第2話 彼女の事情
ティナリアはアンレット王国の21番目に生まれた王女だ。
この国は代々、正妃が最初に産んだ子供が王位を継承することが決まっている。
その子供に何らかの問題があった場合には第二子がその継承権を得る。
要するに年功序列こそ正義という、とても分かり易いお国柄ということだ。
正妃が何人の子供を産もうと、王は何人もの側妃を迎える。
これも代々受け継がれてきた伝統で、正妃以外が産んだ子供たちは政治の駒として利用される。
国庫の金が減れば、見目麗しい子を金持ちの商人へ下げ渡し、膨大な支度金を得る。
どこかの国が後妻や側妃を探していると聞けば、さあどれでもどうぞという具合だ。
そんな血筋だけが価値という駒でも、流石に21番目ともなるとお役目は回ってこない。
いや、回ってこないばかりか忘れ去られている状態と言った方が正しいだろう。
ティナリアが住んでいるのは王宮の中でもかなり北側の外れにある宮だ。
側妃たちは妊娠発覚と同時に、それぞれに宮を与えられ、そこで出産と育児をする。
世話係の使用人数も明確な基準があり、側妃の実家の力が全てだ。
さすがに公爵家や侯爵家から側妃に上がる令嬢はいないが、伯爵家や子爵家出身の令嬢は多く、男爵家や準男爵家や市井出身の平民というのも少数ではあるが存在している。
それぞれの宮での使用人の数は、高位貴族家なら10名、中位貴族家で8名。
低位貴族家でも3名はつくが、平民には王宮から通いで来るメイドだけだ。
もちろん側妃とその子供の生活費や友好費などの必要経費は国庫から支払われる。
これも実家の身分によって明確なルールが存在する。
ただしこれは国庫から支給される金額ということで、実家からの援助は一切制限がない。
当然だが、裕福な実家を持つ側妃達は、競うように絢爛豪華な暮らしを満喫する。
毎日飽きもせず、嫌味の応酬のような茶会がどこかの宮で開催されていたりするのだが、それは貴族出身の側妃に限った話ではない。
下手な子爵家より裕福な商会の娘の方が、リッチだったりするのは当たり前だ。
そうなると当然のように派閥が生まれる。
派閥のヒエラルキーと実家の財力は常に正比例しているといって過言ではない。
そしてティナリアの母親は、王が気まぐれで連れてきた小さな食堂の娘だった。
たった一度の、しかもほぼ無理やり相手をさせられたにもかかわらず妊娠してしまった運の悪い女。
それがティナリアの母親だ。
だから一日おきに来る洗濯メイドと共に泡にまみれ、二日おきに来る掃除メイドと一緒に箒を握るのは当たり前で、食事は材料だけが一週間分纏めて運ばれてくるという具合だ。
あの一夜以降、王が宮を訪れたことはない。
忘れ去られた母娘は、それでもなんとか生きていたのに、去年流行った風邪を貰ってしまったのが原因で、母親は呆気なくこの世を去った。
その後は一人で暮らしていたティナリアも今年15歳になった。
生物学的父親とすれ違ったとしても、互いに気付くことは無いだろう。
「やっぱり今週も来ないわ……もうジャガイモが2個しか残ってない」
王が病床につき、正妃の第一子である王子マルチェロに王位が移ることが決まった。
そりゃ忙しいだろう。
忙しいだろうとは思うが、食材の配達が無くなるのは死活問題なのだ。
新王は慌てて前王の子供たちを片づけようとしていると洗濯メイドが言っていた。
父親の残した子供たちを早々に売り払い、自分のオアシスを作ろうとしているのだ。
しかし、今のティナリアにとっての問題は食べるものがないということだ。
他所の宮も困っているだろうと考えたティナリアは、散歩を装って一番近い隣の宮(と言っても林を隔てた向こうだが)に様子を見に行くことにした。
林を抜けた隣家には、きれいに手入れされたバラ園があり、その中で優雅にお茶を楽しむ母娘の姿。
ティナリアは、乾いた笑いを浮かべた。
「そうよね……実家からの援助ってものがあるわよね……無いのはうちだけだもんね」
母の両親は随分前に亡くなったと聞いている。
家はそのまま残っているらしいが、空き家となった家屋は痛みも激しいことだろう。
会ったことも無いが、母の生まれ育った家が朽ち果てていくというのは物悲しい。
「食材が惜しいのなら、いっそ解放してくれたら良いのに」
そうは思うが、腐っても王家の子女。
売り先はいくらでもあるというところだろうか。
「まさに飼い殺し! ってか死に待ち?」
装飾も何もないこじんまりとした宮で、ティナリアが一人暮らしをしていることを、知っているのは何人だろうか。
回廊にある彫刻についた汚れより感心を持たれない存在であるティナリアは、空の籠を見ながら途方に暮れた。
「腐っていても仕方がないわ。できることをやるだけよ!」
ティナリアは最後に残った2個のジャガイモの皮をむき始めた。
「王宮での最後の晩餐よ! 派手にいきましょう!」
ティナリアの言う贅沢なメニューとは、塩ゆでのジャガイモとタンポポの根のサラダだ。
庭先の切り株に座り、サラダボウルを抱え込むようにしてワシャワシャと咀嚼する。
「うん、苦いけどおいしい! 元気が出てきた! 絶対に生き残って見せる!」
暮れなずんでいく空に向かって、そう誓いを立てるティナリアは、久しぶりの満腹感を味わいながら、固いベッドで眠りについた。
そして翌朝、いつもより爽やかな気分で目覚めたが、食材はもう何もない。
林の中で収穫したクマザサの葉を火であぶり、お湯に突っ込んだだけの、その名も『なんちゃって茶』を啜りながら、ティナリアは考えた。
もう後は無いのだ。
ダメでもともと即実行とばかりに、できるだけ身なりを整え林に向かって歩き出す。
てくてくと10分も歩いただろうか、やっと隣の宮の屋根が木々の向こうに見えた。
あの日見たバラ園は今日も美しい。
今のティナリアが持っているのは、時間と健康だけだ。
それを使って生き残るにはどうすべきか。
ティナリアの辿り着いた作戦は『どこかの宮に雇ってもらう』というものだった。
庭の池を覗き込み、髪の乱れをチェックする。
「よし! それほど醜くは無いわ!」
ティナリア独自基準による及第点をクリアし、意気揚々と立ち上がった。
ずんずんと裏庭に回り、誰か使用人がいないか探す。
小さな木戸を見つけ、扉を叩こうとしたティナリアの耳に、男女の話し声が聞こえた。
チャンスとばかりに声のする方へ進むと、そこには美しく着飾った年若いご令嬢と、いかにも護衛騎士ですという見目麗しい男が抱き合っていた。
(やべぇ……)
本能的に見てはいけないものだと判断したティナリアは、そそくさと踵を返す。
パキッ!
なんでこうなるかなぁ……ティナリアはそう思ったが踏まれた小枝は悪くない。
こんなシーンを小説で読むたびに、噓くさいと思っていたティナリアは、心の中で見知らぬ幾人かの小説作家に謝った。
(本当にあるんですね……鼻で嗤っていた私を許してください)
「誰だ!」
ド定番のセリフを吐きながら男が近づいてきた。
ふと見ると、真っ赤な顔をした若い女性が涙ぐんでいる。
真っ白なハンカチを握る傷ひとつない手に、ティナリアの目は釘付けになった。
「きれいな手……顔もきれい、髪もきれい、ドレスもきれい」
生きるために必死なティナリアも、元をただせば王女様だ。
あの人と私の違いは何だろうか……そんなことを考えていた時、ティナリアの肩が乱暴に掴まれた。
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