秘密の特訓

海堂 岬

勝負

「一馬、この日、まだ仕事入れてないな」

「ないっす」

「よし。一馬、お前この日予定いれるなよ」

一馬の返事を待たずに、剛はスマートフォンでの会話に戻った。話し相手が誰かは知らないが、声を潜めてはっきり言って怪しい。


「変な仕事は嫌ですよ」

普段は廊下からも聞こえるくらいの大声で電話する剛が、囁くなど明らかに可怪しい。何の天変地異の前触れか。

「ん。わかった。はいはい。うまくするって。大丈夫だよ、姉ちゃん。俺のこと幾つだとおもってんだよ」

剛の言葉に、一馬はすべてを悟った。剛が敬愛するお姉様からのご用命である。剛の姉は、共働きだった剛の両親に代わり、剛の面倒をみてくれたそうだ。そのせいか、剛は今も年が離れた姉に頭が上がらない。絶対服従である。


 剛の姉は、一馬のことをもう一人弟ができたみたいだと可愛がってくれる。息子の裕人くんも一馬に懐いてくれている。物静かな旦那さんは一見インテリ風だが、その賢い頭の使い方がちょっと独特な人だ。薄めの唇からポロポロこぼれ落ちる無駄な知識が、本当に面白い。


 剛の姉一家の様子からは、剛が姉に絶対服従する理由がさっぱり伺い知れない。


 ようやく電話を終えた剛に、一馬は声をかけた。

「いらっしゃるんですか」

「そうだ。姉ちゃんと裕人がくる。裕人は俺を驚かせたいらしいから、俺が知っていることは秘密だ」

「あぁ、なるほど」

うまくやる、つまりはしっかり驚いてみせると剛は姉に宣言していたのだろう。

「それでだ。一馬、今日からこれの特訓だ。よしっ」

一馬がなにか言う前に、剛がボードゲームをインターネット通販で購入した。

「なにがよしなんですか」


「いやな、こないだ裕人の誕生日にボードゲームを送ったんだけど。今度裕人が、俺に勝負を挑みに来るらしい」

「で」

「コテンパンにしてやるってわけさ。大人の凄さを思い知れ」

大口を開けて子供番組の悪役にように笑う剛に、一馬は顔をしかめた。

「えー、そんな小学生相手に本気になってどうするんですか」

「真剣勝負を挑みにくるんだぞ。受けて立つのが礼儀だろう。たとえ相手が小学生でも一人前に相手をするだけだ。わざと負けるなんて相手に失礼だ」

一馬の抗議は、剛に一瞬で叩き潰された。

「どうせいつかは負けるさ。そういうもんだ。その時までは、勝つ! 」


「何も最初にコテンパンにしなくても」

気合を入れた剛に、一馬は顔をしかめた。

「小学生でも一人の人間だぞ。一人前に扱って何が悪い。それに、負けて悔しいなら勝つために努力するだろうさ。その時に正々堂々と受けて立つのが大人の役目だ」

剛の話はまるで決闘かなにかのようだ。


「そのために今から練習しとくってわけですか」

「そりゃそうだ。俺だって、リバーシで姉ちゃんに初めて勝ったときは嬉しかったからな。そのあとまたコテンパンにされて、がっかりしたけど。姉ちゃんと対等に勝負できるってのは楽しかった」

「もしかして、絶対に勝てとか言われてるんですか」

「そんなもん、当たり前だろう。俺の姉ちゃんだぞ。子供が乗り越えるべき壁になってやるってのも、身近な大人の勤めだろうが」

堂々と言い切る剛は、少し格好良かった。


「だからな秘密の特訓だ。一馬、お前も付き合え。特訓だ」

「え」


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