとして、顔を顰めてしまった。


「まあ! 無理は禁物ですわ。どうぞお座りになって?」


「お気遣いに感謝いたします。私はティナリアと申します。こちらのお隣に宮を賜っております21番目の娘でございます」


 サマンサが大きく頷く。


「まあ! お隣の……お母様のことは漏れ聞いております。お気の毒でしたわね」


「ありがとうございます」


 サマンサはマリアーナを横に座らせ、メイドとロレンソだけを残して人払いをした。


「さあ、召し上がれ? その怪我は娘が原因だと聞いております。完治するまでこの宮で過ごしていただけませんか? 確かお一人で暮らしておられるとか……ご不便でしょう?」


 飛びつきたいのは山々だったが、雀の涙ほど残っていたプライドが邪魔をした。


「いえ、私は……」


 サマンサが前のめりになる。


「ご迷惑かしら? どなたかお待ちになっておられるの?」


「いえ、そのような人はおりませんが……ご迷惑をおかけするわけには参りません」


 サマンサの横でマリアーナが声を出す。


「迷惑などと! そのようなことはございません。むしろお願いしとう存じます」


 そしてティナリアは生まれて初めての本物の貴族生活を送ることになった。

 ほんの数日ではあるが……


 たらふくお茶とお菓子を堪能したティナリアは客間に通され、マリアーナの指揮の元、湯あみと人生初のエステも経験した。

 優しく布でこすられるたびに、湯が黒ずむような気もしたが、誰も触れないので気付かないことにする。


「お古で申し訳ないのだけれど」


 そう言ってマリアーナが差し出したのは、ゆったりとしたワンピースだった。

 コルセットを使う習慣がないことを察したマリアーナの心遣いに、ティナリアは心から感謝した。

 ゆったりとしたソファーで果実をギュッと絞ったおいしい水をぐびぐびと飲み、ティナリアはこれが彼女たちの日常なのかと感嘆した。


「お夕食の時間でございます」


 メイドが二人を呼びに来ると、何の躊躇いも無く頷くマリアーナ。

 すかさずロレンソが近寄り、マリアーナを抱き上げた。


「失礼いたします」


 初めてより二回目の方が緊張するということを知ったティナリアの顔が赤く染まる。

 好きな男が他の女を抱き上げる姿は拙いんじゃないかと思い、マリアーナの顔をチラ見したが、全然気にしている風でもない。

(ああ、お姫様抱っこも彼女たちにとっては日常茶飯事の事なのね……)

 妙に納得したティナリアだった。


 食堂には長くて大きなテーブルが一つ。

 ゆったりと置かれた椅子の数は12個。

 テーブルに置かれた燭台の陰が、蠟燭の明かりでゆらゆらと揺れている。

 薄いピンクの生地で仕立てられたテーブルクロスの上には、赤いランチョンマットが置かれている。


 その数は3つ。

 今日ここで食事をするのは3人ということだ。

(なのになぜ使用人が8人もいるの!)

 にっこりと笑うマリアーナの正面の椅子に落ち着いたティナリアの心は穏やかではない。

 

 すました顔で少しだけ俯いて壁際に控えるメイド達を横目で見る。

 本来ならあの位置を狙っていたのだ。

 自分の服よりも数倍上等なお仕着せをまとったメイド達を、ティナリアは心から羨ましいと思った。


 ロレンソとは別の騎士にエスコートされ、サマンサが到着した。

 立ち上がろうとするティナリアとマリアーナを手で制し、優雅な仕草で席につく。

 ふと見れば、昼間に会った時とドレスが違う。

 何回着替えるんだ? ティナリアは素直な疑問を飲み込んだ。


「さあ、始めましょう」


 一斉に動き出す使用人達。

 テーブルマナーはひと通り学んだが、身にはついていない自信があるティナリアの顔は引き攣っている。

 それを見たサマンサが使用人を呼んだ。


「ティナリア姫はおみ足を怪我しておられるの。だからあまり長い時間は無理なのよ。全ての料理を食べやすく切り分けて、一皿に盛ってちょうだい。私とマリアーナのも同じようにね。動かなくて良いようにスープはカップに入れて欲しいわ」


 礼をして去って行く使用人を満足げに見てから、サマンサがティナリアにウィンクをして見せた。


「ありがとうございます。お恥ずかしい限りでございます」


「そんなこと無いわ! せっかくお近づきになれたのだもの。余計なことに気を向けない方がお話が弾むでしょう?」


 これが真の上品さなのだとティナリアは心から感心した。

 大皿にきれいに盛られた料理は、スプーンとフォークだけで食べられるように工夫されている。

 ティナリアが大好きな鶏肉の炭火焼を満面の笑みで口に運ぶと、使用人と目が合った。

 小さく肩を竦めて見せるティナリアに、優しい笑顔を向けたその使用人は、黙って鶏肉のお代わりを皿に置いてくれた。


「ティナリア様は鶏肉がお好きなのですか?」


 ゆっくりとした口調でマリアーナが聞く。 

 こんなに素敵な方達に噓を吐くのは嫌だと思ったティナリアは、バカにされても仕方がないと覚悟を決めて返事をした。


「私の母は平民で実家は食堂をやっていました。当然ですが実家からの援助など期待もできない状態でしたから、好き嫌いなど言えるはずもございません。でも母が作ってくれた鶏肉の炭火焼はとても好きでした。まあ、口に入るのは誕生日と収穫祭の日だけでしたが」


 二人はうんうんと熱心に聞き入っている。


「お料理はお母様が?」


 サマンサの質問に答えるティナリア。


「はい、母は料理自慢の平凡な女でした。王様が気まぐれで立ち寄った食堂で、母の作った料理を気に入ったのが運の尽き……あっ、ありがたいご縁をいただき、側妃にと望まれたそうです」


 サマンサが溜息を吐いた。


「ええ、本当に運の尽きだわね……お可哀想に」


 ティナリアは危うくフォークを落としそうになった。

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