4-33 極彩の虚
◆
視界は暗闇に染まっていた。黒と白のコントラスト、もしくは黒一色だけで世界は覆われようとしている。そんな世界を見出しているのは自分の眼球でしかないことを、俺はよく知っている。世界が本当は黒で彩られていないころを確かに俺は知っているけれど、それでも目の前に広がる景色すべてが、漂う空気の欠片さえもが、すべてが黒だけに染められていることに、俺は驚きを隠すことができなかった。
どくどくと心臓が鼓動を加速している。加速している故に、視界は黒色だけを見出している。対極の心臓がこの世界を俺にだけ作り出している。
──気持ちが悪い。裏返ってしまいそうな衝動がある。まるでそこに自分じゃない誰かが見出されてしまう。考えてもいない自我が自分の中にすり寄ってくる、寄り添ってくる。空白を自分の中に人格として埋め込んでくる。気持ちが悪い、吐きそうだ。吐きそうで仕方がない。
「──たまき? だいじょうぶ?」
「──え? ……あ、ああ」
大丈夫、と返した。天音に声をかけられていたことに気づいて、俺は数回ほど呼吸を繰り返した。深く深く呼吸を繰り返した。
呼吸を繰り返して、先ほどまで抱いていた気持ち悪さを払拭した。払拭した、というよりかは、単純に気持ち悪さを忘れていた。
今までどうして自分を失っていたのか、そして今俺は自分を失っていたのだろうか。そんな気づきが俺を支配するけれど、それよりも目の前にある暗闇を見つめることから始めなければいけないと、改めて思考をする。
「それで天音、俺はどうすれば?」
黒色だけの世界の中、唯一灰色らしいグラデーションをしているシルエットに対して声をかける。店の中には天音しかいなかったから、これが天音ということで大丈夫なはずだ。
「ええと、今どうなってるんだっけ?」と天音は俺に聞いてくる。なので「目に映るものが全部黒いよ」とだけ返してみる。うんうん、と天音はシルエットで頷きを返している様子を見せた。
「それなら、店員さんがさっきいた場所を見てほしいかな」
彼女がそういうので、俺はその言葉の通りに従うことにする。従おうとするけれど……。
「ごめん、全部黒色だからわかんないや。どこを見ればいいのか指さしてよ」
方向感覚なんて見失っている。壁の存在も見えないし、どこに物があるかもよく理解していない。だからこそ、俺は天音のシルエットに注目する。
ん、と言いながら灰色のシルエットは指をさした。その指の先を俺は見つめてみる。
黒い。黒以外には何も見当たりそうにはない。彼女が指さすその先の景色は、俺の視界に映る他のものと変わることはなく、ただ黒色だけをさしている。
「何も見えないけれど」
「カウンターの奥とか、床とかは?」
「……見てみる」
返事をしながら、俺は天音の指した方向へと歩みを進めてみる。
……歩んだ拍子に何かとぶつかる。目の前にあったらしい雑貨の飾りなどにぶつかったらしく、額に少しだけ重みのある衝撃がぶつかる。
これでは歩くのも難しい。この対極にどのような作用があるのかはわからないけれど、もしもこれが俺の能力であるというのならば、もう少し使い勝手がいいようになってほしい。これでは目隠しをしたまま歩いていくのとなんら変わらない。
俺は目を細めてみる。目を細めれば、何か見え方が変わるかもしれない。正直、瞼を閉じても開いても見える景色は変わらないけれど、それでも何か変化があることを期待しながら、目を凝らして世界を見つめてみる。
黒く彩られている景色については変わらない。変わりはしないけれど、それぞれに存在するもののシルエットは見えるようになってくる。黒を彩るように、白が縁のように存在することが目を凝らすことで見えるようになってくる。
……というか、目を凝らさなくとも、きちんと視界にとらえようとすれば、物と物の境界線を見極めることができることに気が付く。俺はそれをようやく理解して、静かにカウンターの方へと歩みを進めた。
──息が、詰まる。
どくどくと眼球に血液が流れている。血流が流れ込んでいる。眼球が痛い、脈拍を眼球で感じている。それだけじゃない、見てはいけない情報が視界を刺激している。目を刺激して脳を破壊しようとしている。それを視界に留めることを世界から許されていない。息が詰まる。呼吸が億劫になる。立つことも許されなくなる。自分が自分ではなくなってしまう。疲弊が重なる。骨が折れる。苦しさを反芻する。
「──なんだよ、これ」
黒色だけの世界のはずだ。黒色だけに染め上げられている世界のはずだ。それ以外には何か彩があるわけがない。白と黒のグラデーションで示されたモノクロだけの世界で、目の前にあるものは異質さを放っている。
──光のようなものが見える。彩が見える。絵の具で描いたように、彩がついて離れることはない。目の前には虹がある。すべての色がある。波のように動き出している。そんな光が極彩色をちらつかせている。その波にのまれそうな雰囲気がある。呼吸を繰り返すことが億劫になる。
「──たまき?」
「──大丈夫、大丈夫だから」
落ち着いて、息を吐く。息を吐いて自分を取り戻す。彼女の声掛けで、異彩を放っていたそれから視線をずらす。
「……床になんかあったよ。光のような穴。情報が伝ってくるよな、そんな穴が──」
「──わかった」
俺の声に彼女は頷いた。頷いた後、俺が言った場所まで行って、かがんでいく。俺はこれ以上それを視界に宿すことはできそうになかったから、ひたすら違う方向ばかりを見て、そうして呼吸を落ち着かせる。
「──
──カウンターの方から聞こえてくる、天音の声。聞きなれた声音、詠唱。自分自身でも意識をしてしまう言葉の残骸。
そして、世界は──。
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