告白はミートパイが焼けてから
志波 連
第1話 なんで首突っ込んじまったかなぁ
「止めなさい! 子供相手になんてことするのよ!」
商店街の入口にある馬車停で、白いエプロンが泥まみれになるのも厭わず、小さな男の子を抱きしめながら若い女性が厳しい声をあげた。
彼女の名はティナリア。
母の実家である食堂を、一人で切り盛りしながら慎ましく暮らしている19歳だ。
しかし、彼女には秘密があった。
食堂店主というのは世を忍ぶ仮の姿。
目立たなければ絶対にバレないはずだった。
だからできるだけ目立ちたくない! そう思っていたのに見て見ぬふりはできなかった。
買い出しから帰る途中、馬車の影で怯えて蹲っている男の子。
その男の子は、裕福な商人の子供だと一目でわかる程度には豪華な装いで、肌も髪も手入れが行き届いている。
なぜこんな金持ちそうな子供が、大の男たちに囲まれて怯えているのだろう。
興味本位で野次馬と化していたのが運の尽き。
囲んでいた男の一人が、男の子の背中を踵で蹴ったのを見た瞬間、本人でさえ忘れていた正義感が大噴火してしまった。
せっかく並んでまで買った林檎と茄子と蕪をその場に放りだし、駆け寄ったティナリア。
そして冒頭のセリフを吐くに至る。
いきなり駆け寄ってきた若い女性に驚きつつも、下卑た視線で舐めるように見る男たち。
食堂を一人でやっていると、偶にではあるがこの手の客もやってくる。
慣れていると思っていたが、複数人に囲まれてしまうと恐怖で身が縮んだ。。
「この子が何をしたって言うのよ! 酷いじゃないの!」
言葉だけは勇ましい。
「おいおい、俺は被害者なんだ。このガキがいきなり俺の腕に嚙みついてきやがったんだぜ? これは教育的指導って奴だ。それともお前が代わりに指導を受けるか?」
男の言葉に、仲間たちが下品な声を上げる。
ティナリアはグッと子供を抱きしめた。
男の言葉に顔を上げた男の子が、震えながらも精一杯の大声をあげた。
「リーナを返せ! お前たちがその馬車に押し込んだメイドのリーナだ! 返せ!」
男の子の声に囲んでいた見物客がどよめく。
男が少し焦った声を出した。
「変な言いがかりはやめろ!」
「返せ! リーナを返せ!」
立ち上がって男に向かって行こうとする男の子を止めながら、ティナリアが叫んだ。
「人さらい! この悪党め! 若い娘を攫って売ろうとしているんだろう! 人身売買は重犯罪だ! 誰か警備隊を呼んで下さい!」
「おい! 大声を出すな! 若い娘など攫ってない!」
ほんの少しだけ形勢逆転の兆しが見えた時、仲間の一人がティナリアに手を伸ばした。
「お前の方が高く売れそうだ。さっきのは返してやるからお前が来い」
「ふざけるなぁぁぁぁ!」
ティナリアは抱きかかえられても抵抗を止めなかったが、振り回す手も足も空を切るだけでほとんど効果は発揮できていない。
男の子は勇敢にも両手を振りまわしてティナリアを抱きかかえる男に突っ込んで行くが、敢え無く玉砕。
ころんころんと地べたに転がってしまった。
「何事か!」
少し高めだがよく通る声が聞こえ、男たちが動きを止めた。
ティナリアが声の主の方に顔を向けた瞬間、情容赦なく投げ捨てられドサッと転がった。
男の子が駆け寄ってきて、捲れたスカートを必死で押さえてくれている。
(あら、紳士ねぇ)
こんな状況でもそう思えるのがティナリアの強みだろう。
「大丈夫か?」
「助けていただいてありがとうございます」
「ああ、馬車に載せられていたご婦人は無事だ。安心してくれ」
男の子がよろよろと馬車から降りてくる女性に駆け寄った。
さっきは勢いで若い女性を攫って売ろうとしていると叫んでしまったが、裁判になったら絶対に虚偽と認定されるであろう年配の女性が、走り寄った男の子を抱きしめていた。
「君は……」
騎士がティナリアの顔を覗き込んで絶句した。
慌てて目を逸らしたが、騎士はティナリアの前に跪く。
「お願いですからやめてください」
「その瞳は……王家の……」
「どうぞ何も言わないでください。ちゃんと説明しますから」
騎士はゆっくりと頷いて、ティナリアに手を差し出した。
立ち上がったティナリアに男の子が駆け寄る。
「お姉さん、助けてくれてありがとう」
男の子がぺコンと頭を下げ、その後ろでリーナと呼ばれていた女性もお辞儀をしていた。
リーナ……そんな名前なら普通は15歳位の可憐な少女でしょ? どう見ても隣の女将さんより年上だわ……ティナリアはそう言いたかったが口は出さなかった。
少し考えれば、名前が途中で変わるわけでは無いのだからこちらの勝手な思い込みだが、なぜかティナリアは騙されたような気分だ。
「よく頑張りましたね。とても勇敢でしたよ。でも一人で大人の男に向かっていくのは無謀とも言います。周りの大人に助けを求めることも覚えてくださいね」
リーナは男の子の頭を撫でながら、ゆっくりと諭すように言った。
「あなたもです」
まだティナリアの手を握っていた騎士が、とても冷静な声でそう言った。
聞こえない振りをしたティナリアは、騎士に向かって微笑んだ。
「説明しますわ」
放り投げて転がっていた林檎と茄子と蕪を一緒に拾ってもらってから、二人はティナリアの食堂に向かった。
ふと見ると、男の胸に王家の紋章が刺繡されている。
ということは、王宮の騎士……ああ、私ってば、なんで首突っ込んじまったかなぁ……
涙をこらえながら見上げた空は、気持ちが良いほど青く、どこまでも美しかった。
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